酔いどれ探偵の帽子は
西向きの事務所に差し込む光で目が覚めた。
顔の上の帽子を被り直そうとして、それが知らない帽子だと気がつく。水平に大きくツバが伸びたこれはコルドバの帽子、ソンブレロ・コルドベス。
俺は探偵だ。中折れ帽と決めている。酔った勢いで誰かと帽子の交換でもしたのか。
昨日は「明日香」「来夢来人」、「フィアース」を出た頃には夜が明けていた。それから「トーラス」でマタドールを二杯飲んでから事務所に戻り、石みたいなソファで寝た。
こんなに飲んだのは一年ぶりだ。
中折れ帽を探すが机の上には『御用の方は』と書いた紙と名刺だけ。事務机の引き出しも空だ。
ロッカーを見るとトレンチコートの他にいつもの中折れ帽がある。つまり、酔った勢いで帽子交換をしたわけではないってことか。思わず深く息を吐く。
俺は探偵だ。酒に飲まれても記憶を失うことはない。
これで一つ明らかになった。寝ている俺の顔の上に誰かがコルドバの帽子を置いて立ち去ったということだ。
事務所のドアを確認すると鍵はかかっていた。思わず俺は首を傾げ、鍵を開ける。
さらに明らかになった。これは密室トリックだと。
踵を返し俺は冷蔵庫から一つしかない炭酸水を取り出す。
「どうしたの、酔いどれ名探偵」
見ると依頼人の羊がドアの前に立っていた。
「鍵が空いてたから」
襟元が大きく開いた首元に今日は雄牛のチャームがついたネックレス。
「密室事件が起きた」
「どんな事件」
俺が状況を説明すると、羊は質問攻めだ。
「つまり、それって帽子が増えたのよね。言い換えると?」
「盗んだ。あるいは置き引き」
「そうじゃないでしょ。じゃあ今日はなんの日?」
俺の誕生日だ。だから昨日のうちに前祝いをした。
「俺から奪った雄牛のチャーム、ネックレスにしたんだな。よく似合っている」
「気がついていたのね」
「俺は探偵だ。どんな小さな変化も見逃さない。この帽子はどうだ、闘牛士のようか」
俺は帽子を被って羊に見せた。
「この帽子、コルドバといえば闘牛。そして雄牛のチャームで現れた」
羊はニヤリと微笑んだ。
「最初からわかっていて気がついていないふりしていたのね。でも、どうしてわかったの」
「盗られる物も客もないからな、俺は事務所に鍵を掛けたことがない。それなのに、お前は『鍵が開いていたから』と言った。覚えておいた方がいい、いつだって犯人は余計なことを言う」
「鍵くらい掛けてよ」
「ああ、今日だけは掛けることにしよう」
「今日だけ?」