絶望予告
"真夏の女神"に見つめられ、十蔵は固まった。
「あなたは自分の人生についてどう思う? 普通? それとも異常?」
十蔵は黙った。美女に見つめられているから、という理由だけではない。
言葉にできるほどに自分の人生は面白くもない、そう思ったからだ。
四方十蔵とは、普通の医大浪人生である。
本人はそう思っていた。
しかし、一般的に見れば十蔵の人生は普通ではなく、どちらかと言えば波乱万丈、異常な人生遍歴だと評されてよいものだった。
十蔵が物心つく前に、十蔵の両親は他界していた。二人とも病気だった。
十蔵は母方の祖母に預けられたが、祖母は十蔵の両親の生命保険を持ち逃げして蒸発した。
その後十蔵は施設に預けられた。施設での扱いはそれなりに酷かった。
齢11歳の十蔵は立て続く不運に、さすがにグレてやろうと思い立った。
施設の窓ガラスを全部割ってやろうとしたが、一枚目に割ったガラスで誤って手首を切り、出血多量で死にかけた。
盗んだバイクで逃げ出そうとも試みたが、道半ばで盗んだバイクを盗まれた。
喧嘩でもしてやろうと思い、コンビニで屯していた不良に挑んだが、喧嘩になる前にナイフで刺されて重傷を負い生死の境を彷徨った。
齢12歳の十蔵はグレるのを諦めた。
十蔵は自分の将来を真剣に考えてみた。
自分は何者になりたいのかを一日中寝ずに考えてみた。
医者になりたい。十蔵は真剣に悩んだ結果、心からそう思った。
両親を病気で失った事、そして二度も医者に命を救われた影響だった。
経済的状況が厳しい十蔵にとっては、学費が免除される国立国防医大の入学が医者になる絶対条件だった。
12歳の十蔵は、18歳になるまで6年間をほぼ机の上で過ごした。
一年前の、十蔵が高校三年だった冬。それまで積み重ねた努力の甲斐もあり、事前模試の結果は余裕の合格圏内だった。青春のほぼ全てを勉学に費やした十蔵にとって当然といえば当然の結果だった。
大学入試シーズン本番。一次試験を難なく突破し、二次試験迎えた。
二次試験当日、十蔵は左足を粉砕骨折する。
受験会場へ向かう道中の出来事だった。駅のエスカレーターに靴紐を巻き込まれたのだ。
気づいた頃にはボキボキとけたたましい骨音がオーケストラのように体内に響き渡った。履き潰してボロボロだったスニーカーが功を奏し、靴布を引きちぎり巻き込まれた足をどうにか引き抜けた。しかし、巻き込まれた左足は赤黒く変色し、踝から下が見たこともない方向に捻れ曲がっていた。
十蔵はひしゃげた左足を引き摺り、前に前にと歩いた。それでも受験会場に向かっていた。
道中コンビニで買った傘を松葉杖代わりにし、凍結した路面に傘の先端を突き刺し、エベレストの尾根を歩くような遅々たるスピードで、痛みに捩れる体を無理やりに押し進めた。曇天の空と同じ顔色から大量の脂汗が滴った。
受付時間締め切り寸前に、十蔵は受験会場にたどり着いた。
緊張で青ざめる他の受験者に紛れ、満身創痍の十蔵はどうにか席についた。
しばらくして試験が始まった。
筆記具を持つ手がブルブルと震える。心が軋むような痛みを気力だけでねじ伏せていた。気を抜くと、極度の眠気が襲いかかる。精神力を超えた身体の叫びだった。
定期的に遠のく意識に唇を噛み締めた。ただ眼前の問題に集中した。
十蔵の記憶にあるのは三科目目の途中までだった。十蔵は筆記用具を硬く握りしめたまま、気絶していた。
気がつけば見知らぬ天井だった。「受験会場が医大でよかったな」と処置をしてくれた人間に言われた。十蔵はお礼を言うと持ってきていた参考書を開いた。来年に向けての受験勉強を始めていた。
そして今、十蔵は深夜のバイトを掛け持ちしながら昼はファミレスで受験勉強に励んでいる。
十蔵はこれまでの人生を振り返り、アレコレ考えてみたがやはり適切な言葉は浮かばなかった。
彼女は十蔵の答えを諦めて、別の質問を投げかけた。
「あなた、将来やりたいことある?」
「医者です。俺は医者になります」十蔵は即答した。
「じゃあ、それにはなれない」彼女も即答で返した。そして「絶対にね」とも付け加えた。
あまりにも唐突で失礼な言葉に十蔵は呆気に取られた。彼女は気にする様子もなく会話を続けた。
「正確に言うと、あなたが医者になれる確率は限りなく低い。仮に途方も無い努力で医者になれたとしても、あなたのなりたい医者には絶対になれない、必ず願いは挫かれる」
十蔵は暴論に一瞬憤ったが、落ち着いて反論した。
「どういう意味か俺にはわかりませんが、俺は医者になります。才能がないって言うのなら、それを補うだけの努力をします」
「あなたの努力量は関係ない。極論すれば、仮にあなたが世界一才能に溢れ、世界一努力した人間だとしても、あなたの願いは決して叶わない。そういう因果にある」
「全くもって納得できません」
「あなたが納得できないのは理解する。今はまだ希望が邪魔をしている。自分の力を信じて邁進するあなたに"絶望"を理解してもらおうなんて思わない。でも、もしーーーもしも、この先あなたが絶望し、わたしの言葉に納得するようであれば、呼んでほしい」
「呼ぶ?」
「そう、『どんなに努力しても、願いは叶わない』。そうはっきりと口に出して呼んでほしい。わたしはまたあなたに会いにくる」
十蔵が次の質問を口に出した時には、目の前の女神は消えていた。
白昼夢だったのだ。十蔵は数日間考え、そう結論付けた。受験に集中するため、無理やりにでも自分を納得せざるおえなかった。
猛暑が終わる頃、受験の多忙さで彼女との不思議な記憶は次第に薄れていった。