笑える格差
青い空から人が降ってくる。この世界の天気予報では、これをなんと報じるのだろう。十蔵は、逃げ足を止め、不思議な光景に見惚れていた。
「逃げた方がいいんじゃないですか? というかもう見つかってるかもですけど」
漱石が呆れ顔で十蔵を覗き込む。我に帰った十蔵は、周囲を見渡した。だだっ広い平野に身を隠す場所などなく、空から見れば丸見えでだった。
十蔵たちは開き直って、そのまま駆け足で進むことにした。幸いにも、十蔵たちに近づく人間はいなかった。空から降ってきた人々は、皆一様に滞空し、何かを一心不乱に見ていた。
雑木林に辿りつき、すぐに身を隠した。空の人々はまだ浮かんでいる。真下からではわからなかったが、俯瞰してみると光景の異様さが際立った。
空には巨大な球体の岩が浮かんでいた。それを取り囲むように数十人が滞空し、その内何人かが激しく躍動している。
「あれ何?」十蔵は木の幹からの指だけを出し、浮遊する巨大な岩を差した。
「わかりません。聖域か、この世界の象徴的な建造物と推測します」
「周りの飛んでいる人たちは何やってるの?」
「わかりません。滞空して何かを見ているようです」
十蔵は、元『観察者』なのに結構何も知らないんだな、という言葉を寸前で飲み込んだ。漱石は十蔵の心情を見透かすように「わたしは全知全能ではありませんので」と言った。
「ここからじゃ遠すぎて見えないな」
「見たいんですか?」
突然、漱石が十蔵の頭を鷲掴みにした。十蔵が物言いする前に、頭に映像が入りこむ。網膜に映像を流し込まれるような、不思議な感覚だった。
「わたしの視覚情報を共有しています。あんまり動くと酔いますよ」
漱石の視界は、高性能の望遠鏡を使ったかのように、遠くの光景がハッキリと見えていた。
あの巨大な球体の岩は、建造物だった。岩には水平方向に大きな切れ目があり、その中には門や装飾がのぞいていた。
周囲に浮かぶ人々は、滞空する方法がそれぞれ違っていた。足を光らせ浮かぶ人、ポンチョかカッパのような衣服をはためかせて浮かぶ人、丸みを帯びた二重傘をクルクルと回している人もいる。
彼らの視線の矛先には、とんでもない速さで動く二人の人間がいた。皆がF1観戦の如く、首を動かし姿を追っている。
高速で動く二人は、足からジェット推進エンジンがついているかような飛沫をあげていた。時折手からも同じような飛沫を放ち、急旋回や方向転換を行っている。
十蔵には彼らが何をしているのかはわからない。しかし彼らはきっと何かの達人なのだろうと思った。それほどのまでに彼らの動きは美しかった。まるで生きた流星だ。
漱石が彼らの動きを追うので、忙しく視点が揺れる。しばらく見惚れていたが、乗り物酔いの感覚が十蔵の喉元に込み上げた。
「この世界の人は普通に飛べるみたいだね。俺も飛べるようになるかな」
「いえ、あれは特殊な訓練を積んだ人間のみが体得する移動術です。一般的には”走術"(トウ術)と呼ばれます。他にも"雨合羽"や、"空傘"など道具を使用して飛行しています。いずれもそれなりの才覚と訓練が必要です」
「なんだ、やっぱ色々知ってるじゃないか」
「知っていることを、知ってるだけです」
酔いに苦しみながら、激しく動く二人を見続けた。目が慣れてくると彼らの容姿も徐々に判別できた。
一人は老婆だ。朱色の半纏を身にまとい、金と白のストライプが入った袴をはためかせている。眼光は鋭く、白髪は鶏冠のようにうねり上がっている。
もう一人は子供だ。黒髪の短髪で、12歳前後の男の子だった。黒いサラシを腹に巻き、それとは質感の異なる黒い袴を履いている。
二人は一定の距離を保ったまま縦横無尽に空を駆け回り、時折急接近したり、距離をとったりと忙しく動き続けていた。
「お祭りか何かかな。あの浮かぶ大岩が聖域だと仮定すると、それを祀る空中舞踊?みたいなものかも」
「いえ、違います。観察してわかりましたが、あの二人が行っているのは”擬戦"です」
「ギセン?」
「端的に言えば、喧嘩、いえ、殺し合いでしょうか」
「あのおばあちゃんと男の子が殺し合ってるの? なんで?」
「さぁ」
知ってることだけ知っている漱石は、不満顔の十蔵の横ですまし顔をした。漱石の言うとおり、彼らの形相は鬼気迫っていた。時折、遠く離れた十蔵の耳にまで何かの衝突音や破裂音が届く。
「今の内に逃げよう、擬戦のおかげで誰もこっちを見てないし」
「そうですね」
十蔵が踵を返そうとした瞬間、空一面が閃光に包まれた。続く轟音が耳を劈く。
漱石は光の方向に目を凝らし、その情報は瞬時に十蔵に共有された。
朱色の半纏を身に纏った老婆が焼け焦げていた。かろうじて身の形は保っているものの、焚き火に舞う枯葉のようにゆらゆらと、そして確実に身を焦がしながら地表へ堕ちていく。
黒半纏の男の子が討ち取ったのだろうか、いやーーー
黒半纏の男の子も、そして”戯戦”を見ていた全員が、一点を見上げている。
視線の先には男がいた。
男は真白の羽織を旗めかせ、黄金と黒の混じる長髪を細い指でかき分けた。
漱石が視界の共有を切り、十蔵を急かした。
「ここを離れましょう。あれが”グリマグス1形"です」
「は? ぐりま、何?」
「”グリマグス1形”、あなたが倒すべきチート人間の一人です」
空飛ぶ超人を一瞬にして焼く男。小さな女の子に捕まり、逃げている自分。
十蔵はなぜか笑いが込み上げてきた。




