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霧の中の道標

作者: 精霊b

暗澹を歩いていた。


 一本道のような場所。両脇には木々が並び、進むしかない。後ろに戻りたい、そんな気持ちは不思議と湧かなかった。

 

 吐いた白い息が、頬を伝って空気へと溶けていった。

 雪や霧が俺の身の周りに浮かんでいる。

 

 身に着けていた衣服たちはいくつかの傷があり、俺が歩くたびに穴が開いた箇所は炎のように揺らいでいる。

 そんな衣服の傷の下では、薔薇のような紅が顔を覗かせている。

 だが、何故か痛みはない。

 

 顔を上げたところで、目の前の情景すら見ることができない。

 地面には、俺が歩いてきた足跡ができているが、時期に雪で埋もれることだろう。

 

 いつから歩いているか、どこまで歩けばいいのか、なぜ歩いているのかさえも分からなかった。

 

 だが、体は足を踏み出すのを繰り返して、前に進んでいた。

 

 すると、頭に何かがぶつかった。下を向いて歩いていたから気づかなかったのだ。

 俺は下を向き続けて固まった首を、痛みを伴いながら上げた。すると、人が立っていた。

 

 「こんにちは」

 

 その人は、俺が頭をぶつけることを分かっていたかのようだった。

 驚きもせず、表情すら変えずにあいさつをしてきたのだからそうなのだろう。

 

 声色は女性のものだった。

 なぜこんなところに人が?と言ったところで、俺はここがどこなのかも知らないし、自分がここにいる理由すら知らない。

 

 普段なら、恐怖で固まっていただろうが、俺はここにいるし、それについて何も感じていないので挨拶を返した。

 

 「はじめまして」

 

 俺は彼女になんといわれるのか。まるで、親が門限を破った子を叱るかのような口調で返されたらどうしようか。

 場所への恐怖はなかったが、彼女との会話へは少しの恐怖心があったようだ。

 

 「進もうとしてるんですね」

 

 別に俺は進もうと思考していたわけではない。

 ただ無意識に足取りが進んでしまっていただけだ。

 だが、彼女がそう捉えるなら、それでもいいだろう。

 

 「私に、着いてきてください」

 

 一本道なのだから一人でもいける。と言おうと思ったが、案内役がいるのならそれを断る理由はない。

 そもそもここがどこなのかわからないのだから、どこへ連れていかれようとも俺は何も言えない。

 

 彼女の姿は霧に覆われて見えなかった。だが、霧といっても影は残る。彼女は俺より身長が高かった。

 見上げて話さなければならないほどに高いように見えたが、常に下を向いている俺には関係がない。

 

 そうして、彼女は俺が進もうとしていた方向へと振り返ると、足音すら立てずに歩き始めた。

 そういえば、俺の足音も聞こえなかったか。

 異様な空間ではある。そして、不思議な人物も。だが、不快な気持ちはない。

 このまま進もうと思えるほどに。

 

 「どうして、貴方はここにいるのですか?」

 

 彼女は歩きながら問いかけてきた。

 俺がここにいる理由を聞きたいというような感じではなかった。

 ただ、ここへ来るときの記憶、どのようにここへ来たのかを気にしているようだった。

 だが、生憎俺はどちらの記憶も無かった。

 埋まっていたパズルのピースが無くなった、というよりかはそのピース自体元々存在していなかったかのような感覚だ。

 

 「わからない。覚えていないんだ」

 

 嘘をついてはいないはずだ。本当に何も覚えていない。

 だが、人はやっていないことを証明することはできない。

 覚えているのなら証拠を出せるが、覚えていないという証拠を出すのは難しい。悪魔の証明というやつだ。

 

 「そうなのですか……信じましょう」

 

 まるで、俺が何を考えているかを分かったかのような口調で言った。

 俺の顔で判断したわけではない。俺は下を向いているからな。

 不思議な人だ。

 

 「貴方は、今までの人生で後悔していることはありますか?」

 

 記憶はなくなっていたが、記憶喪失というわけではなかった。

 少しは覚えているんだろう。記憶の引き出しを彼女が開けてくれた。

 だから、その質問で自分の人生を振り返ることができた。

 人は楽しかったことよりも、辛かったこと、繰り返したくないものを記憶したがる。

 俺も例外ではなかった。

 その質問で自分の人生を振り返ると、つらい記憶ばかりが読み返る。

 彼女に人生で後悔していることを問われたからではない。

 楽しかった記憶が思い出せないのだ。

 多少なりとも出てくると思ったが、そんなことはなかった。

 特に思い出に残っているのは、中学の時だった。

 同級生からは悪感情を伴った指を指され、親からは人の扱いなど受けていなかった。

 いや、それは親に限定されたことじゃないか。

 俺が悪いのか、それとも人間をあんなふうに扱うことができるあいつらが異常なのか。

 未だに答えは見出せない。

 俺はずっと考えたままで、彼女への返答を忘れていた。

 

 「中学の時だな、いろいろあったんだ。」

 こんな言葉を口から漏らしたことは今までなかった。彼女になら、伝えてもいいと思った。

 「そうですか、ならよかった」

 

 よかった……か。

 彼女がなぜよかったといったのか俺には理解できないが、俺は彼女に出会えてよかった。

 彼女は俺と会話をしてくれるんだ。ただ、一方的な言葉をぶつけられるだけじゃない。会話だ。

 

 「考えてみれば、俺は人生を経験していないのかもしれないな。人の扱いを受けて生きてこなかったのだから」

 「ならば、貴方は人生を知らないのですか」

 

 こんなものを人生と言うのなら、俺は周りと一緒だったというわけだ。


 「これが人生といえるなら、俺は思ったよりも苦労してこなかったかもしれないな」

 

 俺は変わらず下を見続けながら言った。

 

 「私は、どうか貴方に人生を経験させてあげたい」

 儚い声だったが、何故か彼女がそれを成し遂げてくれる気がした。

 「そうだな、人に成ってみたいものだ」

 

 そう言うと、また俺は頭を何かにぶつけた。彼女にまたぶつかってしまったのだろうか。

 謝ろうと上を見上げると、目の前が見えなかった。辺りは暗闇に包まれていた。

 たまに光が当てられるが、目をつぶって明るいものに顔を向けたときに見える、瞼の裏のようなものが広がっていた。

 身動きが取れなく、暗闇に体を置かれ、声すら出せない状況だったが、先ほどと同じく恐怖感などなかった。

 あったのは、安心感だ。

 周りからは、心地よく、低い音が鳴っていた。

 

 (ああ、よかった)

 

 そう思いながら、これから起こるすべてに身を任せて、俺は考えるのをやめた。

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