第5話 元カノの嫉妬が手遅れすぎる件について
「よかったら、わたしと恋人になってくれませんか!」
頭の中が追いつかないまま、俺はただその場に立ち尽くしていた。
「よ、よかったじゃんお兄!」
動揺を隠せない俺の背中を、莉乃が思いきり叩いてくる。声が軽く裏返ってるのは気のせいか?
「あ、そだ。別件あるの思い出したから先に帰るね!」
「は? ちょっと、莉乃?」
「じゃあお二人でゆっくりどうぞ〜!」
慌ただしく手を振り、莉乃は逃げるように去っていった。
──完全に置いていかれた。
「……翔太さん。この後、時間ありますか?」
遥香が、少しだけ不安そうな顔で俺を見上げてきた。
「えっと……まあ、あるけど」
「じゃあ、近くのファミレスに行きませんか? わたし、もっとお話したいです」
ぐいぐい来るな……。
断る理由も見当たらず、俺はうなずいた。
ファミレスのボックス席。対面に座った遥香が、水を一口飲んで息をつく。
「わたし、こういうの初めてで……すごく緊張してます」
「こういうの?」
「デート、みたいなもの……です」
遥香が指先でストローの包装をくるくると巻きながら、恥ずかしそうに言った。
「……さっきは変なこと言ってごめんなさい」
「いや、謝らなくていいよ。驚いたけど」
「そうですよね。初対面でいきなり“恋人になって”なんて、変ですよね」
「なかなか聞かないセリフではあるな」
遥香が「ですよね〜」と苦笑いする。
思ってたより、ずっと普通の子だった。元子役だとか芸能人だとか、さっきまでの華やかな肩書きは、今はただの背景みたいに思える。
「てか、本気で言ってるって思っていいの?」
「は、はい! 本気です!」
堂々と返されて、俺は言葉に詰まった。
その後も遥香は積極的だった。
好きな食べ物、好きな映画、得意科目、苦手な虫──とにかく、俺のことをもっと知りたいとばかりに質問を浴びせてくる。
そして、聞いた分だけ、自分のことも包み隠さず話してくれる。
「……翔太さんの好きなタイプは?」
そんな質問も当然のように飛んできた。
「えっと……ふつうに話せて、一緒にいて落ち着ける人とか……?」
「なるほど……」
遥香は頷いたあと、真顔で言った。
「じゃあ、頑張らなきゃですね」
視線が真っ直ぐすぎて、少しだけたじろいだ。
と、そのときだった。
ファミレスの入り口から、見覚えのある人影が入ってきた。
桜子だった。
待ち合わせでもしているのか、一人でキョロキョロと店内を見回している。
そして、俺と目が合った。
桜子の表情が明らかに変わる。
驚きと、戸惑いと、何か複雑な感情が混じったような顔。
俺は桜子から視線を逸らした。
「翔太さん? えっと、お知り合いですか?」
「……元カノ」
俺は端的に答えた。
「そう、なんですね」
遥香はそれ以上は聞かず、理解を示すように頷いた。
「あの、そろそろ出ませんか?」
遥香が気を遣って提案してくれる。
「ああ、そうしよう」
俺は立ち上がった。桜子のことを意識しないように、でも自然に。
会計を済ませて店を出る時、桜子の方は見なかった。
ファミレスを出て、夕暮れの商店街を歩く。
「今日は楽しかったです」
遥香が俺の隣で、少し照れたような笑顔を見せる。
「俺も……まあ、楽しかった」
「その……」
遥香が立ち止まって、俺の方を向いた。頬が薄っすらと赤い。
「連絡先、交換してもらえませんか!?」
思い切ったように言われて、俺は少し戸惑う。
「あ、ああ……いいけど」
「ほんとですか!? やったぁ!」
遥香が嬉しそうに手を叩く。互いにスマホを取り出し、SNSアプリを開く。
遥香が慣れた手つきでQRコードを読み取り、すぐにメッセージを送ってくる。
『遥香です♪ 今日はありがとうございました!』
「届きました?」
「ああ、届いた」
俺が返事をすると、遥香がにっこりと笑った。
「また、お時間がある時にお話しませんか? 今度は……もっとゆっくりと」
その言葉に少しドキッとする。
「まあ、時間があれば」
「はい! じゃあ、また連絡しますね」
遥香は軽く手を振って、駅の方向へ歩いていく。その後ろ姿を見送りながら、俺は複雑な気持ちだった。
そんな時、背後から声をかけられた。
「翔くん」
振り返ると、桜子が立っていた。さっきファミレスで見かけた時とは違い、なんだか落ち着かない様子で俺を見つめている。
「……なんだよ」
「さっきの子、誰?」
桜子の声には、明らかに動揺が含まれていた。
「関係ないだろ」
「関係あるよ。……翔くん、もう他の子と付き合ってるの?」
「は? お前に言われる筋合いはないだろ」
俺は冷たく返した。桜子は一瞬怯んだような表情を見せる。
「だ、だって……まだあたしたち、ちゃんと別れたわけじゃ……」
「勝手に浮気しといて何言ってんだ」
「あれは……あれは違うの! あたし、翔くんのことが一番大切で……」
「何言ってんだ。お前と一緒にいた男に、俺は『元カレ』扱いされたの忘れてないからな。お前の中じゃ、とっくに別れた認識だったんだろ」
「ち、違うよ。それは言葉の綾っていうか」
「意味わかんねえ」
俺はそう吐き捨てて踵を返す。と、桜子が慌てて俺の腕を掴む。
「待って! 翔くん、変わったよね。髪型も服装も……すごくかっこよくなってる」
「だからなんだよ」
「あたし、こんな翔くんを見たかったの。ずっと前から、もっとオシャレしてほしいって思ってたのに……なんで今更……」
桜子の声が震えている。
「お前が俺を捨てたからだよ」
俺の言葉に、桜子の顔が青ざめた。
「お願い、もう一度だけチャンスをちょうだい。あたし、もう絶対に浮気なんてしないから!」
桜子が必死に訴える。でも、俺の心はもう動かない。
「無理だ。もうお前のことは信用できない」
「そんな……あたし、翔くんのこと大切に思ってるんだよっ」
俺は桜子の手を振り払った。
「大切に思ってる人間の誕生日に、他の男とデートするわけないだろ」
俺の言葉に、桜子は何も言えなくなった。
俺は桜子を置いて、足早に立ち去っていく。
後ろで桜子の泣き声が聞こえたが、振り返らなかった。