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越後の龍と甲斐の虎~異聞伝~  作者: カイル
龍虎
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二話

数日後、休戦期日の一年の日が経とうとしていた。

景綱は迷いに迷ったが、せめて川中島にまでは兵を進めようと口にした。

川中島は死守しなければならない。あそこを超えられてしまえば民にも被害が出る。そう思っての事だった。


その取り決めを、いくら隠居を公言したからと言っても謙信にも伝えるべきだろうと景綱は謙信の部屋へと向かった。

どんどんと人の声が聞こえなくなる。気配が消えてくる。

景綱は、謙信の部屋の前でぴたりと足を止め、頭を下げたまま言った。



「謙信様、宜しいでしょうか」



だが、中から返事はなかった。



「謙信様?」



もう一度、景綱は訪ねてみた。

だがやはり返ってこない。


無礼とは思いながらも、景綱は顔をあげ、部屋を見渡す。

人影は無い。

どこかに言っているのだろうか。そう考えた。

深く考えなかった。

そして小さくため息を漏らし、謙信の部屋を後にした。




だが、謙信の姿が館の中で見つかることはなかったーーーー











川中島を眼前に、一人歩く。

とぼとぼと、少しゆっくりに、土を踏みしめながら歩いていた。

その人間ーー上杉謙信は、笠で顔を隠すこともせず、歩く。

越後からここまでは距離があっただろう、だが謙信は食料も、水も何も持っていなかった。

ただ刀だけ、自分の腰に下げ、歩いていた。


どこを目指すわけでもない。

ただ、気づいたら此処に居た。

そう、四年前のように。

ただ違うのは、書き置きをしてこなかった。

誰に何を告げることもせず、謙信は一人でこの川中島まで来ていた。

今日、そうまさに一年前の今日。

武田信玄は、上杉政虎の陣にて休戦の申し出をした。

今日で、その休戦は意味を無くす。

そして、その約束をした信玄はもうこの世にはいない。


謙信は川中島に入る少し前で足を止めていた。

だが、ゆっくりとやはり一歩一歩大切に歩くように川中島と呼ばれる領域に足を踏む入れていった。




それからどれだけ時間が経ったか分からない。

何人も何人もの人とすれ違った。

だけど顔はもちろん、性別さえも覚えていない。

ずっと下を向いて歩いていたのだから。


すると次は雨が降ってきた。

突然の雨だった、すれ違う人々は傘など持っていないのだろう、小走りに皆通り過ぎていく。

だが、謙信はゆっくりと足を速める事もせず歩いていた。

不信そうに見る者もいる。

だがそんな事気にならなかった。

雨に打たれても、寒いとも何も思わず、ただただゆっくりと真っ直ぐに道を歩いていった。




そうやって歩いていると、当然だが日も暮れる。

まだ真っ暗とは言わないが、夕闇が辺りを暗くさせる。

その頃になればもう人とはほとんどすれ違わなくなってきていた。

しかしそれと反比例するように、雨音は大きくなっていく。

謙信は、いつの間にか森に足を踏み入れていた。

木の根っこに足を取られ、軽く躓く。

そこでようやく歩くのを止めた。


だが、そこで立ち尽くしたまま、ずっとずっと下を見ていた。

顔を上げることはしなかった。




「……何でかなぁ……」



雨音に消されるような声で、呟く。

その声は謙信のものだった。

周りにはもちろん誰も居ない。

独り言であろう、ぽつんと自分に言い聞かせるように呟いた。



「何で……」



その時、顔から滴り落ちる雨の雫とは違うものが、落ちた。



「何で、今頃こんなもの出るかなぁ……」



そう言って、もう雨でびしょびしょになった着物の裾で自分の顔を擦る。

いや、正しくは自分の目を。

謙信の目からは涙が静かに流れていた。



「今更泣いたって……仕方ねぇのに……」



そう言いながら、その場を動かずに何度も何度も目を擦る。

少し、痛くなってきた。

だが、謙信はその手を止める事をしなかった。




ガサ




音がした。

草が動く音だった。

激しい雨音に消されてしまいそうだったが、確かにその微かな音を謙信は耳にした。

だが誰だとも、何だとも、問えなかった。

別に何でも良かった。

自分が会いたいものでは、絶対にないのだから。




「……政虎?」




声が、聞こえた。

謙信はその声を聞いて、目を擦るのを止めた。

聞いたことのある声だった。

いや、

どうしたって聞き間違えることなど出来ぬ声だった。




信じられなかった。


幻聴だと思った。


何故なら、彼の者はもう現世には存在しない人間なのだから。




そう思った。

だが、顔を上げた。

その音がした方に向かって、その声がした方に向かって、

謙信は顔をあげた。




「……政虎?」




もう一度声が聞こえた。

笠を被っていて、よく顔が見えなかった。


だが、確信した。


それは、自分が唯一人愛した人間だったのだから。






確信したと思ったら、もう走り出していた。

他の物なんて目に入らなかった。

途中何度も木々に躓いたり体をぶつけたりした。

だが謙信は速度を落とさなかった。


顔を、くしゃくしゃにして、走っていった。

もうあそこに居るのが幻でも幽霊でも何でも良かった。

ただ、今会えた。

もう一度会えた。


それだけで良かった。


目の前の人物が、笠を取る。

その顔は、今まで見た中で一番の笑顔だった。


その笑顔に、その腕に、

謙信は思い切り飛び込んだ。






「……っ信玄…………!!!!」


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