報われない怒りの矛先
「あなたの努力は決して報われない、納得した?」
彼女は微笑んでいるように見えた。十蔵は泣き笑いの表情で、弱々しく頷いた。
「あなたには選択肢がある。このまま希望のない世界で過ごすか、わたしと一緒に別の世界へいくか」
「別の世界?」
「そう、別の世界」
十蔵は隣で元気に動く移植ロボに視線を落とした。
「ここよりひどくなきゃいいけど」十蔵は弱々しく微笑んだ。
「ある意味ここよりも悲惨な場所かもしれない。ここではあなたがいくら努力してもあなたの望んだものは決して何も叶わない。でもその世界には、わずかながらの希望がある」
彼女は無表情で答えた。
「じゃあ幾分かましだ」
「希望と絶望はセット、そうとは限らない」
「なんだか哲学的なこと言うね」
彼女は無言だった。沈黙を嫌った十蔵は矢継ぎ早に質問した。
「そもそも君は何者なの? というか、何で俺の人生がこんな感じってあの時から知ってたの?」
「わたしは”観察者”、あなたの人生がこんな感じなのは、わたしも詳しくはわからない、でもそうなるとは知っていた」
「”観察者”って何? なんか喋り方がロボットっぽいけどIAの一種とか?」
「わたしは人工知能でもロボットでもない。喋り方は必要最低限の語彙に限っているから。必要なら人間らしい抑揚とバリエーション豊かな語彙に留意しますよ」
彼女はまず『観察者』について語った。
「観察者とは、文字通りにただ延々と、悠久にこの世界を観察しているだけの存在です。”三次元体”のあなた方からするとわたしは”高次元体”とも言えます」
「はぁ」
「そう、首を傾げないでください。なるべくバカにもわかりやすく説明しますから」
十蔵は、彼女なりの『人間らしい抑揚とバリエーション豊かな語彙』に少し傷ついた。
「あなた方三次元体には観察者を認識することはできません。そして観察者も三次元世界には干渉しません。言うなれば美術館の絵と鑑賞者の関係でしょうか。絵は鑑賞されていると知らないし、鑑賞者は基本的に絵に触れることはしない」
「干渉しないなら、君はなんで世界を観察してるの?」
「目的はありません。ただ世界を延々に観察する。それだけがわたしの存在意義です」
「”延々に”ってどのくらい?」
十蔵はさりげなく彼女の年齢をチェックしようとした。容姿だけ見れば二十代前半だ。
「さぁ、わたしには時間感覚がそもそもないので、時間に例えるのは難しいですね。強いて言え世界が存在すると同時に観察ははじまっています」
「全然話についていけないんだけど」
「高次元体である観察者には、三次元世界における時間と空間の制約はありません。つまり、時間制約がないので”始まり"もなければ、"終わり"もありません。故に観察者は、あなた方の感覚でいういわゆる不老不死なのです。そのため時間感覚がなく、どれくらい観察しているかに対する答えも自ずと難しいのです」
「もっとついていけなくなったんだけども」
「まぁ、わたしのことは”死なない監視カメラ”とでも認識しといてください。もうそれでいいです」
彼女は無表情に言い切った。十蔵はあからさまに諦められたので、深く傷ついた。
「その『監視カメラ』の君が、なぜ俺に干渉してるのさ、普段は世界を観察するだけで干渉しないんでしょ?」
「それはあなたが『世界の理』を壊しているからです。世界が壊れれば観察対象を失った『監視カメラ』のわたしも存在意義を失う。だからです」
「俺が? 『世界の理』を壊す? ただの勤務医の俺が、そんなドラクエの魔王みたいなことできるわけないでしょ」
十蔵は仕返しにとばかりに鼻で笑ってみたが、彼女の真剣な表情にすぐに引っ込めた。
「わたしが観察する世界、つまりあなた方の住む三次元世界はたった一つだけ”理”があります。それが『対』である事です。物質に対して反物質があり、すべてのエネルギーが発生と収束を繰り返します。全物質、全エネルギーがこの『対』の概念の基に成り立ち、『対』であることこそが、『世界の理』なのです』
「そんな壮大な理を壊した覚えはないけど」
「いいですか、生物の感情の起伏、人間で言えば喜びと悲しみ、幸福と不幸を感じる量も一切の例外無く『対』の理が適用されます。つまり幸福も不幸も必ず同じエネルギー量になり、最終的に相殺され、無に収束します」
「じゃあ、何? つまりは人間誰しも幸福と不幸の量は一緒ってこと?」
「端的に極論を言えば、そうですね」
「でも、一生不幸な人もいれば、一生幸福の人もいるでしょ。生まれながらの大富豪イケメンで一生勝ち組人生の人もいれば、生まれてきてすぐに事故で死んでしまう不幸な子どももいるわけで」
「確かに一生という極めて短い時間では、幸福一辺倒の人生もあれば、あなたのように不幸続きの人生もあるでしょう。しかし、”多元世界”の全体で言えば、必ず正と負は『対』となり、総量は同じになります」
「”多元世界”?」
「イチイチ、難しい顔で睨まないでください。”多元世界”というのは、三次元体のあなた方には馴染みのない概念ですよね。そうですね……厳密には違いますが、まぁ輪廻転生みたいなものを想像してください。人は輪廻転生を繰り返し、人生を何周かすると必ず幸福の量と不幸の量が『対』になり、同量となる。そして無に収束する」
「じゃあ、今が超絶幸福な人生だった人は来世はめちゃめちゃ不幸な人生を送るってこと?」
「そんなに単純じゃありませんが、極論を言えばイエスです」
「じゃあ、今現在進行形で超絶不幸な俺は、来世は薔薇色ハッピーな人生が待ってるってこと?」
「残念ながら答えはノーです。あなたは特例なのです。あなたは、前世も前々世も前々前世も、わたしが観察する限りにおいて永遠に願いが叶わない超絶不幸な人生を繰り返してます。来世もそうですし、この先もずっとそうです」
「そんなの不公平でしょ! だって『世界の理』は『対』なんでしょ? 幸福と不幸のエネルギー総量は一緒になるのがルールなんでしょ? なんで俺にだけ永遠不幸地獄なのさ!」
「だ・か・ら、あなたが『世界の理』を壊してるんです。あなただけが全宇宙、全世界線で唯一ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと不幸なんです」
「なんで俺だけずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと不幸なんだよ!」
「わかりません。なぜかあなたがずーーーーーーーーーっと不幸だから感情エネルギーが収束せず膨大な量の負のエネルギーだけが蓄積されています。この不均衡がこのまま続けは、どこかで世界は壊れてしまう、あなたの不幸が世界を壊すのです」
「じゃあどうすればいいのさ」
「幸せになってください、と言ってもこの世界ではその願いは決して叶いません。だから別の世界に行きましょう、正確には別の世界線へ、です」
「そこにいけば俺は幸せになって、万事解決ーーー」
「いえ、そこでもきっとあなたは不幸でしょう」
「そんな無慈悲な!」
「ここからはわたしの仮説ですが、その世界線にはあなたの永遠の不幸、いうなれば不幸のループを利用している人間がいます。その人間は本来あなたが得るべき正のエネルギーを自分の力として使っている可能性があります」
十蔵のしかめ面を確認して、彼女は言葉を付け加えた。
「よく異世界モノと呼称される物語あるでしょう。その物語の中では、何の努力もしていないのに膨大な力や素晴らしい能力を得て、特に見合う努力もしていないのに都合よく英雄になったりハーレムを作ったりするでしょう」
「ああ、小説とか漫画で見るチート能力とか言うやつ」
「そう、あなたを連れていきたい世界線にもそんなチート能力を持つ人間がいます。彼らはなぜか大した何の努力もせず、何の対価も払っていないのに分不相応と言える圧倒的能力に恵まれた人間たちです。わたしは彼らの力の源泉が、あなたの不幸ループであると思っています」
「つまり、そのチート人間たちを止めればーーー」
「そうです。彼らを止められれば歪に蓄積されたエネルギーは『対』の理の中に戻り、あなたもハッピー、世界も正常になりハッピー、文字通りのハッピーエンドになる、というのがバカにでもわかるよう私の仮説説明です」
「最後の一言で、また少し負のエネルギーが溜まったんだけど」
「焼石に水ですので、どうぞご心配なさらず」
部屋で稼働していた移植マシーンが動きを止めた。どうやら手術が終わったようだ。ハッチが開き、中から患者が出てきた。移植の終わった新品の腕を満足そうにぐるぐるとまわしている。
十蔵は一瞬焦ったが、昔々に彼女がファミレスで説明してように、他の人間には彼女は見えていないようだった。
十蔵は次の手続き案内をして、部屋から出ていく患者を見送った。
「とりあえず職務も全うしたし、早速行こうか。次の世界線ってとこに」
「ではまず、本気でわたしの存在と、今の話を信じてください」
「もう信じてるけど」
「いいえ、あなたはどこかで疑っている。本当に信じたのであれば、わたしは真の意味でこの世界に干渉したこととなり『観察者』ではいられなくなります。つまり、わたしの存在は、時間と空間の制約され、あなた方と同じ三次元体として実体化しているはずなのです」
「はぁ」
「本気で信じてください。わたしにはそれしか言えません」
十蔵は目を強く瞑ってみた。最初は彼女を心の底から信じる努力をしていたが、自問自答の末に行き着いたのは怒りの感情だった。
医者になるため文字通り血反吐を吐く努力をしてきた、記憶には無いが彼女の説明が確かなら、自分は前世も前々世も前々々世からずっと前からも、こんな人生を繰り返してきたのだろう。
これまで何千回報われない努力に何度唇を噛み締めたのだろう、何億回自分の運命を呪い、何兆回訪れる不幸に泣き腫らしたのだろう。那由多の不条理に、何度膝を折ったのだろう。
この何重にも折り重なった苦渋の歴史を踏み台にし、分不相応な能力を我が物顔で振るう人間がいるらしい。彼らはきっと涼しい顔をして、英雄を気取り、天才を気取り、大した汗もかかずゲーム感覚で偉業を成し遂げ、その世界でほくそ笑んでいるのだろう。
人の気も知らないで。
十蔵は始めて殺意の熱を腹底に感じた。熱は次第に顔まで上がり、目を開くと彼女が自分の額を十蔵の額に押し当てていた。
次の瞬間、体がなくなるような、床が抜けるような感覚に陥った。
「脳梁の形をイジりました。もうあなたとわたしはこの世界の物理事象に関与できません。代わりに、別の世界線の物理体として具現します。落ち着くまではじっとしててください」
十蔵は彼女の言葉の意味を考えるのをやめ、まだ見ぬ怒りの矛先に胸を躍らせた。