探偵コナン・ドイル
お久しぶりです。一年ぶりくらいの投稿になりますね。
【探偵学的側面】
ホームズを生み出したのはドイルであり、ホームズに科学的な捜査をさせたのもドイルです。
当時は犯罪捜査があまり進歩してなく、アルフォンス・ベルティヨンが写真により個人を特定する方法を実行したりチェーザレ・ロンブローゾが犯罪者のタイプについての研究を発表していた程度でした。
しかしドイルは、ホームズに革新的な捜査をいろいろとさせています。その結果、探偵を教育する教科書として正典が使われるようになり、ベルティヨンの要請によって正典の法医学的研究はリヨンの医学部で行われました。過去、エジプト警察も研修に正典を教科書として使用しています。
現にホームズが研究していた煙草の灰を鑑別することによって犯人を特定する手段などは今までにない捜査方法であり、科学研究所において使われました。
ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの時代には筆跡鑑定が個人を特定するために使われていたようで、短編『花婿失踪事件』ではタイプライターによって打ち出された文字が各々に特徴を持つ、という点を利用した新たな筆跡鑑定法をドイルが生み出しました。
また、ジョージ・エダルジとオスカー・スレイターという二人の人物の無実の罪を晴らすためにドイル自身が活動をし、輝かしい業績をあげました。
エダルジは父がインド人であるということから人種的差別を受け、証拠もないのに家畜が連続して殺される事件の犯人として有罪判決を受けました。
ユダヤ系ドイツ移民のスレイターは別の軽い事件の犯人だったために、ダイヤモンドのブローチが盗まれ高齢の独身女性が殺害された事件の犯人として目撃者まででっちあげられて死刑判決を受けています。
他にも離婚法改正協会の会長に就任して、当時は女性に圧倒的に不利だった離婚法の改正に尽力し、1914年~1918年の第一次世界大戦直前に政府に対して潜水艦の脅威を警告したり英仏海峡海底トンネルの必要性を説くなどの国防上の提言も行いました。
モリアーティとマイクロフトは取り引きをし、ホームズとモリアーティ両人ともに死んだことにして身を隠して特殊任務に就いたのだ、という大空白時代についての一説を『シャーロック・ホームズの謎』にて発表したマイケル・ハードウィックは『ドイルこそ、真のシャーロック・ホームズである』と言っています。
ドイルとホームズの共通点としては、ナイトの爵位でしょう。ホームズは作中でこれを辞退するわけですが、ドイルは受け入れました。
愛国者であるドイルは第二次ボーア戦争の戦地に、医療奉仕団の一員となって向かいました。最初は義勇軍に志願しましたが四十歳のため不採用となったため、医療奉仕団に参加したらしいです。
当時、その戦争でイギリス軍の残虐な行動が国際的に非難されていました。ドイルは帰国後に、実際に見てきた者の証言として小冊子や戦記に、その非難は事実ではなくマスコミが作り上げたものとしてイギリスを擁護。
1902年にその功績によってドイルは王室よりナイトの地位を与えられ、敬称の『サー』と『アーサー』を付けて『サー・アーサー・イグナチウス・コナン・ドイル』という名前となりました。
ドイルとホームズの趣味も酷似しており、ボクシングなどは二人とも得意としています。そしてホームズは持ち前の腕力で数々の犯罪者を捕らえてきました。
しかしホームズも万能というわけではなく、駅の待合室で殴られた際に犬歯を折っています。
これについて、犬歯は頑丈であり殴られた程度では折れないのでホームズは元々歯が悪くて歯槽膿漏だったのではないかと言うシャーロキアンもいるそうです。
ホームズは細身ですが腕力もあり、ロイロット博士の曲げた火かき棒を素手で元にも戻しました。
火かき棒を曲げるより元に戻す方がさらに強い腕力が必要だと進士順一さんなどが指摘していて、ホームズの腕力がどれほどのものかの一つの指標となっています。
話しを戻して、ホームズと同様にドイルもアマチュアなりに強いボクサーでした。
そもそもドイルは体格が良く、身長は6フィート(約183センチメートル)とホームズの身長と近いのですが体重は17ストーン(約108キログラム)であり細身のホームズとは比べものにもなりません。
細身のホームズと違って巨体から繰り出されるドイルのパンチは、相手を一瞬でダウンさせられるでしょう。
ホームズの性格の一つである自信過剰や傲慢さですが、精神科医でもある小林司さんによると弱虫の甘えん坊が内心の不安を隠すための反動のようです。
ドイルは母メアリーを『マム』と慕って呼んでいましたが、ドイルは大人になってからも何かにつけて母親に相談をしていました。
甘えん坊とも言えますし、ドイルは無意識のうちにホームズをそんな性格へさせてしまったのかもしれません。
ドイルもホームズも英国紳士でありイギリスの愛国者であり、とこのようにドイルはホームズの性格を自分さに似せています。
つまりハードウィックの言った『ドイルこそ真のシャーロック・ホームズである』という言葉は、それほど荒唐無稽というわけではないということです。
加えて特筆するべきは、ホームズの斬新な捜査方法がその後の警察や探偵に大きな影響を与えていたということです。
この捜査方法を考え出したのはドイルなので、作者自身を探偵と言っても差し支えないでしょう。
体術にも優れ、暴れ出した犯人を取り押さえることも出来ます。ドイルは探偵として開業したならば、成功することが出来た可能性はあります。
ホームズのモデルはドイルの恩師であるジョセフ・ベル博士だと作者ドイルも言っていますが、ドイルが二人の冤罪を晴らしたことを理由に息子のエイドリアン・コナン・ドイルは作者自身がモデルだと言っています。
エイドリアンは父親がホームズの生みの親だということに誇りを持っていたようで、ホームズのパスティーシュ・パロディは自分が書いたものしか認めていません。
日本で初めてまとめられたホームズのパスティーシュ・パロディ集『シャーロック・ホームズの遺産』は出来が非常に良かったので、エイドリアンが抗議文を送っています。
ドイルは真のホームズでもありますが、ドイルが冤罪を晴らした二つの事件は1903年と1909年の出来事のようで、一方でホームズが初めて登場した長編『緋色の研究』はそれ以前に執筆されています。なので、ドイルが自分自身をホームズのモデルとしたのは考えにくいでしょう。
【医学的側面】
前にも書いたようにハンカチに染み込ませたクロロホルムを嗅がせて眠らせるという推理小説でよく見るような描写は実際には不可能であり、正典にもそのような描写が確認出来ます。
クロロホルムと推理小説との関係を遡ってみると、正典が初出(もしくは初期)の描写だとわかります。
ハンカチに染み込ませたクロロホルムの量くらいで眠らせるのは難しく、相手の体を三十分ほど固定する必要があります。
気化したクロロホルムを吸引しないと効果がないという点ですが、揮発性のクロロホルムは常温でも気化するので大丈夫です。
このクロロホルムが開発されたのは、ドイルの母校であるエディンバラ大学医学部になります。
ドイルは医者という経歴を持ち、クロロホルムが開発されたのも母校でした。なのになぜドイルは誤った医学的描写をしたのかというと、様々な理由が関係しています。
医療技術の進歩は飛躍的であり、医療の現場から離れたドイルは最新の医学に無知だという問題を抱えていました。
そして正典の中でワトスンが時々最新の医学雑誌や論文に目を通している場面やそれらを読んでいたとわかるセリフがあり、そのようなワトスンの姿が医学の最新情報の収集に努力していたドイルの姿が重なっているように思えると水野雅士さんは言っています。
ドイルは最新の医学に無知だという点の他に、医学の専門分野を持っていませんでした。唯一興味を持ったのも眼科であって正典にもあまり描写されず、しかも眼科医に転身しましたが失敗に終わっています。
これら上記の理由も相まって、正典での医学的描写に間違いが多々あったのだと考えられます。
ホームズとドイルに共通点があるように、ワトスンとドイルにも共通点はあります。その最たるものは、両者ともに医者だということです。
しかしドイルは医者として失敗をして文筆一本で立つ決意をしたのに対して、ワトスンはパディントンやケンジントン、クイーン・アン街などに医院を開業していて医者としての腕前は確かにありました。
水野さんはこの点について、一つの憧れとしてドイルはワトスンの人物像を描いたのではないかと言っています。
医者としてのワトスンの腕はホームズも頼りにしていますが、ホームズにもそれなりに医学の知識はあったのだとわかる描写もあります。
ワトスンは気付け薬としてアンプルに入れたエーテルやアンモニア、ブランデーなどを持っています。コーヒーも気付け薬としてワトスンやホームズが使っています。
当時はコーヒーは男性中心の飲み物で、男性はコーヒーを飲む場所に入り浸っていたため女性からの反感も強かったようです。
女性はコーヒーへの抵抗があったので、女性へ気付け薬を使う際はエーテルやアンモニアやブランデーを使っていた印象を受けます。
事実、短編『まだらの紐』でホームズは女性に眠気覚ましとしてコーヒーを勧めていますが、女性はそれを断りました。しかし短編『ウィステリア荘』では濃いコーヒーを気付け薬としてホームズは女性に飲ませています。
精神分析学者のジグムント・フロイトが臨床精神科医だった1884年にコカインはがうつ状態を改善する薬だと発表し、モルヒネに対抗する性質をコカインから持っていると突き止めてモルヒネ中毒の治療薬として役立つ他に、喘息抑制、性欲昂進、神経衰弱、局所麻酔などに効果を発揮すると書きました。
当時はうつ病に効く薬はないと言われていて、コカインがうつ病や神経衰弱を治す一種の気付け薬としての効果が期待されていたのでしょう。
また当時コカインは興奮薬として知られていたので、コカインを摂取することなどによる興奮が気付け薬として作用すると考えられていたのだと思われます。
ワトスンのセリフからもわかるようにドイルは麻薬が健康を害すると知っていましたが、使い方を間違えなければ薬にもなると理解していました。
ドイルやエディンバラ大学医学部の先輩達は薬の効果を自分の体で試していたようで、コカインなどもドイルは自ら試したかもしれません。
短編『悪魔の足』では未知の毒物の効果をホームが自分の体で試す描写があります。
医学的描写に間違いはあるもののドイルは探偵としても医者としてもある程度の腕を持っていて、怪我人の応急処置をするだけの知識と頭脳、犯人を捕らえる体力を持ち合わせていました。
探偵として、これほど適任の人物は現実ではなかなかいないのではないでしょうか。
【心霊学的側面】
心霊現象研究協会の会員となったドイルは、1910年代後半になって心霊学を信じていると明言しました。そして多くの有識者の失望と嘲笑を買ってしまいます。
けれどドイルは真剣そのものであり、正典によって儲けた莫大な私財を投じてまで心霊学関連の十二冊に及ぶ著作の出版や無数の新聞雑誌の寄稿を書き、ヨーロッパ諸国からアメリカ大陸、アフリカ大陸にまで講演行脚を精力的に行い、ラジオ放送をし、演説をレコードに吹き込み、心霊学書籍販売所を経営して自ら店頭にまで立ちました。心霊学関連書籍の発送の仕事すら手伝い、心霊学の普及に尽力しました。
これには江戸川乱歩も、心ひかれることはあっても心霊現象を信じる気にはなれないと言っています。
ドイルが心霊学を信じるようになったのは、1887年頃です。その頃に友人から誘われた交霊会にドイルが出た際、詩人リー・ハントの本を手に入れるべきか迷っていたことをピタリと当てられました。
ドイルはこのことを誰にも言っていなかったので、これ以後は幽霊は存在するのだと思うようになりました。
ドイルは探偵としての能力はあったとしても、心霊学を信じているならば死人などから犯人を聞き出そうとするのではないでしょうか。
もしドイルがホームズのような単独で探偵を開業したとして、霊能事務所のようになっていたかもしれませんね(笑)。
【パスティーシュ・パロディ】
本頁のサブタイトルと同名の小説であるブラッドリー・ハーパーの『探偵コナン・ドイル』というものがあります。
この推理小説はドイルとベル博士、男装の女流作家マーガレット・ハークネスの三人が切り裂きジャックを追うというものです。
事件解決を依頼したのは前首相らしく、ホームズの推理法を用いてほしいとのことです。
切り裂きジャックが事件を起こしていたのは、長編『緋色の研究』と長編『四つの署名』を発表する間です。
つまりホームズやドイルがさほど有名ではなかった時期になります。なので前首相がドイルに捜査を依頼するのは少し首を傾げなくてはいけません。
しかし『緋色の研究』が『ビートンズ・クリスマス・マニュアル』誌に発表され、初めて世に出された際には少なからず反響はあったので、無名と言うほどではありませんでした。ただ、アメリカの方がイギリスより反響があったようです。
けれど当時のドイルを無名と呼ぶには差し支えないので、やはり切り裂きジャック事件の捜査がドイルに依頼されるのは現実では少し考えにくいでしょう。
何と言っても、『緋色の研究』は他の作品とセットで『ビートンズ・クリスマス・マニュアル』誌に掲載されました。いわゆる、抱き合わせ、というものです。
それに小説のタイトルが『探偵コナン・ドイル』なのにも関わらずドイルはワトスン役のようで、探偵役を担ったのはベル博士でした。
ホームズのモデルであるベル博士は、実際にホームズばりの推理を披露しています。
立派で教養のある感じですが脱帽しなかった点とスコットランド人の言葉の訛りを話すという点、一見しただけでわかる象皮病に侵されているという点を考慮してスコットランド高地連隊へ配属されて西インドのバルバドス諸島に駐屯していた軍人だが除隊して間もない人物だとベル博士は推理しました。
この推理は的を射ていました。脱帽するのは市民の作法ですがその人物は脱帽をしなかったので、脱帽しないという軍人の習慣にまだ慣れてしまっていて除隊後間もないのだと見抜き、軍に入ったスコットランド人は普通はスコットランド高地連隊へ配属されると知っていて、象皮病は西インド諸島特有の風土病であり西インド諸島に派遣されているイギリスの軍隊の駐屯基地はバルバドス諸島だと把握していた上での推理だとその場で説明しています。
さすがはホームズのモデルとなったベル博士です。まさにホームズばりの推理で、これならばベル博士は探偵としてもやっていけますね。ドイルも顔負けです。
あ、前書きの次のページのところに『主要参考文献』というページを割り込み投稿しました。本作を書く際に参考にした主な文献です。




