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越後の龍と甲斐の虎~異聞伝~  作者: カイル
狂運
24/38

九話

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

(………………居心地悪っ!!)



何故自分の本陣でこんなにも窮屈な思いをせねばならぬのか。

しかも話がしたいと言いながら、信玄は先ほどから黙ったままである。



(畜生……何なんだ、一体!? ジジイもジジイだ! 何かほら、気を利かせればいいのに!! 酒持ってくるとか!)



と、心の中で景綱に八つ当たりをする政虎。

だが、そんな事を思ったところで景綱が戻ってくるわけでもない。

苦虫を噛み潰したような顔をして政虎は本陣に居座り続けた。



「政虎」



ふと、信玄が零す。

最初声が小さすぎて、政虎は空耳か?と思ったが、もう一度信玄が、政虎と名を呼んだので、ああ呼んでいるのかと分かり、少し深呼吸をして答えた。



「何だ?」

「一年というのはお主のために作った時間だぞ」

「は?」



唐突な、話の見えない話をいきなり始められて、政虎は目を丸くする。

一年と言うからには、きっと先ほどの休戦の話であろう。

だが、何故政虎の為なのか。

その言葉の意味に首を捻った。

が、分からなかった。



「お主」

「あ?」

「子が居るだろう」

「ぶっ!!」



信玄の遠まわしも何もしない言葉に、思い切り驚き、思わず咽る政虎。

別に何も食べても飲んでもいないのに、よく咽れるなと自分でも思った。

だがその言葉自体に咽た。

驚いた。

バレたとは思っていたが、まさかこんな直球勝負に出られるとは。

何と答えたらいいだろう。

政虎は少し、いや、かなり困った顔をして黙り込む。

否定しても仕方がないだろう。

もう、確信しているのだから、信玄は。



「一年あれば子は生まれる」



そう、静かに言う。

だがその言葉に政虎は呆気になって、言葉を漏らした。



「産め、と?」



そう、一言だけ。

言うつもりはなかったのだろう。

だが、気づいたら口から零れていた。

信玄はそんな政虎を見て、普段なら笑い飛ばしそうな顔の政虎を、今日は笑わずに真剣な顔で言う。



「我の子なのだろう」

「……」



政虎は答えなかった。

それは肯定を意味したからだ。



「我の子を、産んでほしい」



そう、一言だけ、はっきりと、信玄は言った。



「は、ははは……な、何言ってんの……」



政虎は、力なく笑った。



「産めるわけ、ないだろう……」



泣きそうな声で、呟いた。



「一騎打ち、して……どっちかが死ねば……何の問題もないって……思ってた……オマエが死んだら……腹の中の子は父を知らずに、育てばいい……オレが死ねば……子も死ぬだけだ……」



聞かれてもいないのに、どんどんと政虎の口から言葉がこぼれる。

その言葉は震えていて、目から雫はこぼれていないけれど、心は土砂降りの雨状態に泣いていた。



「そう思ったのに……何でどっちも生きて、んだ……?」



信玄はその言葉を聞いて、ぎりっと奥歯を強く強く噛んだ。砕けるほどに。

そして呻くような声で、もう一度だけ呟いた。



「産んで……ほしい」



と。

政虎は愕然とした顔をした。

産んで欲しいといわれた。

自分は子を成す事などないだろうと、元服した時から思っていた。

女である事など忘れて、本当に自分は男だと思って、生きてきた。

それを全て崩したのはこの男だった。

自分を女に戻したのは、この男だった。

自分を弱くしたのも、この男だ。



「産んで、どうすんだよ。育てられるわけないだろ!?」



政虎が声を荒げる。

泣きそうな声なのはやはり変わらない。

そんな政虎の顔を逃げずに、しっかりと正面から受け止める信玄。



「我が育てる」

「は!?」



予想外の言葉だった。

そう言われるとは思わなかった。



「戦事には絶対に使わない。ただ、そなたの子が欲しいだけなのだ!」



そう言って、信玄は立ち上がる。

政虎は立てなかった。その場から動けなかった。

何を言っているんだろう、この人は、と。

それだけ思っていた。



「どこか小さな町で育てよう。男でも女でもいい。そなたの子が……」



そう言って、政虎を抱きしめる。

強く、優しく、震える手で。



「我と、そなたの子が……欲しいのだ」



そう言って、着物の上から政虎の腹に口付けをする。

政虎はびくっと少し仰け反ったが、そんな信玄の頭を優しく、ゆっくりと、怖々と抱いた。






どれだけそうしていただろう、分からない。

だが、そのうち信玄の方から離れていった。

政虎は、そんな信玄の背中を見ることも出来ずに、やはり座ったままで目を腹の方へと向けていた。


信玄は、本陣の隅に置いてあった自分の刀を手にし、本陣の入り口まで歩いた。

そして、振り返らず、小さな小さな声で、



「もし、そなたとーーーー」



そう言い残して本陣から信玄は消えていった。

本陣の外が少しざわつく。信玄が外に出たからだ。


政虎は本陣の中に一人で、座っていた。

動くことができなかった。

最後、彼は何と言ったのだろう。

そう思ったけれど、聞こうと話しかけることも出来なかった。


政虎は先ほどまで抱きしめていた、信玄の髪の感触を手で探そうとしていた。

だが、もちろんもう信玄は居ない。

髪の感触も、ない。

それでも政虎の腹には、暖かい何かがまだある気がした。

信玄の口が触れた、そこに。




『我の子を、産んでほしい』




その信玄の言葉が、何度も何度も政虎の頭の中を反芻した。

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