ハリマキ・405と分分朝ジ家
見渡す限りの一大渓谷に、龍のような大河が流れ込む。
河の水は谷底に落ちる前に霧散し、雲となり消えていく。
裂けた大地の隅々には赤黒い鉱石が鈍く輝き、大型の鳥類がその間を飛び交った。
分分朝ジ家の本邸は、【朱字の谷】と呼ばれる大渓谷に浮かんでいた。
ハリマキ・405は渓谷上空にポツりと浮かぶ本邸を眺めていた。彼の滞在する客人用の別邸の窓からは、本邸の有り様がよく見える。
朝焼けで染まる雲海から本邸の屋根が顔を出す。朱色に霞む姿は、天神人の棲家のように神々しい。御天閣の異名は伊達ではないなと、ハリマキは素直に認めた。
ぼんやりと景色を愛ていたハリマキだったが、突然に立ち上がった。結露した窓ガラスを袂で拭き、顔を押し当てる。
分分朝ジ家本邸、朝日が差し込む広大な園庭に、男が颯爽と歩いている。従者を引き連れ外出の支度をしていたのは、【渦中の男】”グリマグス1形”であった。
ハリマキは今すぐ支度を整え、同行を申し出ようと思案した。
しかし、直ぐにグリマグスは激しい轟音を鳴らし、閃光の如し走術で空へ駆け上がっていく。
(俺の鈍足では間に合うまい)
早朝から監視業務に精を出した甲斐もなく、ハリマキには睡眠不足で鈍った頭だけが残った。
ハリマキは人差し指でこめかみを突き、”自計の術”を使った。
(明星の葉栗…朝5時半頃か)
ハリマキは時計嫌いで、時代遅れの術を好んで使う物好きだった。”家の主人”からは「三十路も過ぎぬくせにジジイの様だ」とよくからかわれた。
赤茶色の髭をひと撫ですると、顔を洗いに洗面台に向かう。
今日は、月に一度開催される分分朝ジ家との朝食会であった。冷や水を頬に叩きつける。ヌルい顔をすれば、たちまちに分分朝ジや他の家に舐められる。その思いがより一層水の勢いを強くした。
ハリマキは、世界を統治する十家の一つ、”志道90家”の出自だった。
”志道90家”はここより西方にある【星の壺】と呼ばれる地域を統治している。
ハリマキは”調査卿”として、先月から分分朝ジ家に滞在していた。
朝食会は分分朝ジ家の本邸で行われる。
慣れない袴の着付けに手間取ったハリマキは、”傘”を特急で飛ばし本邸に着く。無愛想な術兵がいる大門をいくつか潜り、くるぶしまで沈みそうな赤絨毯の廊下を進むと、大広間に出た。広間の中央には【朱字の谷】の特産である朱赤石の巨大テーブルが鎮座している。
九人いる”調査卿”のうち、ハリマキ以外は既に着席していた。
遅れを取ったのを顔には出さず、ハリマキは静かに席についた。
大広間にいる誰も口を開かない。分分朝ジ家の支度ができるまで、息苦しい空気が流れた。
”調査卿”とは、言うなれば監視役である。
世界を統治する十家が、力の均衡を保つためにお互いに”調査卿”を配置し見張りあっている。その都合、十家全てに他の家から来た九人の調査卿が滞在している。
分分朝ジ家然り、ハリマキの”志道90家”にも、例外なく調査卿たちが滞在していた。
”志道90家”に滞在する調査卿たちは監視役とはいえ、他家を刺激しない様皆和やかに振る舞い、迎えるハリマキたちも時に頬を緩めて談笑することさえあった。
反して今の分分朝ジ家と調査卿たちの関係は、予断の許さない腹の探り合いだ。
これも全て【渦中の男】”グリマグス1形”のもたらした結果だった。
大広間の奥扉が開き、黒髪を丁寧に整えた少女が三人現れた。三人が三人とも同じ姿をしており、所作も同調している。
(気色が悪い)
ハリマキにとっては二度目となる分分朝ジ家の朝食会であったが、彼女たちの所作と見た目への嫌悪は拭えなかった。
三人の少女は、そのうち一人が分分朝ジ家の当主”ジャバルグザ 八七”であった。
他二人の少女と、屋敷奥にいるであろう残りの少女たちは、万が一に備えた【代用品】だ。代用品たちは何かあれば、瞬時に精神ごと転移され、新たな当主の器となる。
この所業には、分分朝ジ家が生来得意とする内転力を応用した技術の粋が駆使されており、肉体改造、身体操作、そして洗脳教育の賜物でもあった。
ハリマキは彼らのやり方を深く嫌悪し、彼女の容姿も気に入らなかった。
(見た目は若女だが、中身はいざ知らず…何度目にしても気色が悪い、辛抱ならん)
老いを美徳とする志道90家の文化もあり、ハリマキと”分分朝ジ家の文化”は相容れなかった。
分分朝ジ家の治める地域には、肉体成長を無理やり止める風習が深く根付いている。当主のみならず、この地域の人間は内転力の発現と同時に成長を停止させる。そのため力の発現者は見た目では実年齢がわからなかった。
「皆様、良い朝をお迎えできましたか?」
三人の少女が同時に喋る。三人の間には微妙なズレがあり、ハリマキは聞き取るのに慣れず難儀した。
「ハリマキ氏は、滞在されて一月でしたか。分分朝ジの家の暮らしや朱字の谷の風土には慣れましたか?」
内心を見透かされた様な突然の質問に、ハリマキは急ごしらえの笑顔で頷いた。何かを返そうと口を動かすが、言葉が続かない。
この一瞬の間を縫って、他家の調査卿が口を開く。
「ご当主、今朝方に一形様がどこかへ飛んでいかれるのをお見かけしましたが、どちらへ?」
早朝から監視業務に精を出していたのはハリマキだけではなかった。
「まずは、朝食を頂きましょう。お話の続きはそこから」
絢爛豪華な調度品に似合わない、実に質素な食事が朱色のテーブルに運ばれる。水の様な粥、煮込まれすぎて形を無くした野菜の汁、たったそれだけだ。ハリマキは先ほどの事も相まって苦々しく食事を見つめた。
この朝食だけではない、分分朝ジの人間は年がら年中これと同じ様な食事をしている。内転力の維持に”流れの良い”食事は必要だが、それにしても常軌を逸している、とハリマキは隙間だらけの腹に不満を溜め込んだ。
「先ほどのご質問にお答えします。グリマグス1形は、ラク字へ赴きました」
三人の黒髪の少女は同時に言った。
「何用ですか?」
先ほど質問したのと同じ調査卿が追問をする。
「グリマグス1形は、ラク字と他の術集落との再編成を指揮するために、ラク字へ赴いたのです」
テーブルの調査卿たちが一斉にザワついた。分分朝ジ家お抱えの武力組織”ラク字”。彼らは一昨年度も他の術集落と統合再編されたばかりだった。
「ラク字は、一昨年にア桜字という術集落と再編したばかりではなかったですか? 何故そのような再編を立て続けになさるのですか?」
三人の少女は、少しズレながら全員がニンマリと笑った。
「皆様のご心配に及ぶことはございません。もちろん【三百協約】は遵守いたします故、気を張らないで頂きたい」
調査卿たちの内心穏やかではなかった。問い詰めたいのは山々であったが皆、当主の語気に気押され黙るしかなかった。不躾な質問で当主の気を逆撫でれば、動きづらくもなる。それぞれの腹内が渦巻くなか、ハリマキだけがまっすぐに当主の目を見定めていた。
「もちろん【協約】も大切ですが、隣国におる私ども”志道90家”からすれば、かの大戦で大暴されたラク字がこうも立て続けに再編となれば、いささか緊張もいたします。我が家はなにぶん小心者の集まりなもので」
ハリマキは大きな笑みで口元を歪ませたが、目元は微動だにさせなかった。
当主のジャバルグザも眉ひとつ動かさず、ハリマキに微笑み返した。
「あなた方の調査卿のお役目は【三百協約】の遵守を監視することでしょう? ”他のお家事情”にも興味がおありであれば、ぜひ調査卿をお辞めになって野良の間者としてお越しください。その時は”全身全霊で”対応させていただきますので」
「ご冗談を」
ハチマキは笑顔を貼り付けたまま、握りしめた匙で水の様な粥を啜った。
【十家間術法管理平和条約】、通称【三百協約】。
幾度とない大戦を経て、十家の間で取り交わされた不可侵条約である。各家々は三百以上の術兵を持つことが許されない。
協約違反が発覚した場合、即時に超過術兵の破棄が命じられる。応じなけれ他九家からの総攻撃、および家の取り壊しが完遂される。
三百年前、最後の十家大戦の後にこの協定が発布された。それ以降に十家間での戦争は発生しておらず、”平和条約”は名実共に機能し今日の世界調和の基盤となっている。
各国から派遣された調査卿たちは【三百協約】の監視が業務であるが、昨今は保持される三百の術兵練度の監視と強度査定が主な役目となっている。
三百人の術兵総力こそが、家そのものの武力であり、どこかが突出した武力を持てば力の均衡が破られかねない。他家に警戒されないように緩やかに、そして決して遅れを取らず力を蓄える。それぞれの家の強かさと絶え間ない疑念が繊細な力の均衡を作り出し、今の平和が成り立っていた。
数年前まで分分朝ジ家は比較的穏やかな術兵強化を図り、【三百協約】に照らし合わせれば優等生の部類であった。
状況を一変させたのはグリマグス1形。ハリマキ含め各家の調査卿からは、【渦中の男】と呼ばれている。
千九百年の戦乱時代に積み上げられた死体の山。その山頂にようやく築いた力の均衡と平和。
それが今、歪み始めていた。
歪みを生み出す渦中の人間の一人、それがグリマグス1形だった。
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大広間にいるのは、九人の調査卿と分分朝ジ家当主を含む三人の少女。ハリマキと当主の問答の後には、食器の擦れる音だけがだだっ広い空間に響いた。
「噂をすれば」
三人の少女たちが同時に食事の手を止めた。
大広間の観音扉が開き、男が入ってくる。黄金と黒の混じる長髪を束ね、純白の羽織を流れるような所作で使用人に預けた。
「随分静かな食事会ですね」男は部屋に入ると同時に言い放った。
「あなたの話で盛り上がった所ですよ」少女たちが微笑む。
「それは嬉しい」
グリマグス1形は当主の席に近づくと、少女の一人に耳打ちをした。息を呑んで見守る調査卿たちにグリマグスは微笑んだ。
「聞きたい?」
調査卿は自分たちを軽んじる態度に拳を固めながら、ぎこちない笑顔を維持した。
「いい機会だからこの場で正式にお知らせしようかな」
グリマグスは当主に目配せすると、三人の少女は同時に頷いた。
「ラク字が、他集落との統合再編の話を受け入れました。つきましては、翌の月に術兵選抜のための擬戦を執り行います。詳細は追ってお伝えいたしますが、各家々への伝達をお願いします」
グリマグスはイタズラな笑顔で「あとで聞いてなかったなんて言って、文句言わないでよ」と付け加えた。
「規模は! 規模はどの程度に?」
ハリマキが声を張り上げた。
「300対300の総力戦。この擬戦で力を示した上位300を新生ラク字として再編し、正式承認する予定です」
調査卿たちのどよめきを他所に、グリマグスは給仕から受け取った水に艶やかに口をつけた。
「よくまとめてくれましたね。しかもこんなにも早くに。反発はなかったのですか?」
当主が声を合わせてグリマググスを労う。
「色々と言ってくる人もいましたが、支障は無いでしょう」
グリマグスがグラスを祝杯のように傾ける。
「その、『色々と言ってきたもの』はどうなりましたか?」
グリマグスと当主の間に一瞬の沈黙が流れる。グリマグスは持っていたグラスをテーブルに置くと、困った様な笑顔でため息を吐いた。
使用人に大広間の窓を開けさせる。預けていた白い羽織を受け取り、次の瞬間にはグリマグスは爆音と共に空の彼方へ消えていった。
皆が呆気に取られた。この状況を当主にどう質問していいものかと思案していると、直ぐにグリマグスは窓から戻ってきた。
「その『色々と言ってきたもの』は焼かれた様です」
「そうですか、それは不運でしたね」
そう言うと、当主は静かに食事に戻った。
(あの一瞬で殺してきたのか)
ハリマキの背中に汗が流れた。
雷神の如き俊足で、瞬く間にラク字の術兵を焼き殺す。
”白虎雷神”グリマグス一形。
ハリマキは【渦中の男】の力と、その力をこれみよがしに見せつける分分朝ジ家の態度により一層の危機感を募らせた。
均衡の綻びは、ハリマキが想像していたよりも深く、そして大きかった。




