蓼食う虫も好き好き好き♡
『なんて可愛いんだ……』
通勤時、そこを通りかかるたびに、俺は彼女に見とれてしまう。
『君は世界一可愛い女性だ』
彼女はいつも、そこにいる。
『っていうかなぜ、俺以外は誰も、彼女の可愛さに気づかないのだろう?』
ドブ川の護岸のコンクリート部分に、エメラルドグリーンの苔が生えている。それを排水口から流れる水が、いつもしっとりと濡らしている。
濡れた部分が美しい髪、苔は髪色、そしてドブ川に注ぐ排水が作る波紋が、俺には女の顔に見えるのだ。いや、女の顔にしか見えないのだった。
彼女は俺がそこを通りかかるたび、『あっ! また来てくれたのね!』と、可愛すぎる声を上げて喜んでくれる、俺の頭の中で。
俺は彼女に『ミドロ』と名前をつけてあげていた。俺が考えうる限り最高に可愛い名前だが、それでも彼女の美しさを表すには足りない。
ミドロさんは俺を生かしてくれている。彼女がいなければ、世界はどれだけ退屈だったろう。
ミドロさんのために何かしてあげたい。
俺を幸せな気持ちにしてくれる、そのお返しがしたい。
いつもそう思っていた。
その日、俺は手に真っ赤なたらこを持ち、彼女の元へと急いでいた。
気づいたのだ、彼女は口紅をつけていない。
彼女にはきっと、たらこがよく似合う。
本当にたらこの口紅をつけてあげたら、あっという間にドブ川にたらこは沈んでしまうだろう。
だから、土手の上から、彼女の口に、たらこを重ねるのだ。
俺が手に持ったたらこを、彼女の口に遠くから重ねれば、彼女がまるで口紅をつけたように見えることだろう。
どれだけ美しいのだろうか。
俺のプレゼントを、彼女は喜んでくれるだろうか。
ドキドキしながら土手を歩き、そこを通りかかり、彼女を見て俺は「あっ!」と声を上げた。
土手の上からオッサンが、こともあろうに彼女めがけて放尿していたのだ。
俺は駆け寄るなり、手にしたたらこをオッサンに投げつけた。
「何しやがんだテメェ!」
オッサンに言われたが、俺はただひたすらに彼女が心配だった。
見下ろすと、彼女が白く泡立ってしまっていた。彼女はオッサンの小便でけがされてしまったのだ。
「何か……ワケがありそうだな? 兄ちゃん」
オッサンが俺の投げつけたたらこをムシャムシャ食べながら、言った。
俺はもう、どうでもよかった。彼女を失った世界になど生きていたくはない。スーツ姿のまま、ドブ川に飛び込むと、浅い川の底で頭を打った。
俺の頭から吹き出した血が、彼女の唇を染めた。
ああ……、ミドロ……。
死ぬまで一緒だよ。