あがけども、あがけども
十蔵の医者になりたいとの思いは尋常ではなかった。医者になることが自分の全存在価値であり、医者を諦めることは死と同等とさえ思っていた。これまでも十二分に波乱であった十蔵の人生は、ここから更に捻れていく。
【浪人一年目の結果:受験断念】
受験日二日前、漏電した洗濯機に触れ五日間の昏睡状態となる。回復したものの、その年の受験機会を逃す。十蔵はこの年から電気機器に触れる際には絶縁手袋の着用を徹底した。
【浪人二年目の結果:受験断念】
受験日前日、極度のアレルギー反応にて失神。目覚めた時にはすでにその年の受験は終わっていた。原因究明の結果、前日に食べた栄養補給食が原因と判明。製造上の過失により含まれるはずのないアレルギー成分が多量に含まれていた。十蔵はこの年から既存加工物は一切口にせず、信頼できる農家からの野菜と卵のみを使用した自炊生活を徹底した。
【浪人三年目の結果:合格取消し】
世界で大流行した感染症を患う。大学側は、感染で受験できなかった受験者に追試措置を実施し、十蔵は追試でトップ成績で合格を果たす。しかし、追試の試験内容が事前に漏れていたとの報道が拡散。漏洩範囲が特定できないことから、大学側は追試合格者全員を取消扱いとした。
【浪人四年目の結果:受験断念】
受験日当日、道中の電車内で痴漢に間違われる。十蔵は弁解を重ねたものの複数人の目撃者がいたため、長時間の現場勾留を強いられる。後ほどの捜査で、受験生を狙った愉快犯グループの犯行と判明し、十蔵の無罪は立証された。しかし、不運にもその年の受験機会を逃す。十蔵は、この年からタクシーで受験会場に行くことを決めた。
【浪人五年目の結果:受験断念】
受験日当日、乗車したタクシーが軽トラックとの右折接触事故を起こす。タクシーの後ろ右側部にトラックが突っ込む形となり、車内同位置に着座していた十蔵は全治三ヶ月の診断を受ける。搬送中の救急車で一時意識を取り戻した十蔵は、受験会場へ行かせてくれと懇願した。次に十蔵が意識を取り戻したのは、試験が終わった4日後だった。この年から受験会場近隣のホテルに前泊し、徒歩で受験会場へ行くことを決めた。
【浪人六年目の結果:受験断念】
受験日前日に宿泊したホテルが火災事故に遭う。居合わせた十蔵は就寝中であったため、睡眠中に一酸化炭素中毒で意識を失う。十蔵は消防により救出されたが、意識不明状態が8日間続き、その年の受験機会を逃す。十蔵は、この年から自宅から20km以上ある受験会場まで、当日に徒歩で向かうことを決めた。
【浪人七年目の結果:受験断念】
日本を取り巻く国際情勢が緊迫化。第四次世界大戦勃発前夜との論調が世界中を駆け巡る。日本も既存予算を限界まで切り詰め国防力強化に最大の努力をした。十蔵の志望する国防医大はその煽りを受け、学費全額免除措置が一時廃止された。学費全額免除が医大へ行くための絶対条件だった十蔵は受験を断念。十蔵は、この年から受験よりもまず学費を先に捻出することに注力した。
【浪人八年目から十年目の結果:受験断念】
十蔵は医大受験を一時中断し、学費捻出に注力した。これまで無職だった八浪生の十蔵にとって、短期に高額の医大学費を稼ぐ方法は皆無だった。十蔵は稼ぎの良い分野での起業を目論んだ。
この頃、国際情勢は日々緊迫化し『新しい戦前』と呼ばれる時代になっていた。軍事、インフラ分野への投資と比例したAI技術進歩は凄まじかった。十蔵は持ち前の努力量で一からAI技術を学び、分散型AIコミュニケーションにおける通信プロトコルの改善技術を独自開発、特許を取得した。起業からわずか二年後、特許技術に目をつけた大手通信会社が十蔵の会社を特許ごと購入、バイアウトを果たす。十蔵は学費を捻出した。
【浪人十一年目の結果:合格】
これまで学費の問題から国防医大受験のみに絞っていたが、自費で学費捻出したことで他の医大にも受験対象を広げる。この年、十蔵は複数の医大を受験。受験日前後にトラブルに巻き込まれ受験を逃す大学もあったが、無事受験できた大学もあった。結果として受験した医大には全て合格。その中でも最難関と呼ばれる医大に入学を果たす。十蔵は浪人十一年目にして遂に医大生になる。
【医大生時代】
十蔵の人生にしては珍しく、特に大きなトラブルなく医師免許を取得。
世界情勢としては、多難の時代ではあった。
長年続いた冷戦状態で大国同士が更に疑心暗鬼になり、軍備拡大に拍車がかかった。各国が無尽蔵とも言える軍事産業投資を行なった結果、AI、バイオ生体、および素材工学が技術的特異点を迎えていた。
【薬学研究科修士課程】
薬学でより多くの人間を救いたいと、十蔵は薬学研究を志した。修士課程ながら、類稀なる努力で研究を重ねた結果、難特性ガンダリ症という難病の特効薬を開発する。担当教授は十蔵を手放しに褒めた。
十蔵の快挙から数日後、米国の研究機関から超極小の有機マイクロチップの一般実用化が発表される。この超極小の有機マイクロチップを血液内に常駐させることで、感染症などの外的ウイルスはもちろん、癌や生活習慣病、血栓などあらゆる身体的不調を未然にオートで治癒を可能したとの報告であった。
人類は、このマイクロチップのおかげで脳寿命による老衰以外、病気で死ぬことが理論的にはなくなった。
十蔵の特効薬は、臨床試験すら迎えることなく、役目を終えた。
【外科研修医過程】
十蔵は時代の潮流を受け入れ、ER(緊急治療室)の外科医に進路を変更した。いかに人類が病気を克服したとはいえ、不慮の事故による身体損傷には未だ医者が必要だからだ。持ち前の努力量で外科技術を磨き続けた十蔵は、研修過程ながら手術アシスタントとして重宝されるまでになっていた。
時を同じくして、ドイツの産業機器メーカーよりユニバーサル生体スペアパーツの発表がされる。
ユニバーサル生体スペアパーツとは、SPI細胞技術とAIバイオ生体技術を組み合わせた人工人体パーツで、端的に言えば拒絶反応のない人工移植用臓器だった。
彼らは、人工移植用臓器開発に合わせフルオートの移植手術のロボットも開発しており、すでに臨床試験をいくつか終えていた。
これらの技術革新によりここから二年後には安価に、迅速に、破損した臓器や四肢を人工パーツに交換できるようになった。人間は、即死事故以外では死ななくなった。
十蔵が研修期間を終え晴れて一人前の医者になる頃、医者の仕事といえば、形式的な書類仕事と手術ロボットの見守り、そして堕胎手術くらいしかなくなっていた。
病気と事故を克服した人類は高齢でも元気で死ななくなった。そのため、先進首脳各国は出産制限政策を国際的に推し進めた。その影響で堕胎手術件数は激増し、皮肉にも堕胎手術だけは、倫理上の理由で人間の医者のみが施術を許されていた。
十蔵が外科研修を終える頃、命を救う仕事だった医者は、『子ども殺し』として蔑まされる職業に堕ちていた。
【現在】
都内の某国立病院。
十年ほど前までは病人や怪我人でごったがえした待合室だったが、今は数えるほどしか人影がない。診察を受けるのは機械なんて信用できない偏屈者か、避妊に失敗した人間たちだけだ。
十蔵は緊張感のカケラもなく手術室の椅子に座っていた。
横で元気に稼働する移植ロボットをひと撫でする。フルオートなので患者の施術終了までやることは何もない。暇つぶしに求められてもいないパラメータを丁寧にチェックをする。今日も異常はない。多分明日も異常はないだろう。明後日も、明明後日もずっとそうだろう。喜ぶべきことだ。喜ぶべきことなのだ、と十蔵は自分に言い聞かせた。
持て余す時間の中で、脳裏にふと記憶が蘇った。ドリンクバーだけで粘り、ファミレスで必死に勉強していたあの頃の記憶。十蔵はニヒルに自分を笑った。そして、目を強く瞑り、大きく息を吐いた。
「どんなに努力しても、願いは叶わない」
独り言にしては大きい声が、誰もいない手術室に反響した。十蔵はまた自分を笑い、視線を前に戻した。
目の前に彼女がいた。十蔵はあの時のままで現れた彼女と、泣いている自分に驚いた。