幸せの魔法
本作は、秋月忍さま主催「冬のシンデレラ企画」参加作品です。
軽やかで優美なワルツの流れる中、王子様と踊る私。高い天井から煌びやかなシャンデリアがぶら下がるホールには、色とりどりのドレスが花を咲かせている。
そんな中、お姉さまが近づいてくる。手には大きなかぼちゃパイ。丸ごとのパイが頭上でぐらぐら揺れている。笑える絵面だけど、表情は真剣そのもので悲壮感すら漂っていた。
私は溜め息をついた。これはまた、明後日の方向に思い詰めて、やらかす気だ。
あのかぼちゃパイをぶつけて、クリームまみれになった私を退場させる。狙いはそんなところかしら。
「ライアン」
「ん?」
名前を呼ぶと、柔らかな声が返ってくる。チラッと目線をお姉さまに送ってみせると、それを横目だけで辿ったライアンが微笑んだ。
「ああ。また突拍子もないことをやる気みたいだね。それにしてもまた、ずいぶんと大きなパイを持ってるな。あれじゃ君にぶつける前に落としそうだ」
「そうね。失敗して大惨事にならなきゃいいんだけど」
自分にパイをぶつけようとしている人を心配するなんて、おかしな話だけど。
なにせお姉さまは、暖炉の掃除をしようとすれば灰を舞い上げ、モップ掛けをしようとすれば水浸しにして転ぶ。
母が死んで10年経ち、ようやく再婚した父だったが。再婚相手の継母は、おっとり天然の箱入りお嬢様。その娘であるお姉さま二人も例にもれず、いかにもな貴族のお嬢様だ。掃除洗濯はもちろん、自分で金を払って買い物もしたことがない。成り上がり貴族の私とは大違いだった。
ザ・不器用。世間知らず。態度はでかいけど、変にお人好し。
夫に先立たれた後、財産の管理をしていた家令に遺産をちょろまかされ、残った金も屋敷も借金のかたに取り上げられて裸一貫。それでも借金が残り、売り飛ばされそうになっていた母子三人を、父が拾ってきた。あれこれ世話を焼いているうちに情が移り、恋仲になってそのままゴールイン。見ているこっちが恥ずかしいくらいラブラブだ。
娘としては若干複雑だったけど、お義母さまを見てたら父の気持ちも分かる。なんか毒気抜かれるっていうか。ほわんと和むのだ。
継母の借金を肩代わりしたから、貴族とは名ばかりの貧乏っぷりになったけど、それも構わない。元々父は貧しい商人から成りあがったのだ。元の生活に戻っただけのこと。
使用人も全て解雇したから、屋敷の掃除も洗濯もしなければならない。継母と義姉二人も生まれて初めての家事をやろうとしてくれた。しかし三日も経たずに、どうかやめて下さいと私からお願いした。自分一人でやった方が明らかに早いし、物も壊れない。食材も無駄にならないんだもの。
そうして家事を全て請け負っていたら、召使のようにこき使われているという噂が立ってしまったのは不本意だけど。
「シンデレラ。君は今、僕と踊ってるんだけどね。大事なお姉さまじゃなくて」
ダンスのために添えているだけだった手に、力が入った。腰が、ぐいっと引かれる。
「ちょっと」
驚いて身をよじったものの、腰を抱く手は緩まない。それどころか、ますます力をこめて抱き寄せられた。肉親以外としたこともないほどの密着により、自分よりも高い体温と腕の力強さを感じる。頬に当たる胸板が、予想よりも広くて硬い。
「しいっ。お姉さんの企みに気がついていないふりをしたいんでしょ」
「そうだけどっ」
耳に低音を吹き込まれ、ゾクッと震えが走った。なぜか力が抜けて足がもつれそうになり、支えを求めてライアンにすがった。
「誤解」
「……へ?」
上ずった自分の声が、なんともいえず恥ずかしい。落ち着こうと深呼吸をしていると、くすりと笑われて腕の力が緩んだ。
「お姉さんの変な誤解、まだ解いてなかったの?」
少し体を離したライアンの向こうでは、私とライアンがあまりにくっついているから、私だけにパイをぶつけられないのだろう。パイを掲げたままのお姉さまが困った顔で立っていた。そのお姉さまに声をかけようかかけまいかと、迷っている男が一人。
お姉さまったら。せっかく想い人が見ているのに、気付きもしないなんて。ほんとに残念な人。
「解こうとしたわよ。私が好きなのは魔法使いじゃなくて、森でこっそり暮らしているどら息子だって」
「どら息子とは酷いな」
「仕方ないでしょ。事情を知らなかったら、仕事らしい仕事しないで気ままに暮らしているようにしか見えないもの」
王子のライアンは、息抜きに時々城を抜け出して森で生活していた。私は木の実やきのこを取りに行くたびに彼に会い、話をしているうちに好きになってしまった。
正体を打ち明けられた時には驚いて一度は逃げ出してしまったけれど。王子様でもどら息子でもどちらでもいいから、この人といたいって覚悟決めて。ライアンも王子だからって君を諦めたくないって言ってくれて。舞踏会に参加して、今にいたる。
「あの堅物魔法使いが屋敷に来たときは、殺されるんじゃないかと思ったし」
「それはあいつの台詞だよ」
ライアンの前から逃げ出した私を、訪ねてきたのがライアンの乳兄弟である魔法使いだ。私に振られたライアンの意気消沈ぶりを見かねて、説得しにやってきたのだ。それはいいんだけど、ただでさえ迫力ある怖い顔を、さらにむっつりさせてやってきたものだから、てっきり王子の正体を知ったからには死んでもらう的な用事かと思った。
とっさにスコップの中に集めていた灰をぶっかけて、ホウキでぶっ叩いてしまったけど、私は悪くないと思う。
「君に殺されそうになったあいつを介抱したお姉さんが天使に見えたそうだよ」
「お姉さまが天使なのは同意だけど、私が悪魔ってどういうことよ! もう! ホウキなんかじゃなくてスコップで脳天ぶっ叩いてやればよかった」
結局、私の説得をだしにして、魔法使いは毎日うちにやってきた。もちろん目的はお姉さま。だって一度の説得で私の心は決まっていた。そもそも説得されなくても、きっと私はライアンの元へ戻っていた。だって身分とか関係なく、私はライアンが好きなんだもの。王族なんて大変だろうけど、なんとかしようとすればなんとかなるし、なんとかしてみせるわ。
なのに肝心のお姉さまは、魔法使いが私に会いに来ていると思い込んでしまった。魔法使いの案内で森に通う私が魔法使いと毎日デートしていると、相思相愛なのだと勘違いしている。
違うって言っても「大丈夫、分かってるわ」なんてしたり顔してたけど、やっぱり全然分かってなかった。
私が舞踏会に行けないようにドレスを切り刻もうとしたり(といっても、すでに不器用な継母がドレスを仕立て直そうとして、修復不可能なくらいにぐちゃぐちゃにした後だった)今もパイをぶつけて家に帰らそうとしている。
「どうする? いっそのことわざとパイをぶつけられる?」
「まさか」
ただでさえお姉さまたちは私をこき使っているという悪評がある。もしもパイをぶつけられたりしたら、さらにイメージだだ下がり。噂って怖いのよ。おひれはひれがついて、あっという間に稀代の悪女が出来上がってしまう。
「だよね」
くすりと笑ったライアンが、音楽に合わせて大きくステップを踏む。ライアンにエスコートされて、私もくるりと回った。
ターゲットである私の急な方向転換に、お姉さまが分かりやすく焦った。体の向きを変えて、かぼちゃパイをこっちに向けようとする。ああ、そんなに慌てると。
ほらね。
ぐらりと大きくパイが傾く。バランスを崩したお姉さまはドレスの裾を踏んづけてつんのめる。パイがお姉さまの手から離れた。
げっ。こっちに飛んでくる! と思ったら、くいっと角度が変わって空中にジャンプ。天井に届くんじゃないかというくらい高く上がってから、お姉さまの上に落ちてきた。
べしゃり。
かぼちゃクリームまみれになったお姉さまに、近づく影。魔法使いだ。
「全く。何をやっている」
「あ、あなたには関係ないわ」
涙目でつん、と横を向くお姉さま。ああもう、無理しちゃって。
「これはいけない。さあ着替えないと」
わざとらしい台詞を放ち、魔法使いがお姉さまを抱え上げた。
「きゃっ、えっ、ちょっと。下ろしなさい」
「駄目だ」
ばたばたと暴れるお姉さまを連れて、大股に歩き去る。
「結婚式、すぐにもう一回ありそうだね、シンデレラ」
「どうかしら? お姉さま、超絶ツンデレで思い込み激しいから」
きちっとストレートに「好き」って言わないと。それだけじゃ弱いから、ちょっと強引にしないと駄目かもね。強引。って、あのむっつり、何をする気かしら。大丈夫かな、お姉さま。なんだか心配。
リンゴーン。
鐘が鳴り始めた。
するり。ライアンの手から抜けて、私は走り出した。
「シンデレラ」
「ごめんなさい。魔法が切れてしまうの」
本当は今すぐお姉さまを追いかけて、魔法使いの邪魔をしてやりたいけど。
魔法使いの魔法は12時で切れてしまう。もう時間がない。
きっと魔法使いはそれを見越してわざと12時に切れるようにしたんだわ。だってさっきのかぼちゃパイの飛び方。不自然だったもの。あれも魔法で向きを変えてた。
私はポーン、と靴を片方、放り投げる。
どこからか飛んできたハヤブサが、靴をキャッチした。
「おお! あれは神の使い! この靴の持ち主こそ私の運命の相手というお告げだ」
もちろんあのハヤブサも魔法で出したもの。
さあ、家に帰ってドレスを脱いで。何食わぬ顔で靴を持ってくるライアンを出迎えなきゃ。
芝居がかったライアンの声を背後に置いて、私は走った。幸せの魔法をかけられるんじゃなくて、ライアンにかけにいくために。