九話
「くっそおおおおおおおおお!!!!!」
数週間後、景虎は越後の春日山城に戻っていた。
戻ってきた当初は、女の姿をして春日山城に入ってきた景虎を家臣一同はあっけに取られて見ていたが、直江実綱がその姿を見るなり、景虎様あ!!と泣き声で雄叫びをあげた事から、皆それが景虎だと信じ、訳の分からぬまま迎えていた。
その頃には、景虎の腹の虫も治まり、城に帰ったときも、
『実綱、悪かったな、心配かけて』
と、珍しくも第一の家臣である実綱に頭を垂らせたものだった。
それに家臣たちは驚いたが、皆何も言わずに景虎を迎え入れた。
が、その治まった筈の景虎の虫の居所は、今最高潮に悪くなっていた。
「あの男ぉ!! マジで殺す、絶対殺す、もう殺す!!!」
何とも物騒な物言いをしながら、景虎は春日山城の廊下を歩いている。
家臣たちはその様子を見て、皆廊下の隅へと逃げ、景虎が通り過ぎるまで固まってその場で見ている。
景虎はそのような家臣たちの怯えようには気づかず、ずかずかと大きい足音を立てて大股で歩いてた。
「景虎様! どうしたのですか、そのような大きな声をあげて……」
前を見ているのか見ていないのか分からない景虎を、敢えて正面から止める。それは家臣、直江実綱であった。
景虎の目の前に立ち憚る実綱。その実綱を一度ぎろっと睨みつけたあと、景虎は大きな声で言う。
「実綱、何をしている! さっさと戦の準備をしろ!」
「……は? 戦、でございますか?」
実綱は、はて?と頭を傾かせる。
その仕草に更に腹を立てたのか、景虎は一度ばんっと足を思い切りその場で踏み留める。
その音にびくっと廊下に居た家臣たちは驚く。
実綱だけは首を傾げたまま困ったような顔をしているが。
「そうだ! さっさとあの小賢しい武田を叩き潰すぞ!!」
「武田……でございますか? 甲斐の国の」
「それ以外に誰がいる!?」
「……おりませんね」
景虎のあまりの形相に、実綱は身を仰け反らせる。
毘沙門天の化身と言われる景虎だが、これでは鬼の化身ではないか。実綱はそう思ったが、口には出さなかった。
「しかし何故今武田で?」
ふと実綱はそう口にした。
すると景虎は黙り込んで、視線を床に落とす。
長い沈黙が廊下に流れた。
だがその間、誰もその場を立ち去ろうとも、動こうともしなかった。
実綱は、あまりのその長い沈黙に耐え切れなくなり、景虎の顔を覗き込もうとした。
「景虎様……?」
ゴッ!!
と、覗き込もうとしたらば、景虎が勢いよく顔をあげた。
ので、実綱の顔面に直撃した。
実綱はそのままの勢いで廊下にぶっ倒れた。
家臣たちはそれまでの静寂なんとやらで、「実綱様、実綱様大丈夫でございますか!?」と実綱に寄りかかる。
だが、当の景虎は痛そうな顔一つせず、ただ少し顔を赤くしてこう言い放った。
「何でもだ!! 理由などいるか、くそっ!!」
と。
だが実綱はその言葉に答えることは出来なかった。
まあ、その時意識があったかどうかも怪しいものであるが。
それだけ言って、景虎は倒れている実綱を素通りにし、ずんずんとまた屋敷の奥に進んでいった。