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名探偵を丸裸! シャーロック・ホームズ大事典  作者: 髙橋朔也 編著
ホームズの概要
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番外編 ホームズがヒットした背景

【ホームズ史】

 ホームズシリーズの第一作『緋色の研究』が発表されたのが、1887年11月号刊行の『ビートンズ・クリスマス・マニュアル』誌です。そこで一挙掲載され、そこそこ話題になります。


 そして翌年には単行本化されました。単行本の挿絵はドイルの父が描きましたが、ドイルの父は絵がうまいですが測量技師を生業(なりわい)としています。


 オスカー・ワイルドとコナン・ドイルを競争させるという企画にドイルが応じ、これにより1890年に『四つの署名』が『リピンコッツ・マガジン』に発表されました。『四つの署名』は『緋色の研究』以上に評判が良かったようです。


 オスカー・ワイルドはこの企画の際に『ドリアン・グレイの肖像』を発表しています。


 1891年に創刊した『ストランド・マガジン』にて、同年に連作短編の形式で7月号から連載開始。最初に発表した短編『ボヘミアの醜聞(しゅうぶん)』から人気になり、連載が進むにつれて人気は高まっていきました。


 その理由は、当時は一話読み切りではない連載が多く、一月(ひとつき)(一号分)買い忘れてしまうと話しが着いていけなかったのですが、連作短編は一話読み切りなので買い忘れても話しに着いていけるからです。


 こうしてシャーロック・ホームズはどんどん人気になっていきます。


 しかし、まずいことが起こります。ドイルは歴史小説を書くことが本分(ほんぶん)だと考えていたので、ホームズシリーズを打ち切ろうとしました。


 すると運良く、ドイルが『マァム』と(した)う母のメアリーが短編『椈屋敷』のアイディアを思い付いたためにドイルはホームズの連載を続けました。


 けれど1893年、妻とともにスイスを訪れ、ドイルはライヘンバッハの滝を見つけてしまいます。


 ドイルは早速、ライヘンバッハの滝でモリアーティ教授とホームズが一緒に谷底へと落ちる短編『最後の事件』を書き上げて同年の12月号『ストランド・マガジン』に掲載します。


 この『最後の事件』を読んだ読者は『ストランド・マガジン』に苦情を言ったり定期購読を打ち切ったり、ホームズを復活させろとドイル宛てに脅迫の手紙を送りつけたり、ということなどを行いました。


 ロンドンの街にはホームズを(とむら)喪章(もしょう)を着けた人が続出したようです。


 1902年、ドイルは友人フレッチャー・ロビンソンから怪奇色強めのアイディアを貰って、それで小説を書こうとします。


 しかし主人公が思い付かず、ホームズがピッタリだということになります。ですがホームズは死んでいるので、死ぬ前に起こった事件、ということにして『バスカヴィル家の犬』を発表。


 読者は大急ぎで書店に駆けつけますが、ホームズが復活していないことにガッカリしました。


 それからドイルの考えも変わっていき、ニューヨークの『コリアーズ』誌はホームズの短編一編につき五千ドルという破格の原稿料を提供をドイルに申し入れました。


 生活面などの理由もあってこれを受け入れ、ドイルはホームズシリーズの短編『空き家の冒険』を1903年に発表します。これでホームズは復活を()げて、読者は大いに喜んだことでしょう。




【なぜホームズが人気を博し、その人気を保ち続けているのか】

 ホームズが人気となったのはドイルの手腕とホームズが面白かった上に、前述した通り連作短編形式になったからです。


 正典はよく聖書の次に読まれているベストセラーとも言われています。


 しかし平賀三郎さんによると、スペインに行くと聖書の次に読まれているのは『ドン・キホーテ』と言われているらしく、出版の統計データに基づいているわけではないです。


 ドイルはホームズ以外にも、かなりの名作を残しています。歴史小説やSF(当時は『科学ロマンス』)などの小説で才を発揮したドイルですが、ホームズが人気過ぎて他作品が埋もれるのではないかとドイルは考えてホームズを打ち切ろうとしていたようです。


 そんな手腕のドイルが連作短編形式にしたことで人気を博しました。


 ホームズが人気を博した理由は、他にもあります。『名探偵シャーロック・ホームズ事典』には、このようなことが書かれています。


 当時のイギリスは世界に先()けて産業革命を()()げて、世界一豊かな国になった反面、社会の構造(こうぞう)が急速に変化しつつあり、人々はこれから先どうなるかという不安を(いだ)いていました。


 ホームズは当時の迷える人々に一つの理想的な生き方を示して(あこが)れと勇気と安心感を与えたんです。


 では、なぜ数百年経った今でも全世界で人気なのでしょう。そのことについて、『初歩からのシャーロック・ホームズ』の後書きで北原(きたはら)尚彦(なおひこ)さんが言っていることがあります。


 北原さんは、後述する『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』というホームズのパスティーシュ作品に解説を書くなど、日本で名の知れたシャーロキアンでありながら小説家です。ホームズ関連の書籍も多数執筆しています。


 話しを戻して、北原さんは『初歩からのシャーロック・ホームズ』後書きにて、ホームズがこれほどまで人気を保っているのは『シャーロック・ホームズが史上もっとも成功したキャラクター小説であり、バディ物であるからだと思います。もともと物語作りの天才であったコナン・ドイルがシャーロック・ホームズという宝石の鉱脈(こうみゃく)を掘り当て、最も輝く形に磨き上げ、世に送り出してくれたのです。原作が強固(きょうこ)であるがゆえに、どのように改変されてもホームズはホームズであり続け、世の中のメディアの変遷(へんせん)に乗って普及(ふきゅう)し続けたのでしょう。』と語っています。


 つまり、ホームズシリーズが人気を博したことが切っ掛けでパスティーシュ、パロディでのシャーロック・ホームズ作品が現れ、それが今日(こんにち)に至るまで続々と発表されているがゆえにホームズのことを新たな世代が知り、原作である正典を読むようになり……というようなループがあるということです。


 今なおホームズが人気の理由についても、『名探偵シャーロック・ホームズ事典』に書かれています。


 それによると、不安は当時のイギリスに限ったことではなく、世界中の人々も現代の人々も一緒で、だからこそ今も人気だということです。


 ワトスンの影響もかなりあります。これは後述しますが、ワトスンがいないと正典はまったく面白くないです。


 ホームズはワトスンと議論して真相に辿(たど)り着くようなタイプではなく、ワトスンがいなければホームズの推理はどのように行われたのかわかりません。


 ワトスンがわかりやすくしているからこそ、ホームズに魅力(みりょく)が生まれるということです。


 また、ワトスンは正典でかなり間違いを記しています。そういうワトスンの間違いの()げ足を取るのがシャーロキアンであって、本作も揚げ足取りということです。


 ワトスン(実際はドイル)の間違いをどう解釈したら矛盾(むじゅん)を無くせるのか。それを突き詰めていったら学問として成立してしまったため、今も勢いは(おとろ)えていません。


 学校で勉強する英・国・数・理・社が衰えないのと同様に、学問であるホームズが衰えてないのは必然ということです。


 ホームズが人気の理由は様々で、数々の理由のお陰でベストセラーとなりました。

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