結果と影響
シーン:結果と影響
「知の断章」が王都で流通してから、わずか一ヶ月。
その影響は、静かだが確実に広がっていた。
元々は限られた層――錬金術師、魔術学院の学生、進歩派貴族、民間教師など、学びに対する強い意欲を持つ者たちにだけ届いたはずだった。
だが、それはあまりに鋭く、刺激的だった。
「この法則に従えば、雷の力を操れるのでは?」
最初に話題になったのは、科学篇の「力線と導体」の項だった。
読んだ錬金術師の一人が、実験によって金属に力線(=電流)を通す方法を模索し、その結果、魔力を通さずとも“自然の力”だけで金属棒が熱を帯びる現象を再現した。
周囲は驚愕した。
「これは……魔力による加熱ではない」
「つまり、自然界の力を応用して、魔術と同様の現象が再現できると?」
錬金術師たちの間では、“魔術に代わる技術”の芽として一部が盛り上がりを見せた。
「雷の力=力線」を魔法陣に組み込めれば、魔力の少ない者でも雷撃系魔法を発動できるのでは――そんな仮説が、あっという間に研究者の間で広がった。
「関数とは、魔法陣の解析に応用できるのでは?」
次に熱を帯びたのは、数学篇の「関数」と「グラフ」の章だった。
魔術学院の一部学生がこれを読んで気づいた。
「魔法陣は、“変数の組み合わせ”によって効果が変化する。ならば、この“関数”という概念を使えば、どの部分がどんな影響を与えているか解析できるかもしれない」
この発想は、学院内の一部教授陣にも波及し、魔法陣設計の“再定義”という前代未聞の提案が、密かに研究会議でなされた。
すでに、初歩的な関数式を使って魔法陣を簡略化し、詠唱時間を30%短縮させる成果が報告されていた。
知識は、静かに、しかし力強く拡がっていた。
まるで、乾いた土地に水が染み込むように。
触れた者の脳を焼き、目を覚まさせ、言葉と論理の形で世界を変え始めていた。
だが――当然ながら、その波はすべてを歓迎されるものではなかった。
「神の摂理を数式で説明するとは何事か」
王都の神聖庁――この国最大の宗教組織に属する保守派聖職者たちは、早々に「知の断章」の存在に気づき、激しく反発した。
特に問題視されたのは、天体の運行を数式で記述した章や、生命を“機構”として扱った人体構造の図だった。
「天は神の意志により巡るもの。星の動きに法則を求めるなど、冒涜だ」
「人の体は神より授かりし神聖なる器。それを“構造”として解くなど、不遜にもほどがある」
一部の高位司祭は、教会傘下の学院へ通達を出し、「知の断章」を持ち込んだ者を“異端的思考の兆候あり”と警告対象に指定した。
王都北部では、教会寄りの町で教師がこの本を授業に使ったことが発覚し、公の場での謝罪と授業資格の剥奪にまで発展する事件が起きた。
「知識は、選ばれし者だけのものだ」
また、保守的な貴族層の一部からも反発の声が上がった。
彼らにとって、“知識”とは家柄や身分によって継承される特権であり、庶民や下層階級が簡単に触れられるものではない。
だが、「知の断章」は違った。
美しい装丁に包まれてはいるが、内容は誰にでも読める。
難しいが、“努力すれば理解できる”という性質を持っていた。
それが、恐怖を生んだ。
「もし、商人の子がこの書を読み、貴族の子よりも多くを学べばどうなる?」
「教育の差が、血統の意味を壊しかねない」
一部の家系では、子弟がこの本を隠れて読んでいたことが発覚し、焼却処分が命じられた事例も報告された。
それでも、知識の流れは止まらなかった。
一度“便利”だと知った者たちは、それを手放せない。
魔術式が早く、確実に発動できる。
薬草の効果を化学的に分類できる。
天気の予測が数字と観察で可能になる。
そんな実利が、思想的な反発を上回りつつあった。
ある錬金術師はこう語った。
「信仰は心を救うが、知識は命を救う。ならば、我々が選ぶべきは明白だ」
進歩派貴族の中には、正式にリロフ家へ使者を送り、「この書の続巻があれば購入したい」と申し出た者すら現れた。
祐介はその報告を聞きながら、屋敷の執務室で静かにページをめくっていた。
「始まったな。知識の戦争が」
それは剣や弓ではなく、紙と文字による戦いだった。
そして祐介は、その火種を撒いた張本人だった。
次の一手は何か?
さらなる“知識”か――それとも、知識を守る“制度”か。
嵐の中心にいる者だけが、それを選べる。




