七話
晴信のあどけない寝顔を見ながら、ふと思う。
しかもよく知りもしない女の隣で寝るのだ。どんな神経をしているのだろうと景虎は思った。
少しだけ、晴信の方に身を寄せる。
そして顔を近づけじっと晴信の寝顔を見入る。
景虎よりも九つ上の晴信だが、こうやって寝ていると幾分か幼く見えるものだ。
それでも景虎よりはやはり年上に見えるものだが。
「……ちょっと気ぃ許しすぎなんじゃねぇか……」
そう小さく呟く。
だが晴信の表情が揺らぐ事はない。
規則正しい息遣いが乱れる事も無い。
景虎はそんな晴信に乗りかかる形になり、懐から小太刀を抜く。
そしてその刀を抜き、晴信の首のすぐ横にさくっと刺した。
刀が土に綺麗に刺さる。その隣には晴信の首筋。
「これで斬れば……死ぬんだぜオマエ」
そう口にする。
だが、やはり晴信の表情は崩れない。
呼吸も、乱れない。
段々憎憎しく思えてきた景虎はじりっと首を掠める程に小太刀の刀身を近づける。
今、引き裂けば確実に死ぬ。
(そう、今引き裂けば。ここで引き裂けば……この男は死ぬ!)
それは敵が一人減るということ。
この戦乱の世、一番自分にとって厄介な敵、武田晴信が居なくなるということ。
これほど好機な時はない。
景虎は思い切り小太刀を横に引こうとした。
「……くそっ!」
だが、それは出来なかった。
晴信に止められたわけでも、邪魔が入ったわけでもない。
景虎の手が、動かなかった。
どうしても晴信の首を裂くことが出来なかったのだ。
切り裂こうと思った瞬間、景虎の脳裏には昨日から先ほどまでの映像がまるで走馬灯のように巡っていた。
その映像が、頭から離れなかった。
そして思った。
今日一日、いや半日晴信と過ごしてみて、
楽しかったーーーーと。
思ってしまったのだ。少しでも。
そう感じたら、もう手は動かなくなっていた。
景虎は盛大にため息をついて、ちゃきっと小太刀を鞘にしまった。
そして晴信の体からどけようと思った時、
ぐらっと体制を崩した。
「うあ!?」
ビタンッ!と大きな音を立てて、景虎は前のめりに転ぶ。
ただ体制を崩したのではない、何かに引っ張られたのだ。
その力に抗えず、景虎は無様に目の前のモノにぶつかったのだが。
「いってぇ……」
そう呻きながら景虎は身を起こそうとする。
が、左手が動かない。
ん?と思うと、目の前のモノ……つまり晴信がくすくすと笑っている。
「くくっ、まさかここまで見事に転ぶとは思わなかった」
「んなっ!? お、オマエ起きてたのか!?」
今の自分が女の姿をしている事など、とっくに忘れて景虎は声を荒げる。
だがその問いに答える事はせず、晴信はくくっと笑い続ける。
笑いを堪えようとはしているのだろうが、いかんせん我慢が出来てない。
その様にムカッとした景虎はがばっと起き上がろうとする。
が、やはり失敗。
今度は左手だけではなく、首筋にも何かを感じる。
景虎はそれがくすぐったくて、うひゃっと声をあげる。
「くくっ。今まで色々な人物に出会ってきたが、おなごに襲われたのは初めてだな」
晴信のその言葉を聞いて、景虎はびくっと体を震わせた。
まさか今までの行動を晴信は知っているのだろうか。寝たフリをしていただけだったのか?
そうだとすれば、ヤバイ。晴信の左手は自分の首にかかっている。
晴信の顔は、今の景虎の位置からは見えない。ぐいっと肩の上に顔を押し付けられているからだ。
殺される、確実にーーーー
「積極的なおなごも居るものだな」
晴信はそう言い、景虎の体を離す。
景虎は瞬時に晴信から距離を取り、刀に手をやる。
が、晴信が動く様子は無い。
ただ、やはり笑って、こちらを見ているだけである。
「……?」
「どうした、そんな怖い顔をして」
晴信は笑みを浮かべながら問う。
当の景虎は意味がわからず、その場に硬直してしまう。
「え……?」
一言自分の口から疑問符が漏れる。
(あれ、何でコイツオレを殺さないんだ? さっき襲われたって言ったじゃないか)
そう、晴信は確かに言った『おなごに襲われたのは初めてだ』と。
ならば彼には襲われたという自覚があるのだ。
なのに何故、自分を殺さないのか?
「ん?」
ふと景虎はその体制のまま考えた。
(襲う……って確か、もう一つ意味あった……な?)