一話
「景虎様?」
「景虎様!! どこにおわしますか!!」
「出てきてくだされ、景虎様~~!!」
「……ここに居るんだけど、気づかねえもんなんだな……」
そう呟いた人物の目の前を騒々しく多数の男どもが駆け抜ける。
誰かを探しているのだろう、その者達は皆、景虎様、景虎様と声を荒げる。
中には涙ながらに声を枯らして探す者もいる。
が、そんな者達を目の前にその“景虎”は居た。
女物の着物を纏い、道端に座っていた。
だが走り探し回るその者たちにはその景虎は目に入ってなどいなかった。
それはあまりにも違っていたからだ。自分たちが探す彼の人とは。
誰もその者が自分たちの探している景虎ーー長尾景虎その人だとは思いもしなかった。
「はーん、女装しただけでこんなにも見つからねぇもんなんだなー……こりゃ使えるぜ」
景虎はにいっと口の端をあげて笑う。
そしてその状況を面白おかしく見物しながら満足すると、立ち上がり足を進めた。
何度か景虎を探す家臣たちとすれ違うが、笠を被っているためもあるだろうが、誰も気づかない。
それもそうだろう、彼らがいつも相見える長尾景虎という人物は、女の格好などしはしない。その恰好を見たことがある人間はいないだろう。
しかし今日の景虎は、軽くだが化粧もこなし、歩き方も才女そのもの。このような村外れでは反対にその歩き方は可笑しくも見えるのだが、家臣たちは自分の首が危うい今、そんな事にも気づかないで通り過ぎる。
景虎様、景虎様と探している人物そのものを横に素通りしながら。
「ったーく、あいつらも心配性だぜ。オレは一応置き手紙を残したってのに」
だがその置き手紙が問題だった。
その手紙には一言、
『もう何か面倒になったんで旅に出らぁ。そのうち戻ってくるかも』
と、それだけ書き残してきたのだ。
所謂失踪、と取られても仕方がない。
景虎は知らないが、その置き手紙を最初に見つけた家臣、直江実綱は、それを見た後半刻ほど固まった後、泡を吹いて倒れた。
それだけの大騒ぎなのだ、景虎がいなくなるということは。
そんなことは露知らず、景虎は気も晴れ晴れに足を南東に運ばせた。
何処に行こうと決めていたわけではない、ただ足の赴くままに景虎は道を進んでいった。
それから数週間後、景虎は甲斐の国に着いていた。
本来ならば絶対に自分などが足を踏み入れれる場所ではない。
何と言ってもそこは、あの武田氏が治める領土なのだから。
だか景虎はそこに居た。
「本当に女装ってすげえな。誰もオレだってわからねーんだもんなぁ」
そうボソリと呟く。
何日もかけてこの距離を歩いて来たにも関わらず、ケロっとした顔で城下を見渡す景虎。
多少着物は傷んできているが、その着物と違って本人はいたって元気そうである。
着物の傷みとて、宿が取れない場合に野宿した時についたものである。
もちろんこの時代、女性の一人歩きなどほとんどない。
なので盗賊やら女郎売りなどに捕まったりはしたが、そこは流石無敗の武士長尾景虎、颯爽とその者たちを叩きのめしていった。
自分の体力には問題はない。が、自分の着ている着物に問題が出始めてきた。
流石にこのような格好で歩いていると売女と勘違いされてしまうのではないか?
(んー……あんまり金使いたくねぇんだけど、一着くらい買っとくかぁ?)
道端で立ち止まって考え込む景虎。
すると、気づかない程に考え込んでいたのだろうか、何時の間にやら数人の男どもに囲まれていた。
ふっと視線を上げる。すると一人の男が近寄ってきた。
「……何か?」
「いやあ、ねえちゃん。見たところいい所のお嬢様っぽいけれど、どちらからのお出でで?」
「別にあんたらには関係ねーんじゃない?」
「……口の悪いお嬢様だな。まあいいさ、その着物売れば高いだろうし……ほう、これはなかなか上玉でもありそうだし……なあ?」
男がくいっと景虎の顎をあげ、ひひひっと下品な笑いをつける。
景虎は、はぁっとため息をついたが、そんな事にも気づかないで男は回りにいる仲間たちと目を交わせにやにやとしている。
景虎はすっと周囲に目をやった。
町の者達は、皆景虎の目を合わせようとしない。誰も助けようとはしない。
それはそうだ、男どもの腰には刀が刺さっている。
かたや町民の者たちは刀などもちろんのこと、この大人数を相手にしようなどと思う人間がいるはずがない。
手を出したら殺されるのは自分になるかもしれない。それなら見も知らぬ旅の女を一人犠牲にしただけで助かる。
(ま、そりゃそうだわな)
景虎はくっと笑った後、男の手をぱしっと跳ね除ける。
男はその様子を見て、何か言おうとしたらしいが、景虎がそれより早く一歩飛び下がる。
「まー仕方ねぇか。あんまり城下でコイツ振るうのは好ましくねーんだけど」
そう言って手を刀に向ける。
だが刀を抜こうとしたその瞬間、景虎の後ろで声が聞こえた。
「何をしている」
低く、凛とした声が景虎の耳に入る。
ふと顔を後ろに向けようとする。
と、後ろ側に立っていた男どもがバタバタバタと倒れる音がした。
完全に景虎の顔が後ろを向いた時には、自分の後ろ半分に居た男どもは全員地面に倒れこんでいた。
え?と景虎が疑問に思っている間に、他の男どもはひい!と声をあげる。景虎の後ろに居たその男の顔を見て。
「に、逃げろ!! 逃げるんだ!!」
そしてすぐさまその言葉を仲間たちに放つ。
その言葉を聞いて、そして景虎の後ろに立つ男の姿を見て、仲間たちも青ざめながらあわてて逃げていく。
「追え」
先ほどの凛とした声の男が短くそう呟くと、周りにいたお付きの者らしき者達が半数、逃げた男どもを追って走っていった。
そして残りの半数は倒れている男どもを背負って、どこかしらへ連れて行った。
残った男はまだ自分の周りに残っていた数人のお付きと共に景虎に近寄ってきた。
景虎は、動かずただぼーっとその男を見ていた。
「お主、大事ないか」
「……」
男は景虎に声をかける。
が、景虎は答えない。視線をその男から外す事なく見つめている。
男は不審そうに眉間を軽く寄らせる。
(こいつ、どこかで見たことがあるような……)
景虎は男を凝視していたが、心ではそんな事を考えていた。
見たことがあるような気がする。
どこかで。
どこで?
ーーーーどこかで、会った?ーーーー