三話
「まあ、食べてくれ。ここの団子は美味いぞ」
「は、はあ……」
景虎を呼び出したお客とは、もちろん晴信であった。
当然ここの宿に景虎が泊まっているのを知っているのは、晴信以下数名の付き人だけである。
突然に宿に来て(しかも一人で)勝手に呼び出し、茶屋に今居る。
一体何なのだ、朝っぱらから人を呼び出して。
もしかして自分の素性がばれたのだろうか?
いや、それならこんなところで二人で団子を食べながら茶をすすっているのも変な話ではないか。
などと景虎は考え込む。
(……えっと何? オレ何かした? いや確かにちょっと昨日のオレは態度でかかったかもしれないけどよ。でも朝っぱらから呼び出しますかーー!?)
もう頭がこんがらがっている。
考えても考えても晴信の意図が分からない景虎は、一気に目の前にある団子をばくばくばくっと口にする。
「……うっ!!」
すると当然の事ながら、喉に団子を詰まらせ、涙ながらにお茶をずずずと流し込む。
その一連の動作を晴信は茶を静かにすすりながら見ていた。
が、景虎がどんどんと自分の胸を叩いて、はーと一つ息をつくと、ぷっと小さい声で晴信は笑った。
「……何ですか」
「くくっ……いや、済まない。あまりにもくるくると表情が変わるものだから、百面相かと思ってな」
かなりドスをきかせて答えた景虎の言葉に嫌な顔一つせず、晴信はくすくすと笑っている。
本当に楽しいものを見ているかのように。
景虎はそんな晴信の姿を見ると怒るに怒れず、もう一度ずずっと茶をすする。
「それで、何か御用でしょうか? こんな朝早くから」
朝早くから、という言葉は語弊がある。景虎なりのただの嫌味だ。だが晴信にはどうも通じなかったらしく普通に返された。
「ああ、お主の着物が気になっていてな」
「……着物、ですか?」
「ああ。随分と汚れている」
「あ……まあ。そうですね。長く旅をしてきましたので」
「そうなのか? 何処から来たのだ」
「越後の国から……」
景虎はそう答えた瞬間、しまったと思った。
馬鹿正直に本当の事を言ってどうする。
このような事から自分の素性が分かりでもしたらどうするつもりだ!?
ただでは済まないではないか!
そう思っていた。
が、晴信はそんな事気にもしないようで
「そうか。それは遠くからよく来られたな」
と返しただけだった。
景虎は少し呆気にとられたが、まあ女装してるのだから分からないのだろうな、予想もしていないのだろうな、と思ってまた茶をすすった。
「それでだ」
「はい?」
晴信がそう言って何かゴソゴソと自分の持ってきた荷物を探る。
景虎はそれを不思議そうな目で見る。
するとそこからは真っ赤な美しい布が出てきた。
「これは?」
「着物だが」
「いえ、それは分かりますが。何で着物?」
「いや、お主にやろうかと思って」
「は!?」
着物に目をやっていた景虎は、その晴信の言葉に顔をあげる。
晴信は顔を崩す様子もなく、ほれ、と着物を景虎に手渡す。
景虎はその着物を受け取る。
が、その着物の布地を触っていると、どんどんと顔が青ざめていくのが分かる。
(おいおいおいおい!! これむちゃくちゃ高い布だぞ……!!)
とても一般人には手にするような事が出来ない布地。
一国の主だからこそ持てるような布地。
景虎の屋敷にも数枚ほどこのような布地の着物はあるが、とても高い。
はっきり言って昨日初めて会った女になど容易く渡せるシロモノではない。
景虎は声を荒げて言った。
「と、とんでもない! これすごい高い布でしょう!? 貰う理由がありません!」
「別に理由などはない。お主が着ている着物があまりにも酷いのでな。昨日の夜見繕ってみた」
「いや、だから!!」
「似合うと思うのだがな?」
「いえ、似合うとかそうではなく! このような高い物を見も知らぬ女に渡していい訳ないでしょう! 奥方にでも差し上げたらどうですか!」
「妻はこういう色は好まないのでな」
(ああ言えばこう言う!!)
「ふむ、しかし見も知らぬか……」
景虎が晴信の言い草に疲れてきた頃に、晴信がぽつりと言葉を漏らした。
景虎はその言葉を聞き漏らさず、にやっと笑った。
「そうですよ! 武田様が見も知らぬ女性にこのような高い贈り物など。あらぬ噂もかけられますわよ?」
と、出来るだけ笑顔で答えた。もしかしたら顔はひきつっていたかもしれない。
晴信はもう一度ふむ、と頷いて、こう言った。
「そういえば確かに名も知らぬ。お主名は何と言う?」
「……え、名前?」
そう言われて今度はさーっと血の気が引いた景虎。
しまった、そう来るとは思わなんだ。名前?んなもん決めてねーよ。
そう言いたいが、言える筈はない。
いっそ“景虎”と答えるか?いや、それはヤバイ。幾らなんでも女の名前じゃない。
自分の母や血縁の名前もやばいだろう。どこからか自分の素性が分かってしまうかもしれない。
「な、名前は……」
「うん?」
「……由布と申します……」