ホームズの経歴
この頁は丁寧語ではありません。
1850年 ワトスンが生まれる。
1854年1月6日 ホームズが生まれる。正典で記述
はなく諸説あるが、現在ではこれが
定着している。
1872年 オックスフォード大学入学。これも
正典で触れられていないが、これが
定説となっている。
1874年 『グロリア・スコット号』を解決
に導く。これが切っ掛けとなって探
偵を志す。
1877年 私立探偵を開業する。しかし、依頼
はまったく無く、研究に没頭するよ
うになる。
1879年 『マスグレーヴ家の儀式』等の事件を
解決する。
1881年 血液判定の新たな方法を発見。論文
『生命の書』などを発表。ベーカー街
221Bでワトスンと同居開始。ホーム
ズシリーズ第一作『緋色の研究』を
解決する。
1883年 『まだらの紐』を解決。
1886年 『入院患者』『花嫁失踪事件』『第二
の汚点』を解決。
1887年 『ライゲートの大地主』『ボヘミアの
醜聞』『唇の捩れた男』『オレン
ジの種五つ』『花婿失踪事件』『赤
髪組合』『瀕死の探偵』『青いガー
ネット』を解決。『緋色の研究』の
事件調査報告がビートンのクリスマ
ス年鑑に発表。ホームズの名前が知
れ渡る。
1888年 『恐怖の谷』『黄いろい顔』『ギリシ
ャ語通訳』『四つの署名』『バスカ
ヴィル家の犬』を解決。ワトスンが
メアリー・モースタン嬢と結婚し、
ベーカー街221Bを去った。
1889年 『椈屋敷』『ボスコム谷の惨劇』『株
式仲買定員』『海軍条約文書事件』
『ボール箱』『技師の親指』『背の曲
った男』を解決する。
1890年 『ウィステリア荘』『白銀号事件』
『緑柱石の宝冠』を解決する。
1891年 『最後の事件』、ライヘンバッハの滝
でモリアーティ教授と死闘の末にモ
リアーティ教授を谷底に叩き落と
し、ホームズは自分が死亡したよう
に偽装する。
1892年 この間はホームズは死亡したことに
│ なっていた。シャーロキアンの中で
1893年 は大空白時代、大失踪時代などと呼
ばれる。
1894年 『空き家の冒険』にてホームズは復
活。ワトスンを失神させるほど驚か
せる。『金縁の鼻眼鏡』を解決す
る。
1895年 『三人の学生』『美しき自転車乗り』
『黒ピーター』『ノーウッドの建築
士』『ブルース・パティントン設計
書』を解決する。
1896年 『覆面の下宿人』『サセックスの吸血
鬼』『スリー・クォーターの失踪』
を解決する。
1897年 『アベ屋敷』を解決。『悪魔の足』で
は、ホームズ自らが毒物の実験台と
なって死にかける。ワトスンに助け
られ、感謝をした。
1898年 『踊る人形』『隠居絵具屋』を解決す
る。
1899年 『犯人は二人』発生。『犯人は二人』
の事件解決のため、ホームズは配管
工に装い、エスコットという偽名を
名乗ってミルヴァートン家のメイド
であるアガサと婚約をする。
1900年 『六つのナポレオン』『ソア橋』を解
決する。
1901年 『プライオリ学校』を解決する。
1902年 『ショスコム荘』『三人ガリデブ』
『フランシス・カーファクス姫の失
踪』『高名な依頼人』『赤い輪』を
解決する。
1903年 『白面の兵士』『三破風館』『マザリ
ンの宝石』『這う男』を解決する。
そして、探偵を引退。
1909年 探偵を引退後『ライオンのたてが
み』を解決する。
1914年 政府からの要請で探偵を再開して
『最後の挨拶』を解決。そしてまた引
退する。
1926年 『白面の兵士』と『ライオンのたてが
み』をホームズ自らが執筆し、発表
する。
2022年 正典にははっきりと、ホームズが死
亡したとは書かれていない。タイム
ズ紙にホームズの死亡記事が載って
いないことから、シャーロキアンら
は口を揃えて『未だに生きている』
と言う。