ハードゲームの開始
首から下が全く動かない状況で、四方十蔵は比較的に落ち着いていた。どうせ一度諦めた人生だと、やけ鉢にも似た感情が十蔵の心を穏やかにする。
「あの”女の子”、出てっちゃったね」
十蔵の問いに、"漱石"は返事をしなかった。
十蔵は例の彼女を”漱石"と呼んだ。
彼女に名前を尋ねた時、『名前はまだない』と夏目漱石の小説みたいな事を言ったからだ。
漱石は不機嫌な表情で辺りを観察していた。これまではロボットのような仕草だったが、今は違う。"時間と空間のルール"の中で生きるようになってから、彼女はよくも悪くも人間味を帯び始めていた。
漱石が深いため息をつく。
「着いた瞬間に死にかけて、そのまま拷問直行なんて、あなたの人生ハードゲーム主義は相変わらずですね」
「そんな選択した覚えないけどね」と十蔵は笑った。
「首筋に針を何本も入れられてましたけど、大丈夫ですか?」
「不思議と痛くないんだよ。あの女の子は『殺す』とか物騒な事言ってたけど、針治療かなんかなのかも」
「嫌に楽観的ですね。あなた、どうせ一度は諦めた人生だからと、開き直ってませんか」
「さすがに元『観察者』は観察眼が鋭いな」
「もしこのまま死んだらわたしは何のために、三次元体に堕ちたのか。せめてわたしの仮説を検証してから死にたかったです」
十蔵は可動域いっぱいに首を捻って労いの眼差しを向けた。
「漱石は悲観しすぎなんだよ。この世界は見たところ治安も悪くなさそうだし、アクセントは独特だけど言葉も通じる。死ぬなんてそんなに物騒なことにはならないと思うけどな。捕まった相手も小学生くらいのかわいらしい女の子じゃないか。きっとなんとかなるよ」
「十蔵はこの世界について、何も知らないからそんなことが言えるんです。この世界はーーーー」
気づいた時には、漱石の目の前に初老の男が立っていた。
戸を開けた音も、近寄られた気配もない。最初からそこに立っていたように、十蔵と漱石を見下ろしていた。
「わりぃけど死んでもらうわなぁ」
不意に遭わられた初老の男。身動きができない十蔵と漱石は、抵抗する余地もなく男に担がれた。
初老の男に連れて行かれたのは平屋建ての家屋だった。
日本の古民家のようにも見える。趣きはさながら大正時代だが目を凝らせば、所々見たこともない建築手法や奇抜な色使いがあり、十蔵の知っている世界のモノとは似て非なるものだった。
十蔵たちは家の土間に放り出された。
「解せねぇンでよ、死ぬ前に、ちょっと実験に付き合ってもらうわな。痛くはしねぇし、どうせ死ぬんだからいいよな」
初老の男は腰巾着から数本の針を取りした。十蔵は首の筋力で体を捻り、男の方を見た。
「あの、せめてなんで殺されるのかくらいは聞いてもいいですか?」
男は笑った。
「何だぁ? 命乞いかと思ったら、お前さん結構肝据わってんじゃないの」
初老の男は、見たこともないような長い煙管を懐から取り出した。火をつけて一息吸うと、次の瞬間には顔の穴という穴から煙を噴出させた。砂嵐色の煙が十蔵の頭上を舞う。
「いいだろ、教えてやる。自分が死んだ理由くらい知らにゃ、あの世でご先祖様とも話ができねぇだろうしなぁ」
男はひとしきり煙と戯れると、土間にあった瑠璃色の火鉢に灰を落とした。
「理由は二つだ。一つは"半身"のサジ波ンの名前に傷つけたことだな」
「名前を傷つけるもなにも、あなたとは初対面ですが」
「お前が寝てる間にな、俺が止血してやろうとしたのよ。そしたらお前、全然血が止まらねぇでやがる。この”半身"のサジ波ンが止血なんて初歩の初歩ができねぇと知れてみろ。恥も恥、名折れも名折れだ。てめぇは和チカのクソが俺を嵌めようとした策略に違いねぇ。だから殺す」
十蔵は口を開いたが、"半身"のサジ波ンは矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「もう一つは嫌がらせよ。お前らが死んで行方をくらませりゃ、和チカは任務失敗だ。もしかしたら降格なんて話になるかも知れねぇ」
サジ波ンは再び煙管に火を入れ、ヒッヒと嬉しそうに煙をふかした。
「全然関係ない俺たちを殺してまでその"和チカ"を陥れたいんですか?」
「俺はあいつが大の大の大嫌いでね。今日も今日とて"外様"のくせに俺に命令垂れやがった。"三階"の身分に上がってから調子乗ってんだわ。もう我慢ならねぇのよ」
「"半身"のサジ波ンさんは、外様じゃないんですね?」
「馬鹿言っちゃいけねぇ、俺は生粋のラク字集、ラクの生まれよ。あんな仁義もクソもねぇ根無草どもと一緒にするんじゃねぇ」
憤慨するサジ波ンを他所に、十蔵は自問自答しながら、これまでの情報を一つ一つ整理していった。
"ラク字"とは、どうやら集落のようだ。
・あの女の子の名前は和チカで、そしてこの男は"半身"のサジ波ンという名前。彼らはどちらも"ラク字"らしい。
・和チカは、"外様"。この世界線でも外様の意味が同じなら、和チカは"ラク字"の外から来たということだ。元々いた人間から煙たがられるのだろう。
・サジ波ンは『根無し草ども』と複数形で話した。つまり"外様"はラク字に複数いる。
・和チカは"三階"と呼ばれる"身分"に上がったらしい。"三階"とはサジ波ンの嫉妬具合から察するにサジ波ンより上で、それなりの地位なのかも知れない。
・サジ波ンは外様の和チカが大嫌いで、自分と漱石を殺してて和チカの"任務"を妨害しようとしている。
・"任務"と言うことはラク字という集まりは規律のある組織なのだろう。
・和チカもサジ波ンも殺人に対する抵抗がまるでない。ラク字とは、ただの集落ではなく、その手の"任務"をする特殊な集団なのか?
・三階という身分制度からも、軍隊のような縦割りの組織の可能性が高い。
脳みそを恐怖や絶望に襲われる前に、フル回転し、感情の消耗を抑える。十蔵なりの呪われた運命に対する防衛術だった。
十蔵は目を強く瞑り、大きく見開いた。
「そういうことだったら、俺たちの邪魔しないでくれるか」
「ああ?」
口調をガラリと変えた十蔵に、サジ波ンは険しい視線を切った。十蔵は意に返さずに続ける。
「だからさ、あんた、"外様"の和チカが嫌いなんだろ? だったら俺たちの邪魔するのは得じゃない」
「いきなり何言ってんだテメェ?」
「あんたも聞いてるだろ。俺たちは和チカを"襲った"んだ。和チカを殺すのが俺らの仕事で、あんたさえ邪魔しなきゃ、和チカが死ぬのも時間の問題だ。みみっちく画策して降格に陥れるより、和チカが死んだ方があんたも嬉しいだろ?」
サジ波ンは笑い飛ばした。
「はー、くだらねぇ。馬鹿が馬鹿なりに頭使ったもんだなぁ。それで俺がお前らを逃すってか? 何かと思えばくだらねぇハッタリ仕掛けやがって」
サジ波ンは、巾着袋から取り出した針で手遊びをしながら、地面に転がる十蔵たちを嘲笑った。
「仮にだ、仮にお前の話が本当だとして、お前らを逃す得がどこにある? 一度和チカに返り討ちにあった三流のお前らじゃどうせあいつは殺せない。そんな不利な博打打つよりも、今ここでお前らを消す方が確実にあいつを苦しめれるだろ? てめぇのハッタリは交渉にもなってねぇんだよ、バーカぁ」
十蔵は地面に這いつくばりイキがった。
「バカはお前だ、身分が三階の和チカへの暗殺任務だぞ? 誰が上で指揮してると思ってる」
サジ波ンの顔が少しだけ強張った。変化を十蔵は見逃さず、間髪入れずに畳み掛ける。
「俺たちが和チカにやられたと"装った"のはここに入り込むための"仕掛け"だ。和チカが自分で捕まえた賊を集落内で逃したとなれば、やつの面目は丸潰れだ。しかもその上で賊に殺されたともなれば"外様"の無能さはラク字中に広まり千里を翔る。これはな、"とあるお方"がラク字の"外様"排除のために描かれたでっかい絵図なんだよ。お前さんみたいな小物が出しゃばっていい案件じゃない」
サジ波ンの笑みは消えなかったが、さきほどまでの針の手遊びもおざなりになっていた。十蔵は口を動かし続けた。
「別に俺の話は信じなくたっていい。ただあんたは自分の小さな見栄を守るためだけに、大きな危険を犯してる。それが分かってない。俺たちを殺せばあんたは終わりだ」
「何が終わりだ。最初の潔さはどこいった? いくらバカな嘘吐きでも死に際くらいは静かにするもんだぜ」
「俺がバカな嘘吐きでも、賢い真実吐きでも、関係ない。俺らを殺せばあんたは終わりだ。俺の話が本当なら、あんたにとっては雲の上の存在が仕込んだ計画を邪魔したんだから、当然普通には死ねない。俺の話が嘘でも、毛嫌いしてるとは言え同じ”ラク字"の任務を妨害するんだ。これが知れれば"ラク字"への裏切り行為だ。そうじゃ無いのか?」
「知れれば、な?」 サジ波ンは冷たく言い放つ。
十蔵は再び目を強く瞑り、コンマ数秒の間でできる限りの情報を整理した。目を見開き、サジ波ンを真っ直ぐに見る。
「あんたが俺たちを連れ出したとすぐにバレるさ。あんたが俺を持ち上げた時、連れ去ったのが誰かわかるようにハッキリとした証拠を残してきた。首から上が動けば、やれることなんていくらでもある」
「よくもまぁ次々と嘘ハッタリがかませるもんだ、そこだけは褒めてやるよ」
「嘘だと思うなら自分で俺の残した証拠を探してくればいい。まぁ三階レベルの和チカなら難なく見つけられるだろうけけど、あんたレベルじゃ見つかんないだろうな」
「殺すぞ」
サジ波ンが握り拳を振り上げた。和チカと同じ雷に似た現象が拳周りに渦巻く。十蔵は背中の汗を見せないように仰向けになり、首から上の筋肉で精一杯の虚勢を張った。
「俺らを殺して損するか、逃して得するか、そういう簡単な話だ。殺せば、あんたはどの道ラク字の裏切りもの。逃せば、和チカは確実に任務失敗、うまくいけば暗殺される。あんたの意地が邪魔してるだけで、これはとても簡単な選択だ」
沈黙が流れる。耳鳴りがするような静寂。場の緊張が張り詰める。
サジ波ンの掠れ声が響く。
「……お前が残してきた証拠はどうする」
すぐに返答したい衝動を抑えつけ、十蔵は二拍待ち答えた。
「あんたが連れ出した証拠はこっちで処分してやる。任務途中で殺されそうになったなんて言ったらヘマもいいとこだ。こっちも格好がつかない」
サジ波ンが唸り声を上げると、十蔵は声色を変えた。
「こんな形とはいえ"半身"のサジ波ンに会えるとはな。家で待ってるガキと女房に自慢したいくらいだ」
十蔵は少しクサ過ぎたかと、言った瞬間に後悔した。しかし、サジ波ンは満更でもない表情で煙を潜らせる。
「なんなら帳面に落款でも押してやろうか」
「いただけるもんなら、二枚欲しいな。ガキの分と女房の分と、ああ、俺の分もあるから三枚か」
張り詰めた空気が、一気に弛緩した。サジ波ンは煙を一息吐くと、十蔵たちの首筋の針を抜いた。十蔵と漱石は、久方ぶりに動かした四肢を子鹿のように震わせ立ち上がった。
「おい、くれぐれも俺が連れ出したって証拠はーーー」
「ああ、キッチリ処分する。心配ない」
外に出ると、周囲に人の気配はなかった。サジ波ンの家は賑わう場所から離れた藪林の中にあり、遠くに見える家々にも人影は見えない。
十蔵たちは建物の少ない方向へ慎重に足を進めた。
「いつから女房、子持ちの殺し屋になったんですか」
漱石が周囲を警戒しながら、口角を歪ませる。
「昔から妄想が得意でね」
十蔵は恥ずかしそうに答えた。
何度となく彼に訪れた不幸。不運の連続で心が折れそうになった時、現実に立ち向かえなくなった時、彼は妄想で心を癒した。いつか報われるであろう自分の姿を心に描き続けてきた。
十蔵の柔軟な発想と想像力は、不運を積み重ねた賜物でもあり、深い傷跡でもあった。
建物を避けて進んだ結果、何もない平野に出た。遠くに町が見える。
「一旦あの町に行こうか。木を隠すなら森って言うし、町に潜伏して様子を見よう。この世界のことももっと知らなきゃいけないし」
漱石は無言で頷いた。
足早に平野に駆け出る。なるべく早く通りすぎたかった。遮蔽物の無いだだっ広い平地で周囲からは丸見えだからだ。
平野の中腹で、十蔵はふと疑問に思った。
こんなに広くて平な土地があるのに、なぜこの世界の人は手付かずにしているのだろう。町からも近いし、見晴らしもいい。家でもなんでも立てればいいのに、と。
疑問の答えは空の上から飛んできた。
平野のど真ん中。どこからともなく、破裂音が聞こえた。音は頭上から急激に近づき、見上げた時には、数えきれない人が降ってきた。