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【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

無欲でドライな交友領域

作者: 津籠睦月

 “万人(ばんにん)から好かれたい”なんて思わなければ、人づき合いは案外(あんがい)気楽なものだ。

 “愛されたい”とどんなに願ったところで、“嫌われるのが怖い”とどんなに(おび)えたところで、他人の心は俺の自由にならない。

 だったら俺の手の届く、それなり(・・・・)の交友関係で満足しておけば、無駄(むだ)に傷つくこともない。

 来る者(こば)まず、去る者追わず――()()きに(まか)せて流されるままに生きる。

 きっと今の時代を生きるには、それが一番コスパが良い。

 

 俺は自分の友人に、多くのものを求めない。

 いつでも味方でいて欲しいだとか、常に俺を肯定(こうてい)して欲しいだとか、俺の言動に期待通りの反応(リアクション)を返して欲しいだとか、俺のことを理解して欲しいだとか――そんなことは思わない。

 もちろん、その希望が叶ってくれたら(うれ)しい。

 だが、期待はしない。

 人間相手に期待のハードルを上げても、ロクなことにはならないからだ。

 

 思うに、交友関係で傷つく人間の多くは、高望み(・・・)をし過ぎているのだろう。

 何があっても裏切らない友達、傷ついたら(なぐさ)め支えてくれる仲間――それは、どこにでも当然のように(ころ)がっている存在(もの)ではない。

 沢山(たくさん)の人間を敵に回しても味方であり続ける――そんな友情には、普通に“勇気”や“精神力”が()る。

 仲間が(へこ)んでいる時、何も語らずとも察する――そのためには、“観察力”や“繊細(せんさい)な心”が要る。

 まして的確(てきかく)にフォローして支えるには、“知識”や“経験”がモノを言う。

 そんな大層(たいそう)な“人間力”を持つ人間――いないわけじゃないが、そこらにゴロゴロ転がっているわけがない。

 

 友人に恵まれる(・・・・)かどうかは、結局のところ運と確率(かくりつ)の問題だ。

 俺は自分の対人運(たいじんうん)を、そこまで楽観視(らっかんし)してはいない。

 

 とは言え俺も、初めからこんな風に(さと)りを(ひら)けていたわけじゃない。

 幼少期の俺は少年マンガの熱い友情を鵜呑(うの)みにして、自分もソレを手に入れられると信じていた。

 世の中の仕組(しく)みも他人(ひと)の心も何も知らず、“友達”なら自然と何でも理解(わか)り合えると、勝手に信じ切っていた。

 だから、些細(ささい)なことで簡単に傷つき、裏切られた気分に落ち()んだ。

 

 今()り返ればちっぽけなこと――だけど当時は重い出来事(できごと)だった、親との衝突(しょうとつ)、価値観のズレ……親だからというだけで一方的に意見を(にぎ)りつぶされ、その理不尽(りふじん)さに(ふる)えた俺は、当時の友人に愚痴(ぐち)をぶつけた。

 (なぐさ)めが欲しかったと言うよりは、ただこの(いきどお)りを共有(シェア)して欲しかった。

 (まま)ならない現実への行き場の無い怒りを、ただ分かち合って欲しかった。

 たぶん、そんな気持ちだったように思う。

 だが、その望みは(かな)わなかった。

 返って来たのは「それは仕方(しかた)ないんじゃないか」「お前の言い方も悪かったんじゃん?」という、期待と真逆の反応(リアクション)

 当時の俺は、それを“冷たい”と感じてしまった。

 気持ちを理解してもらえなかったことにショックを受け、その理由を「本物の友情じゃなかったからだ」と考えてしまった。

 それ以来何となく、その友人とは距離(きょり)を置くようになった。

 

 今思えば、相手が単に“他者への共感”より“自分の意見”を優先するタイプだった、というだけの話なのかも知れない。

 つまらない愚痴(ぐち)延々(えんえん)と聞かされるのが迷惑(めいわく)だったのかも知れない。

 そもそも当時まだ小学生だった相手に“気持ちを分かち合う”なんて高度なことを求めたのがいけなかったのかも知れない。

 成長した今なら、いくらでも反省点が思いつける。

 だが、当時の俺にそんなことは微塵(みじん)も思いつけなかった。

 

 きっと、期待する側にも罪はある。

 人は期待を裏切られると、勝手に失望する。

 そもそも相手の能力(スペック)も見ず、重い期待をかけ過ぎていたとしても――そんな自分の誤認(ミス)にはロクに気づかず、相手の非ばかり見てしまう。

 そんなことで簡単に相手を嫌いになったり、友情が破綻(はたん)したり……俺は今まで、(いく)つの交友関係を無駄(むだ)に失って来たのだろう。

 

 自分の理想通りの完璧(パーフェクト)な友人なんて、誰でも欲しいに決まっている。

 だが、そんな友人が突然天(とつぜんそら)から()って来るわけもない。

 完璧(かんぺき)なんかじゃない人間ばかりのこの世の中で、それでも何とか交友関係を(きず)き、維持(いじ)していく――そこに高い理想や期待なんて持ち込んだところで、(むな)しいばかりでコスパ最悪だ。

 

 相手に“期待しない”ことは、実は案外コツが()る。

 期待は大概(たいがい)、知らず知らずのうちに発生しているものだからだ。

 その無意識を意識(・・・・・・)して、(かか)え込んでしまった期待を、そっと手放す。

 コツさえ(つか)んでしまえば、後は案外ラクなものだ。

 俺はもうここ何年も、他人に何かを期待していない。

 

 相手を()めれば、向こうも褒め返してくれるなんて期待してはいない。

 相手を気にかければ、向こうも気にかけてくれるなんて期待してはいない。

 こちらの好意や心配なんて、意外と相手に伝わっていないこともある。

 こちらにとっての最大限の賛辞(さんじ)が、(ちょう)翅音(はおと)ほども相手に(ひび)かないこともある。

 人生わりとそんなものだ。

 相手の役に立つことをすれば好きになってもらえるなんて、期待してはいない。

 見返りを期待すればするほど、それが()られなかった時、苦しくなる。

 (むく)われる未来を期待してしまうから、報われない現在(いま)に絶望してしまうんだ。

 期待するのを()めれば、ラクになれる。

 期待と失望の落差に、心を()り回されずに生きていられる。

 

 他人に期待をしなくなってから、交友関係で気負(きお)うことがなくなった。

 人間関係で(つまず)くことがあっても「運が悪かった」「切り()えて次へ行こう」と思えるようになった。

 逆に言うと、今の俺はそこまで友人の一人一人に執着(しゅうちゃく)を持っていない。

 上手く関係を(きず)けたならそれで良し、上手く行かなかったら「そこまで」の()り切った交友関係。

 スマホに入った山ほどの連絡先(れんらくさき)データが、ある日いきなり全消失したとしても「仕方(しかた)がないか」と割り切れるほどの、ごく浅い関係性。

 

 成長するにつれ、気づけば“その場限り”の関係が増えた気がする。

 クラス、部活、バイト先……その場その場の“居場所(いばしょ)”を(きず)くための交友関係。

 “場”が変わればわざわざ()れ合うこともない、その場所限定のつき合い。

 自分でそうしておきながら、時々ふと、そこに(さび)しさを感じることがある。

 

 幼い(ころ)はもっと“友達”が特別なものだった気がする。

 幼い頃はもっと“友情”を(ほっ)して()まなかった気がする。

 今の俺にとって、交友関係は“空気”のようなものだ。

 無ければ(こま)るが、特別に何かを感じるわけでもない、当たり前で無味乾燥(むみかんそう)の“人生の一部”。

 友人とは、友情とは、もっとキラキラした、神聖な何かではなかったのだろうか。

 

 きっと、幼いあの頃は“期待”があったから友情を求めていられた。

 友達がいれば怖くない、ずっと支え合って無敵でいられる――幼心(おさなごころ)幻想(げんそう)だとしても、そんなキラキラした希望があったから、友情を大切に思っていられた。

 友情は“自分を幸せにしてくれるもの”だと信じていた。

 

 他人に期待しなくなってから、交友関係がラクになった。

 だけど友情に希望を持っていたあの頃の方が、人生が輝いて見えていた気がする。

 俺は人間関係に器用になった心算(つもり)で、実はひどく大切なものを、(みずか)ら手放してしまったのだろうか。

 

 他人に期待しなければ、傷つくこともない。

 全てを“運”だと割り切れば、上手く行かない時に「自分の交友能(コミュ)力不足だ」と過度(かど)(しず)むこともない。

 傷つかず、沈み込まず、自分の心を平穏(へいおん)(たも)つための、丁度(ちょうど)良い交友範囲(はんい)

 選んだのは俺自身だ。

 今さらそこに物足(ものた)りなさを感じてしまうなんて、(あき)()てた“自業自得(じごうじとく)”だろう。

 

 結局、他人に期待しない方が良いのか、期待を持って生きた方が良いのか――答えなんて、きっと出ない。

 運良く友人に(めぐ)まれれば「期待した甲斐(かい)があった」になるし、恵まれなければ「期待せずにいて良かった」になる。

 人は自分の未来を見通すことなど出来(でき)ないのだから、選びようが無いのだ。

 

 俺は、自分が傷つかない交友関係を(のぞ)んだ。

 期待と失望に(はげ)しく心を()り動かされない人生を選んだ。

 それだけのことだ。

 自分の選んだ道の結果くらいは、受け入れる覚悟(かくご)がある。

 ただ、それでも――これが俺にとって、最善の選択(せんたく)であることを願う。

 (なや)()いた末に選んだものが「間違(まちが)いだった」なんて、あまりに無情(むじょう)が過ぎるから。

 この道の先に、俺にとっての幸福があれば良いと、期待をせずに願っている。

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