山塊和チカの煩い
“十一ノ十家十二集”(トイチノ ジュッケ ジュウニシュウ)
この世界線の勢力図はこの一言に集約されている。
”十一”(トイチ)と呼ばれる11の地域を、”十家”からなる10の豪族が分担統治し、”十二集”と呼ばれる武力組織が豪族を後ろ盾する。長年続いた動乱の時代を経て、現在に築き上げた秩序のバランスだった。
ラク字集は、"十二集"に数えられる主力集落の一つだ。かつては『天賦の閃きにも勝るラク字の瞬足』と畏れられていたが、今では『古豪のラク字』と呼ばれることが多い。古豪とは、言い方を変えれば全盛期の輝きを失ったと言うことだ。
今日もまた、過去の栄光で傲慢に育った老人の叱責が集落に響く。栄光を知らない若手たちは、訓練場の隅で生まれた時代を嘆く他なかった。
ラク字集は大きく分けて三つの部隊で編成されている。その一つである脚位は、かつてラク字を栄光の時代に導いた花形部隊であり、走術においては十二集屈指の実力を誇った。
「脚位三階! 山塊和チカ! ただ今戻りました!」
脚位上席の八マナ児は、簡単な買い出しに一時間弱も要した部下を叱責するため顔に力を込めた。
八マナ児が玄関に向かうと、不思議な光景が広がっていた。青ざめた和チカ、そして腹から血を出す優男、傍に無表情の女。八マナ児は表情をそのままに、低い声で唸った。
「状況報告」
和チカは、小さな手足を目一杯強張らせ、背筋を伸ばした。
「時刻、1343! 場所、大ガミ大神社前の大通り! 男女二名と遭遇! うち、男による奇襲打撃を受ける! 敵と判断し、初撃を外術、空空滑車にて応対! 結果、外術にて男の腹部損傷!」
「了解。それが買い出しに一時間もかかった言い訳か? 殺すぞ」
和チカは強張らせた全身を更に硬直させ、直立不動のまま息を止めた。八マナ児は正体不明の男女を一瞥すると、静かに命令を下した。
「男女二名を簡易縄縛処理。その後最低限の止血処置をし、尋問しろ。結果を現刻より一時間以内に報告、コンマ1秒も遅れるな、殺すぞ」
八マナ児は命令を終えると、玄関から外へ出ていった。
和チカは掌にびっしゃり掻いた汗を着物の裾で拭った。腰巾着から2本の針を取り出す。小指ほどの細く鋭い針を、意識のない男の首元に躊躇なく突き刺した。
和チカは女の方を向いた。
「意識を縛らせてもらう。ワチシはあまり上手くないから、無理やり刺すと随分と痛い。嫌なら大人しく首筋をこちらに向けろ」
女は素直に首筋を見せ、和チカは男の時と同じ要領で針を刺した。途端に女は気を失い、その場に倒れた。
和チカは小さく短い両腕でヒョイと自分の身の丈の倍以上ある男女を担いだ。ダランと垂れ下がった男の両腕が地面に擦れたが、構わずそのまま医務室に向かう。木張りの床がギシギシと音を立てる。狭く長い廊下を歩きながら、和チカは浮かんだ疑問を整理していった。
男は意識もないのに今も完全に気配を絶っている。
相当の手だれなのか。
しかし、軽い外術にも対応できていなかった。現に重傷を負っている。
豆鉄砲程度の空空滑車で大怪我を負うなど一般人並みの耐性だ。
解せない。
医務室前についても、答えは出ず、そのまま引き戸の門を蹴り叩いた。
「入室願います!」
「ヤダね! 変なもん連れてくんな」
医務室の中からガシャガシャとした声が聞こえた。和チカは仕方なくまた声を張り上げた。
「八マナ児上席の命令です! 一名に止血処理願います!」
「やなこった! そんな得体の知れない奴ら、触りたくもないね!」
声の主のサジ波ン(サジハン)は戸越しで見えてもいないのに、よく状況が掴めているようだった。どこかに”ねずみ”でも仕込んでいたのかもしれない。
痺れを切らした和チカは、塞がった両手を忌々しく睨んで、足で戸を開けようとした。しかし、短い足ではどうにも上手く開けられない。仕方なく”外典”(ガイテン)させた力で戸を引いた。
医務室の中にはサジ波ンだけだった。彼は回転椅子の上に立って、ぐるぐると忙しなく回っている。サジ波ンは老年の衛生兵で、今は現場を離れ医務室担当だ。彼は常に喋っているか体を動かしている、とにかくいつも動き回っているのだ。そうしないと大戦のトラウマが頭を駆け巡り正気が保てないそうだ。
「さすが外様だ、器用に外典も使いこなすねぇ」
和チカはサジ波ンの嫌味を無視して、担いできた男女をベットに放り込んだ。
「この男の止血をすぐに処置願います。この後尋問しなきゃならないんで」
「やなこった、そんな気持ち悪い奴らに触れたくないね」
「命令違反で首飛びますよ」
「はん! 偉そうによぉ!」
サジ波ンはめんどくさそうに医療用の針と布を取り出し、男の傷口を見た。
「止血だけでいいんだよな? 修復も回復もやんないぞ」
「はい。最低限の処置で、との命令です」
サジ波ンは手際良く男の脇腹と傷口周辺に針を差し込み、5本ほど入れた時点で傷口を観察した。
「なんだこりゃ、全然血ぃ止まんねぇぞ」
和チカはサジ波ンの顔を押し除けて傷口を確認した。言う通り、血が止まっていない。
「ちゃんとやったんですよね? 失敗したんじゃないですか?」
「舐めんな! こんな初歩の初歩で失敗するか! 俺は"半身"のサジ波ンだぞ?」
サジ波ンは先ほどの針を抜き、今度は鬼気迫る表情でもう一度同じ場所に針を差し込んだ。血はまだ止まらない。
「なんで止まんねぇ! おかしいだろが!」
サジ波ンは曰く付きではるが、衛生兵としてそれなりに名の通った男だった。コザ武道の大戦では、敵の攻撃で文字通り"半身"になった自軍の大将を治癒し、生きて連れ帰ったと伝聞されている。それほどに内転の力を応用した彼の治癒技術は高かった。この点において和チカも疑いは無い。
「ありえねぇだろ、なんなんだこいつ。人間か?」
一向に止まる気配の無い流血。サジ波ンは半ば職務放棄し、諦めムードを漂わせた。
「無理無理、こりゃ無理だ。こいつ宇宙人だ、絶対そうだね、悪いが俺は人間様専門なんでね」
「このまま血が止まんないと、どうなりますか?」
「そりゃ死ぬだろ。持って数十分ってとこだな」
和チカは小さく息を吐いた。この男の生き死にはあまり興味はない。
和チカの懸念は、命令が達成できないことだ。男が死ねば当然尋問はできない。八マナ児上席には、一時間以内に尋問結果の報告を求められている。これ以上の失敗は重ねられない。
和チカは覚悟を決め、腕まくりをした。内転の力で治癒できないのであれば、外から血を止めるしかない。
和チカは力を外典させ、医療用の布をふわりと宙に浮かした。そのまま傷口の真上に布を浮かすと、意識を脳漿の奥深くに沈めた。過去に一度だけ習った止血方法。開けたくない記憶の蓋をこじ開け、集中力を高める。
”解れ” ”母れ” ”なじむ” ”解け” ”着々” ”着着” ”チャクジャク” ”緩め” ”からむ” ”空メ” ”空目” ”あ暗く” ”反故れ” ”解れ”
浮かんだ布は蜘蛛の子を散らすように空中で解け離散し、傷口の中に消えていった。目を開け、外典の力を解く。完璧ではないが、概ねの出血は止まっていた。
サジ波ンが鋭い眼差しを向けた。
「気持ち悪りぃ治し方しやがってよぉ」
サジ波ンは不満げな表情で、隣のベットに思い切り飛び込んだ。彼はベットの反発を利用して立ち上がると、またベットに思い切り飛び込んだ。狂ったような勢いで反復運動を何度か繰り返すと、そのままの部屋から出ていった。和チカの治し方が、彼のトラウマに誘発したようだった。
和チカは、男と女を調査室に担ぎ入れた。彼らを椅子に座らせると、首の針を抜き、少し位置を変えて再び針を差し込んだ。
男と女はほぼ同時に目を開けた。首から下の体が動かないとわかると、首の稼働範囲を目一杯に動かし、それぞれが周囲を観察していた。
女が無表情に口を開いた。
「この世界線に来て二秒で死にかけるなんて、さすが不幸のスペシャリストですね」
男は血色の悪い顔で苦笑いした。
和チカは男女を一喝した。
「苦しめられて殺されるか、素直に吐いて希望を残すか、この二つから選ぶ権利を与える。お前たちの所在と目的を言え」
男は不可解な表情をしたが、素直に口を開いた。
「名前は、四方十蔵です。所在は、えー、都立名代病院の勤務医って言ってわかるかな。目的は、えー、説明が難しいな」
男が女の顔をチラリとみる。女は無表情の答えた。
「目的は、チート人間を成敗して世界を救うことです」
和チカはしばらく男女を見つめた後、部屋の壁の方に歩いた。
この調査室には窓はなく、四方を白壁に囲まれている。白壁には夥しい数の針が刺さっていた。和チカは、無数の針の一本を抜き、男の側頭部に素早く刺した。
内転した力を相手を殺さない程度に調節して針に流し込む。
戯言を聞いている余裕はない。
駆け引きする暇もない。
和チカはそれなりに手加減はしていた。情報を聞き出す前に死なれても問題だし、気絶されても本末転倒だ。それでも一般人なら命乞いする程度の激痛を引き越すに十分な力を流し込んだ、はずだった。
男の表情は変わらなかった。それどころか「針治療がこの世界の主流なんですか?」と軽口を叩く始末だ。
こいつ、訓練を受けているのか。
和チカは厄介な相手に舌打ちし、二本、三本と針を足していった。
それでも男の顔色は変わらない。いつのまにか流し込む力も全力になっていた。
合計八本の針を打ち込んだ頃、和チカの背中に嫌な汗が走った。
直接経絡に力をぶち込んでいる。
防御のしようがない痛覚刺激だ。
精神崩壊してもおかしくない苦痛。
どんなに訓練をしようが痛みの受忍限度には限りがある。
こいつ、痛覚がないのか?
和チカの焦りを他所に、男が飄々と質問する。
「あの、俺からも質問していいですか? なんで俺たちは捕まってるのですか? 何かこの世界の罪になるようなことをしたんでしょうか?」
「……ワチシを攻撃した」
「攻撃? 攻撃ってあの、道でぶつかったアレのことですか? すごいオーバーだな……いや文化の違いかな……あの、ぶつかったことはもちろん謝ります。でも攻撃とかそんなんじゃなくて、たまたまぶつかっちゃったというか、事故なんですよ。出てきた場所があの場所だったというか、なので攻撃の意思なんて全くないんです。ほんとにたまたまなんです。」
「たまたまで”ラク字”にぶつかれるか、弁えろ」
「ラクザってなんですか? あなたの名前ですか?」
和チカは激昂した。男の頭を軽く吹き飛ばせるだけの力を一瞬で左腕に溜める。内転した力が勢いよく体外に漏れ、"バリ"と呼ばれる雷に似た現象が左腕にまとわりつく。それでも男は警戒すらせず、和チカの力の輝きを不思議そうに見つめていた。
一瞬の膠着。和チカは大きく息を吸うと、力を閉じた。巾着袋から六角時計を取り出す。
焦るな、時間はまだある。和チカは腹に力を集中し、気持ちを鎮静化させた。
和チカは目の前の男を改めて観察した。
到底鍛錬を積んでいるとは思えない緩んだ顔つき。
覇気以前に、気配すら感じない力。
”ラク字”に捕縛されているにもかかわらず、危機感のない受け答え。
痛覚のないただの阿呆か、新手の刺客か。
和チカが思案していると、ラク字集落に警鐘が鳴り響いた。
数千の鈴を叩き起こすような大合音、”一番鐘”だった
和チカはすぐさま部屋を飛び出し、一番近くにあった窓から外に出た。空を見上げ”警報用の色字”を確認する。南南西の空に褐色の文字が燃えている。
『分分朝ジ家 来訪、至急 全員 本殿 集合』
和チカはそのまま本殿に駆け出した。