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越後の龍と甲斐の虎~異聞伝~  作者: カイル
抱擁
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二話

月が真上に上がる頃、政虎はふとその月を見上げた。

随分長く此処に居てしまった。

これ以上はいけない、戦場で情けが出てしまう。

ここでならただの友人で居られるかもしれない。だけど、戦場では、敵同士なのだから。

情けなどかけられない。

明日は殺し、殺される立場に戻るのだから。


政虎はそう思い、ふと立ち上がった。

信玄は政虎に目をやる。



「オレ、そろそろ帰るぜ。長居しすぎちまった」

「……もう、か?」



信玄はそう言う。

だがもう夜更けも夜更け、いいところだ。政虎は少し不思議な顔をしたが、おう、と呟く。



「明日からはまた敵同士だからな。今日の事は忘れるぜ、お互いな。オマエも前に言ったけど、今度戦場で会うときは敵同士だ。容赦はしねえ、オレだってな」



そう言って、政虎は信玄に背を向ける。

もう振り向かないように、振り向いたら……自分の気持ちが揺らいでしまうから。

先ほど言った政虎の言葉に偽りはない。

だが、それを覆せるとしたら……この信玄という男の一動に違いないと確信していたからだった。

自信がなかった、それを貫き通せるかという心が。

自信がなかった、家臣たちより、この男を取ってしまうのではないかという自分自身の弱い器が。


そのまま、来た時のように館の壁を乗り越えて、上杉の陣営に帰ろうとした。

だが、それは宿敵である信玄の手によって阻まれた。



「何のつもりだ?」



政虎は出来るだけ冷静に答えた。

信玄の手が、政虎の右手を捕まえる。

この男がここで自分を斬り捨てるなどということはしないだろう。

そう分かってはいたが、捕まれている手が利き腕だという事に多少嫌な気持ちを覚える。

怖い、と。



「明日からはまた敵同士だと今言ったな?」

「おう」

「ということは、今この壁を乗り越えるまでは……我とそなたは一体何だ?」



そう信玄に問われ、政虎は言葉を発せなくなった。

何だ?と聞かれた。

そういえば、オレと信玄の関係は何だ?

上杉家の宿敵、武田信玄。

それは今、自分がこの壁を越える前の話。

では今越えたこの時分は一体どんな関係だと言うのだろう。

そう思うと答えれなかった。

答えに詰まった政虎に、信玄が政虎の手を掴んだまま言う。



「何故ここまで来た」

「だから、借りを返そうと……」

「あんな口約束、守らなければ良かったのだ……そなたは!」



信玄らしからぬ、語尾に怒りを込めた言葉だった。

政虎は後ろを振り向きそうになったが、何とか堪えた。

信玄の手が、震えていたからだ。



「馬鹿だな、お主は」

「バカバカ言うなよ。本当にバカみたいじゃねえか」

「本当に馬鹿だから馬鹿だと言っている。織田のうつけより馬鹿だ」

「オマエねぇ……」



そう言って、政虎は信玄の方を向いた。

向いてしまったのだ。

向いた瞬間、ぐいっと信玄に腕をひっぱられてしまった。いつかのように。

それにしまったと思ったが、もう遅い。

政虎の体はいとも簡単に信玄の胸に落ち、すっぽりと腕の中に収められてしまった。



「……おおい、何してんのオマエ」

「人の気も知らず、本当にお主は馬鹿だ」

「ちょっと、信玄サンよ、酔ってんのか?」

「……酔ってない……」



そう言って、腕にぎゅっと力を込める信玄。

政虎は一体何なのだと思いながらも体に力を入れることはしなかった。

それはきっと、政虎が心地いいと感じたから。

その、信玄の腕の中を。


一瞬か、それとも長かったのか分からない。

だが、二人はそのままそうしていた。

段々と二人の鼓動が重なるのが分かった。



「……我は、お主を……忘れようと思ったのに」



信玄がぽつりと呟く。

政虎は意味がわからないという風に、信玄の顔を覗く。

だが、よく見えなかった。



「三年前からずっと……お主を忘れようと……」

「やっぱ酔ってんな、オマエ。大丈夫かよ」

「聞け」



政虎が口を挟もうとしたのを、信玄は許さなかった。

政虎は、やれやれと言ったように口を閉める。



「……三年前のあの日から、我は……そなたを愛おしく思っていた」

「は?」

「そうだ、あの時から。だから……忘れようと……敵同士なのに、何故……何故お主なのだ!」



そこまで聞いて、政虎は腕にぐいっと力を入れ信玄の体を自分から遠ざけた。

そして今度はちゃんと顔を見て、言った。

信玄の顔は苦痛に歪められていた。



「……オマエ、そういう趣味だったわけ?別にオレは気にしねえけどよ……悪ぃ、オレはそういう趣味ないぜ?」

「我にもないぞ、そんな趣味」



政虎は少し言葉を濁して言ったつもりだったが、信玄にはその意味がわかったらしい。

そして、言った、そんな趣味はないと。



「えーっと、でもオマエよ、今言ったのはそういうことだろうよ」

「まだ隠しきれていると思っているのか、お主は」



信玄が盛大にため息をついて言った。

政虎は一瞬ギクリとしたが、それを言葉に出す事はせず、一言言った。



「何が?」

「お主は女だろうが」

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