このクズ男が息子の父親だと娘にバレたら、それって家庭崩壊の危機じゃない!?
平日の早朝。
普段は朝に料理なんてしないのだが、俺は珍しく登校前にフライパンを振るっている。
「トウヤ―教科書ないー。探して―」
2階からカリンちゃん(俺の妹)の声。勉強道具は前日の内に用意しなさいって毎回言ってるのに。
「ごめん時間無いー。自分でやってー」
料理を一人分、食卓に盛り付ける。料理って言っても鶏肉焼いて野菜炒めただけだけど。
鍵を回して扉が開く音。カエデさん(俺の母親)が帰ってきたのだろう。
俺は1時間ほど前にカエデさんから帰宅する旨のメールをもらって、彼女の為に食事を用意していた。
「うー。ただいまー……」
いかにもお疲れのご様子のカエデさんが玄関から居間に来る。
「母さんおかえり。ご飯、簡単だけど作っておいたから」
「わざわざいいのに。ありがとねトウ君」
「いいんだ。母さんにはたまにしか作れないし。
俺たちもうそろ学校行くから。
カリンちゃん準備できたー?」
「まーだー! 早く教科書探しに来てよー!」
「自分でどうにかしなさいよ。母さんごめんね。ばたばたしてて」
「朝はいろいろ忙しいから。私のことは気にしないで。
てか母さん数分だけソファで横になろうかな。眠くて無理」
「うん。ゆっくり休んで」
カリンちゃんの部屋(俺が片付けないとすぐ汚部屋になる)から古文の教科書を発掘して、家を出る。
自分用のおにぎりを作ってる暇なかったな。今日は少し贅沢して、コンビニで何か買おう。
…………。
~~カエデの視点~~
久々に家に帰ってきた。少し仮眠をとろうと思ってソファに横たわり目をつむった。
で、意識が戻って時計を見たら正午を過ぎている。
トウ君(私の息子。イケメン)がせっかく用意してくれた朝ご飯も冷めてしまった。
レンジで温めなおし、チキンステーキをもそもそ貪る。
食事を終えて食器を洗っていると、玄関からインターホンの音。
私は泡のついたコップを片手にシンクを離れた。
モニタを覗き見る。画面に映っているのは男。
その姿に愕然とした。
コップが手から滑って床に落ちる。ガラスの破片が散らばった。
私、食器を割るの初めてだ。
スピーカー越しに、その男が話す。
「久しいな、愚妹よ。俺だ」
男はモニタの向こうで唇を、口角を持ち上げ微笑を作る。
お互い年を重ねたはずだが顔の造りはさほど衰えていなかった。
まあ、顔の良さだけが取り柄みたいな男だ。それが醜さを帯びればいよいよ何も残らない。
この男は私の兄だ。
そして、トウヤの父親でもある。
――――――――
――――――――――――
テーブルを挟んで私の正面にはヤクザみたいに派手な紫スーツの男が座っている。
兄を家にあげてしまった。再び会うことがあっても関わらないと決めていたのに。
兄はクズ男だ。
十数年前、こいつは罪を犯した。警察から逃れるために行方をくらませた。
病に倒れた彼の妻と未だ幼い息子を残して。
兄は彼の奥さんが死んでも姿を見せることは無かった。
彼は北へ北へと逃れて東北で捕まった。
兄が獄を出たのは数年前だ。しかし、トウヤに会いに来ることは無かった。
私がトウヤを引き取ったことは伝えていたはずなのに。
どうして今頃になって姿を見せたの?
私には兄を警戒しない理由がない。
「……カエデよ。久しく見ないうちにやつれたな。休みはとっているか?」
「今日が休み。じゃなきゃアンタの相手をしている暇なんてない」
「そうか。ところでトウヤは何歳になったかな。16か、17か。元気にしているか」
「……わざわざ世間話をしに顔を見せたの? 十数年ぶりに? 要件を言って」
「トウヤを引き取りに来た」
「ダメ。トウヤはもう私の子供よ。
アンタは私がトウヤを育てたこの十数年、一度もトウヤに会いに来なかった。彼に何もしなかった。
なのに今更父親面するつもり? もう手遅れよ。なにもかも」
「……全くもってその通りだ」
兄はにやにやと小さな笑みを崩さない。私はこいつのトウヤに対する向き合い方を非難しているはずなのに。どうして笑っていられるの?
「トウヤだって、物心つかぬ時分に消えた男に父親を語られて、一緒に住もうとは思えぬだろうな。
よほどトウヤがカエデ、お前の元から離れたいと思っていたりしなければ、あり得ん話だ。
……カエデ。俺が話に来たのは金の話だ」
「何? 無心でもしに来たの。アンタが物乞いをしたとして、私が恵んでやると思う?」
「子供たちの学費についてはどう考えている」
兄の顔から笑みが消えた。
「トウヤと、あとお前の娘。カリンちゃんだったか。二人の学費についてはどう考えている。
「どうって……別に問題ないわ。二人とも大学までは行かせてあげられる。……国公立なら」
「私立なら無理。東京や京都で一人暮らしさせるのも仕送りはできないって感じか?」
「……そうね」
「金の工面についてなら、俺ができる。事業がようやく軌道に乗ったんだ」
「事業? どうせまた詐欺じみた犯罪じゃないの? やめてよ。汚いお金を私たちに近づけないで」
「違う。真っ当な金だ。俺が汗水たらして稼いだ真っ当な金だ。
俺はこの金が子供たちの糧になると思っているから恥を忍んでここにいる。お前の前に座っているのだ」
病的な隈に飾られた、理性を宿す瞳。その鳶色の虹彩に私の視線は吸い込まれる。
コイツ、私の兄は顔だけはいいんだ。その整った顔立ちで真剣な表情をされたら、信じてみてもいいのかなって思ってしまう。
「……連絡もなく突然やってきてお金の話をされても、胡散臭さしか感じない。
私はアンタを子供たちと関わらせたくない。
話したかったことはそれだけ? なら、もう帰って」
「そうか。わかった。今回の件についてはすこし考えてみてくれ。
連絡先を渡しておこう。何かあったら連絡をしてほしい」
兄が名刺を渡してくる。聞いたことのない会社の名前。……代表取締役って書いてる。あとで調べよ。
兄が席を立とうとしたところで、玄関側から居間の扉が開いた。
「ただいマネスキンのミュージックビデオってなんかエッチな感じするー」
脳内に疑問符を生じさせる帰宅の挨拶。カリンが学校から帰ってきた。
「お客さん来てる。こんにちわー」
「こんにちわ」
兄は得意の微笑を浮かべて返事をした。
私の脳内を一つの懸念が過る。
今ここで、この男がトウヤの父親だってカリンにバレたらヤバくね?
まず、カリンにはトウヤが実の兄でないことを伝えていない。
次に、最近カリンはトウヤを異性として、恋愛対象として見ている節がある。
つまり、カリンにトウヤが実の兄でないと知られれば兄妹関係が破綻する恐れがある!
そうなれば家庭崩壊の危機!
それだけは駄目!
私はただ、家族3人で平穏に暮らしたい。これだけは譲れない。
兄を一刻も早くこの家から退去させる必要がある。兄とトウヤの関係をカリンに悟られる前に!
…………
~~カリン視点~~
学校が終わって家に帰ってきたら、ママのお客さんが来ていた。
ママにお客さんなんて珍しいな。そもそも、ママ自体が仕事ばっかであんまり家にいないからそう感じているだけかもしれない。
しかしこの男の人、変な感じだ。妙に引っかかる。ママとはどういう関係の人なんだろう?
紫色の派手なスーツはまともに働いている人が着るイメージないし。
あと、妙にカッコよすぎるんだよな。おじさんだけど。理知的な瞳とか、整った鼻梁とか、ほどよい膨らみの唇とか。
この人とママの関係……ホストとお客さんとか? いやおじさんでホストってあんまりなさそうだし。
他に派手派手はスーツ着てそうなのは、ヤクザとか?
ヤクザ……ヤクザ……。……借金取り?
私の灰色の脳細胞に電流が走った!
この人とママの関係、借金取りと債務者なのでは!?
……やべぇ、どうしよう。あたしが今までバイトもせずにお小遣いで漫画とか買いまくっていたばかりに、ウチの家計が火の車だったなんて!
あたしは小声で、男の人には聞こえないようにママにだけ話しかける。
「ママ、あたし今からでもアルバイトした方がいいかな?」
「? どしたの急に。社会勉強もかねてアルバイトは経験しといたほうがいいと思うけど」
「だって、ウチ借金ヤバいんでしょ? あのおじさん借金取りなんでしょ?」
「……おバカ。違うわよ」
「ふふ。俺は借金取りなぞではない。カリン、俺はこういう仕事をしている」
あたしの声はおじさんに届いてしまっていたようで、おじさんは私に名刺を渡してきた。
「あ、どもです」
名刺を見る。名前は柏木 ヨウスケ。あたしと苗字一緒だ(あたしは柏木カリン)。会社の名前は知らない。代表取締役って書いてある。社長じゃん! すげー。
謎はますます深まる。なんでどこかの社長とママが知り合いなの? あたしたちと苗字がたまたま同じだなんて、偶然?
おじさんを見ていたら目があってしまった。優しく微笑みかけてくる。
くっ、すこし良いなと思ってしまった。雰囲気がトウヤみたいで……。
私の灰色の脳細胞に電流が走った!
このおじさんが妙にカッコよく感じる理由が分かった。顔のパーツ、その配置がトウヤにめちゃくちゃ似てるんだ!
私の灰色の脳細胞を無数の霹靂が駆け巡る!
おじさんの見た目の齢、あたしたちと同じ苗字、トウヤと似すぎている顔つき。
点が結ばれ線をなす!
この人はあたしたちの父親だ!
あたしとトウヤのパパに違いない!
「アンタと話すことはもうないわ。さっさと帰って」
「そうだな、お暇するとしよう」
「まって!」
席から立とうとするおじさんを止める。
「もしかして、貴方はあたしのパパですか……?」
「いや、フツーに違うが?」
で、ですよねー。もしもママがパパを紹介するなら事前に予告をするだろうし。
「俺はお前、カリンの父親ではない。
しかし、トウヤは俺のむす――ッ!!」
おじさんが話している途中で机が揺れた。
なに? 地震!?
おじさんは股間を抑えて机に突っ伏して、ママは少し慌てた様子だ。
「えと、おじさん大丈夫? 何か言いかけてたけど」
「だ、だいじょう――
「大丈夫大丈夫! 兄貴は今『ムスリムだから俺、そろそろ礼拝の時間だわ。アデュー』って言おうとしてたのよね!」
「そんなこと言おうとしてな――」
「お母さん、ちょっと兄貴を捨てに近くまで……兄貴を近くのモスクまで届けてくるから!」
ママはそういっておじさんを引きずるように担いで家を出た。
ママはおじさんのことを『兄貴』と呼んでいた。
おじさんはママと兄妹の関係ということ。
疑問は解決された、かな?
しかしそれでも一つ、気になることがある。
それは遺伝の話。
あたしはママに似ている。だから、あたしの容姿はママから遺伝した。
そして、トウヤはママに似ていない。
だから、きっとトウヤは父親にだと思っていた。
しかし、今日であったあのおじさん。母方の血筋の親戚とトウヤの外見がとても似ていた。
つまりトウヤの容姿もママの遺伝子から受け継いだものになる。
……本当に受け継いだものになるのか?
隔世遺伝? っていうのも世の中にはあるらしいけど。
気にするほどじゃない、些細な違和感。
あたしたちの出自に関する違和感を、あたしはまだ払拭出来ていない。