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常識の外

四方十蔵はいつものファミレスの角席に座った。暇時を狙ったので店内は閑散としている。着席と同時に呼び出しボタンを押す。定員を待つ束の間で、テーブル上のメニューや銀食器を丁寧に端に片づける。


本当なら直ぐに参考書やらノートやらを広げたかったが、いかにも勉強しますという雰囲気をはじめから出したくなかった。ドリンクバーの注文を済ませ店員が捌けたのを見計らうと、参考書をコソコソと取り出した。


これから長丁場の頭脳酷使がはじまる。十蔵は目を瞑り、息を深く吐いた。

薄らと開いた目を参考書に落とす。十蔵の深い集中は一瞬にして外界を隔絶した。雑音だらけの世界で、十蔵の鼓膜には走るペンの音だけが弾んだ。


どれほど時間が経っただろうか、十蔵はふと視線を上げた。


目の前に女性が座っていた。


十蔵は驚いた。「ホンッ!」というこれまで出したこともない声を出した。


あたりを見渡す。相変わらず店はガラガラだ。もちろん相席の必要性などもない。十蔵は身構え、素早く脳内会議を始めた。


今どき断りもなく相席する人がいるだろうか。

いつから彼女は座っているのだろう。

音も気配も感じなかった。

それだけ自分が集中していたのだろうか。

集中はいいことだが、生き物としては危機感が足りなすぎないか。

ここ最近、国際情勢もキナ臭く、治安も悪化している。突然背後でテロ行為が起きて、勉強してて気づきませんでした、逃げ遅れてそのまま死にました、では笑い物だ。

いや、意外とそうでもないのか。

暴力に屈さず、勉強し続けて死んだなんて日本人が喜びそうな美談じゃないか。

案外、二宮金次郎のように讃えられて、銅像が立つかもしれない。

そういえば、日本教育における勤勉さの賛美は戦後レジームのーーー



異常事態が起こると自問自答をするのは十蔵の癖だった。


延々と続く脳内会議を閉幕させ、十蔵は目の前の女性を節目がちに見た。

「あの……」

そう声を出してみたはいいが、言葉が続かない。十蔵がもじもじしていると、目の前の女性が口を開いた。


「君から話しかけない方がいい。変人だと思われる」


十蔵は息を呑んだ。

"変人とは何の断りもせず相席をしたあなたの方では?"、との憤りからではない。

目の前の女性が素晴らしく美しかったからだ。全神経を視神経に集中させるほどに、彼女は容姿飛び抜けていた。


十蔵は美しさに焼かれた脳みそを再起動し、「あの」と性懲りもなく言った。その後はコイのように口をパクパクするだけで、言葉が続かない。


女性は涼しい顔で、窓の外をチラリと見た。燦々と輝く夏のアスファルトが彼女の美しい顔を照らす。


"ミッドサマーアフロディーテ(真夏の女神)"


十蔵は心の中でそう呟いた。

十蔵は頭は良かったが、ネーミングセンスがなかった。


十蔵は、この突拍子もない状況について考え始めた。


この状況は何だろう。

何かのドッキリ企画だろうか。

美人局かも知れない。

勉強の多忙さでおろそかになっていたマスターベーション不足による性的な幻覚だろうか。

受験ストレスによるメンタルブレイクの可能性も考えられる。

実はまだ自分はベットで寝ていてただの夢オチなんてベタなことかも知れない。


数秒で考えられる可能性を脳内に列記したが、どの答えもしっくりこない。


突然美女に相席されえた。


ありそうでありえない小さな非日常。そんな些細な異常一つで人は簡単に狼狽えるものなのだな、と十蔵は無理やり落ち着いて俯瞰してみたが、動悸は依然として16ビートを刻んでいる。


"真夏の女神"は人差し指をゆっくりと唇に当てた。

「これからあなたを説得するために、あなたの常識を壊す。手で口を押さえたほうがいい。驚いて大きな声がでるといけない」


訳がわからなかった。しかし、なぜだか彼女の言葉には重厚な説得力があった。十蔵は素直に指示に従い、"言わ猿"の如く両手でガッチリと口を塞いだ。


彼女の容姿が揺らぎ始めた。まるで水面の景色が波紋で波立つように、まるで蜃気楼に見る光屈折のように、彼女のシルエットがゆらゆらと歪み、崩れていく。


十蔵は最初自分の目に異変が起こったのだと思った。二秒ほど自問自答し、そうではないとの結論に達する。なぜなら彼女以外に見える景色は全て正常で、揺らいでいるのは彼女だけだったからだ。


彼女の容姿は揺らぎながら、溶かした絵の具のように消失し、それが逆再生するように再び姿を現した。


現れた彼女の姿は完全に別のものになっていた。先ほどまでの"真夏の女神"は、ボディビル大会常連のようなはちゃめちゃマッチョマンになっていた。


驚く間も無く、彼女の姿形は変わり続ける。筋骨隆々の男から枯葉のような老婆、老婆から髭を蓄えた紳士風の男性→ふくよかな体型の中年女性→中肉中背のサラリーマン→ギャル風の若年女性→痩せた優男→仙人のようなお爺さんなど、まるでスライドショーのように次々と移り変わっていく。


十蔵は口を押さえるのも忘れ、その様を呆然と見ていた。

しばらく容姿変化が続いた後、彼女はまた元の"真夏の女神"に戻った。


"真夏の女神"は口の形が"あ"の状態でフリーズした十蔵に話しかけた。


「わたしは、幻覚でもないし、トリックやマジックでもない。あなたの頭は狂っていないし、目も正常に機能している。私はあなたの『常識の外』からきた。ここまで飲み込める?」



十蔵は口の形は"あ"のままに、自問自答モードに入った。


彼女は何を言ってるのだ。

否、彼女は"彼女"なのか。

性別どころか、人間であるかも不確かだ。

いや、超常的な現象だと決めつけるな、思考停止するにはまだ早い。

まずは『常識の内』の可能性を探るべきだ。

洗脳、視覚異常、薬物や精神異常による幻覚の可能性。これらの可能性はある。

だが今確かめる術がない。一旦パス。

ハイテク技術を使ったトリックの可能性。この可能性も大いにある。

つまり次世代型の空間プロジェクション、3Dホログラムの可能性だ。

これらを使用するには、機器がどんなに小型薄型化されていようが、電源が必要だし、ホログラム投影するための光源体がどこかにあるはずだ。


十蔵は机の下や周辺をくまなく調べた。しかし、何もなかった。

どこか隠れた投影機からの光を遮ろうと、彼女の周りの空間を手で遮ったりしてみた。

しかし、彼女の姿形に変化はない。


その後も思いつく限り一通り調べたが、不審な点は見つからなかった。


「あの、触れても?」十蔵は恐る恐る彼女に尋ねた。

「どうぞ、どこでも、好きなだけ」彼女は答えた。


十蔵の心臓は疑念と下心で爆速のビートを刻んだ。触れたい箇所はいっぱいおっぱいあったが、十蔵は持ち前の理性で自欲を制御し、小指にちょこっと触れた。


一切の感触はなかった。はっきり見えるのに触れられない。透き通ってしまう。


やはり次世代の3Dホログラムのようなものなのだろうか。

いや彼女が最新鋭のホログラムだとしても、あまりに高解像度過ぎないか。

360度どの角度から見ても、実物の人間と遜色がない。

それに光源を発する機械や電源供給路も見つからない。


十蔵はついに諦めた。十蔵が思いつく限りではあるが『常識の内』である可能性は低そうだと結論付けた。


この状況を"疑え"ばキリがない、一旦状況を受け入れ、より多くの情報を彼女から引き出すべきだ。十蔵は思考の軸を"疑い"から"確認"に切り替えた。


十蔵は慎重に言葉を選んだ。


「あの、他の……俺以外の人からはあなたはどのように見えてるんです?」

「見えてない。いや、厳密に言うと見えてるけど塵くらいドットとして認識されてる。今のわたしはあなたの焦点視野で結像する多層界レイヤーの2次元体で構成されている。他の人には肉眼で見えないくらいの一次元形態でしか認識されない」


十蔵は、彼女の説明の一割も理解できなかったが、言葉の意味の解明に意味はないと思った。要はHOWではなく、WHYの解明が必要なのだ。


「あなたの目的は何ですか?」


彼女はごく僅かに口角を上げた。


「良い質問。でも答えるのが難しい。答えたく無いわけじゃなくて、今答えても君が飲み込めないという意味で答え方が難しいって意味。順を追って話そう。先にあなたの話をしないか?」


「俺の話?」


「そう、あなたの話だ」


彼女は右眉だけをクイっとあげて、十蔵の瞳を覗き込んだ。触れられないと分かっていても吐息を錯覚してしまうほどの近距離だ。


十蔵は念の為に呼吸をゆっくりと止めた。


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