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名探偵を丸裸! シャーロック・ホームズ大事典  作者: 髙橋朔也 編著
ヴィクトリア朝イギリス
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地理学

 正典に登場する地名には、架空の地名などが数多く存在します。そういう場合、風景などの作中の描写から事件現場がどこかを推理することがあります。それを、シャーロキアンは地理学と呼んでいます。

 言わば学問であり、決して遊んでいるわけではないのです。もう一度言いましょう。決して遊びではありません!

 本頁では、この地理学を扱います。地理学と言っても、主に正典での架空の地名のことですが。



【ボスコム谷】

 短編『ボスコム谷の惨劇(さんげき)』では、ボスコム谷という場所が事件の舞台となっています。このボスコム谷は作中で『ヘレフォードシャーのロスという町からそう遠くない郊外(こうがい)』にあると記されていますが、その場所にはボスコムという地名は存在しません。ただ、ヘレフォードシャーのロス近郊にある『Boulstone(ボールストーン)』という町を『Boscombe(ボスコム)』だと考えている研究者もいます。(つづ)りも似ていますし、ありそうですね。

 また、河出文庫版『シャーロック・ホームズの冒険』の『ボスコム谷の惨劇』の注釈には、ボスコム谷について『ハンプシャー州のボスコム渓谷(けいこく)の名前を採ったもの』と書かれています。

 他にも、ウィルトシャーのソールズベリ近郊(きんこう)にもボスコムという地名があります。近くにはボーン谷というものがあるようです。

 ウェールズとの国境近くにも『ボスコム池』というものがあるようで、ボスコムの名前が付く地名が多いです。ちなみに、『ボスコム谷の惨劇』では『ボスコム沼』なので、『ボスコム池』とかなり近いです。



【ソア・プレース】

 短編『ソア橋』の舞台となったのが、ソア・プレースです。これも架空の地名なのですが、平賀三郎さんやジョナサン・マッカフェティ、フィリップ・ウエラーなどがノーシントンのザ・グランジをソア・プレースだとしています。

 くわしくは『正典の謎』の章の『ソア橋』で触れています。



【金の棒】

 短編『唇の捩れた男』では、アヘン窟『金の棒』が登場しています。この所在地について、くわしくは『ヴィクトリア朝イギリス』の章の『アヘン窟「金の棒」』で触れています。



【ホームズの隠居地】

 1903年頃、ホームズはベーカー街221Bの部屋を引き払ってサセックス州のイーストボーンから5マイル(約8キロメートル)の土地に引っ越しました。その際に探偵を引退し、養蜂と晴耕(せいこう)雨読(うどく)の生活を始めます。引退時、ホームズは五十歳ほどです。

 短編『ライオンのたてがみ』では、フルワース村が事件の舞台でした。このフルワース村は実在しません。ホームズの隠居地は正典で明記されておらず、架空のフルワース村から近いということがわかります。

 ホームズの隠居地はイーストボーンから五マイル、南イングランドの丘陵(きゅうりょう)の南斜面(しゃめん)上にあり、イギリス海峡(かいきょう)が一望出来る場所にある一軒家です。

 イーストボーンはイギリス南部にあり、イギリス海峡に面した気候温暖の地です。そのため、各地から避暑(ひしょ)避寒(ひかん)などで人々が集まって、一年中(にぎ)わっています。

 ホームズの隠居地の中で候補地としてはホワイト・クリフが挙げられます。このホワイト・クリフは石灰岩が露出(ろしゅつ)しているため白く、垂直な岸になっています。ホワイト・クリフという名前は、イギリスの古名『白亜(はくあ)の国・アルビオン』の由来だと言われているようです。



【バールストン村】

 長編『恐怖の谷』の事件の舞台となったのが、バールストン村のバールストン館です。このバールストン村は架空の地名であり、捜しても見つかりません。

 正典での記述によると、事件現場となったバールストン館はサセックス州の北の外れにあり、タンブリッジ・ウエルズの西へ10マイル(約16キロメートル)のところにあります。

 上述したような位置と合致(がっち)する、タンブリッジ・ウエルズの西へ十マイルにあるフォレスト・ロウのブランブルタイ館という館がありますが、これがバールストン館だとする説があるようです。ブランブルタイ館は現在では外壁(がいへき)を残して廃虚(はいきょ)となっていますが、この館を発見したベルは『1888年当時は堀をめぐらした館が現存し、そこには()ね橋が()かっていた』と報告しています。

 ドイル自身はバールストン村をグルームスブリッジ村だとしていて、この村の西の方にはグルームスブリッジ・マナーという館があります。グルームスブリッジ村はタンブリッジ・ウエルズの西へ約4マイル(約6.4キロメートル)に位置していて、正典での記述とは符合(ふごう)しません。

 モントゴメリーは、ドイルから(おく)られた『恐怖の谷』に『ここに描かれている古い邸宅グルームズブリッジ・マナーを楽しく思い出して頂けますよう』という献辞(けんじ)があることから、上記のグルームスブリッジ村のグルームスブリッジ・マナー説を支持しています。

 グルームスブリッジ村は現在では付近(ふきん)一帯(いったい)がグルームスブリッジ・プレイスという公園となっていて、園内には堀をめぐらした大きな建物があります。この建物がグルームスブリッジ・マナーです。跳ね橋はなく、玄関への通路は石の橋となっています。1888年当時は跳ね橋でしたが、後に撤去(てっきょ)されて現在のように作り変えられたようです。園内には正典での記述に合致する堀に流れる小川があり、ドイルの記念館もあります。

 バールストン館をブランブルタイ館とする説とグルームスブリッジ・マナーとする説は、どちらも矛盾(むじゅん)する点があります。しかし、グルームスブリッジ・マナーの周囲は正典での風景と酷似(こくじ)しており、廃虚のブランブルタイ館より見応えがあります。

 明日は『移動手段』を投稿します。

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