沼毒蛇の謎
ホームズシリーズの短編『まだらの紐』では、凶器がインドの毒蛇(『沼毒蛇』という名前)となっていますが、このまだらの毒蛇には実際にはない蛇の特徴があります。
【作中の毒蛇の特徴】
日本シャーロック・ホームズ・クラブ第一回全国集会『シャーロック・ホームズの集い』で、動物学者でシャーロキアンでもある実吉達郎さんは『シャーロック・ホームズと動物たち』を発表しました。
その発表で『まだらの紐』を今まで感心して読んでいた会員を愕然とさせた、と紀伊国屋渡舟さんが言っています。
作中の毒蛇はミルクを餌にし、口笛で蛇を操り、手なずけられています。
しかし実吉さんによるとミルクを餌とする蛇は実在せず、蛇には耳もありません。音は全身で感じられるにしろ、耳がある動物のように口笛を戻る合図として聞き分けることは出来ないようです。
また、手足のない蛇は体の下の鱗で歩いているらしく、紐を使って後戻りをすることは出来ないようです。
つまり、作中の毒蛇は架空の生物ということです。
しかも作中の毒蛇は噛んで数秒で人間を死に至らしめています。
こんな猛毒を有する毒蛇は確認されていません。他にも毒蛇を金庫に入れて扉を閉めていますが、これだと蛇以外の生き物も窒息死します。
【蛇使いが蛇を操る方法】
ではここで、蛇使いはなぜ笛を吹いて蛇を操れるのか、という疑問が出てきます。
ですが、蛇使いは蛇を操っているわけではありません。蛇使いが蛇の入ったカゴを足で軽く叩いた時の振動でカゴから頭を出した蛇は、蛇使いの笛の動きに反応して動いているのです。
なので失敗すると噛まれたりします。
ドイルはインドの蛇使いが笛で蛇を操っていると勘違いし、『まだらの紐』でトリックに使ったのだと考えられます。
ちなみに蛇がミルクを好むという迷信がアフリカやアメリカにあるらしく、インドの蛇使いと混同してしまったのでしょうか。
【作中の毒蛇の解釈】
このことは私も何度か書いたりしていますが、この毒蛇の矛盾した点を解消している小説があります。
松岡圭祐さんの『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』です。
この本は推理小説として完成しているにも関わらず、ホームズシリーズの正典の矛盾が丁寧に解釈されて解消しているんです。
その解消された矛盾は『まだらの紐』の毒蛇も例外ではありません。
この本について少し説明しますと、『最後の事件』でホームズがバリツでモリアーティ教授を倒した直後から数年のホームズの動き(ホームズが姿をくらましていた時のことは『大空白時代』などと呼ばれています)が小説として書かれており、ホームズは日本に来て伊藤博文に会うんです。
さすが『万能鑑定士Q』の作者様です(私、『万能鑑定士Q』好きなんですよ!)。
毒蛇の矛盾点を解釈している部分を引用します。
『「ロイロットという男は、笛とミルクで蛇を操れる気になっていた。実際には通気孔をくぐらせようと頭から押し込んだのだろうし、ロイロットの部屋は飼っている動物のせいで湿っぽく室内も暗くしていたから、蛇もねぐらを求めて戻ってくるのが常だった。そんな蛇を支配下に置いていると錯覚したからこそ、油断してみずから毒牙にかかったのだ」』
ホームズの話している部分です。この解釈には納得するしかないですね。
話しはそれますが、『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』はホームズ好きの方は必見です(ホームズをくわしく知らない方も是非!)。すごく面白いですよ!
ちなみにこの『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』に、北原尚彦さんが解説をしています。
まあしかし、猛毒の件はさすがに説明出来ません。あと、私的な解釈では、金庫には毒蛇に息をさせるための小さな穴を開けていたのではと思います。
【『まだらの紐』の問題】
原文のタイトルは『The Adventure of the Speckled Band』であり、邦題は基本的に『まだらの紐』となっています。
バンドには『紐、ベルト、帯』と『群れ、一団、楽団』の意味があり、ホームズは『バンド』の意味が『紐』か『一団』のどちらを示しているのか迷いました。
つまり、『まだらの紐』というタイトルがネタバレになっています。
まだら模様の蛇を見間違えて『まだらの紐』としたところから、まだらの紐という言葉は生まれました。
このタイトルのネタバレについて日暮雅通さんは、『まだらの紐』のままで良いと言っています。
その理由としては、『紐』と『蛇』を結びつけることは難しいため、『まだらの紐』とはどんな紐なのかなどの謎が生まれるからです。
【なぜ名作なのか】
架空の生物が凶器として使われたのは、『まだらの紐』だけではありません。
短編『悪魔の足』や短編『這う男』も実在しない毒物や若返り法が鍵を握っています(『這う男』の若返り法については前々頁で話しましたが)。
この『悪魔の足』と『這う男』は実在しないものが鍵を握っているため、評価が低くなっています。ではなぜ実在しない毒蛇が鍵を握る『まだらの紐』が人気なのか。
おそらく、ドイルに問題があります。初期の頃の正典は面白いプロットの作品になっていますが、後期の作品の場合はドイルが無理矢理書かされたような状態になっています。
なので後期の作品は初期の作品のプロットを再利用したものが多いのです。
シャーロキアンは正典を何回も読み返すので、後期の作品の評価は当然低くなります。
ただし初めて正典を読む人が後期作品の短編集『シャーロック・ホームズの事件簿』を読んだところ、面白かったと言うそうです。
初期の作品には『まだらの紐』、後期の作品には『悪魔の足』や『這う男』が含まれます。
つまり、実在しないものが鍵を握っているから評価が低いわけではなく、プロットが同じだから後期の作品は全体的に評価が低くなってしまうのです。




