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××純真無垢

 心地よいシャワーの音に私は少し頭を傾けておでこで水を受ける。

 勢いよく吐き出される細いお湯の糸が柔らかい凹凸を滑りぬけて私の全身を撫でる。水が肌を伝って流れ落ちていくのにつれて、身体を覆う泡が共に滑り落ちていく。


「お嬢様。髪の毛の泡が落としにくいので、おでこで水を受けるのはやめてくださいませんか?」

「は~い」


 私より少し低い優しい声に導かれて少し俯き目になると、シャワーの向きが変わって指先でするすると髪の毛を溶かされる。

 泡が流れ切ると、頭皮を揉むような絶妙な力加減でマッサージされる。頭部への軽い刺激を感じると、自然と落ち着くのだがなぜなのだろう。

私は寝汗が凄いタイプなので、いつもメイドの佳乃にシャワーをしてもらっている。


「ふふっ、佳乃。いつもありがと♪」

「仕事ですからね」


 佳乃のは何食わぬ顔で、洗剤を洗い落とした髪をするすると解かす。不愛想に淡々と仕事をこなす。

いつも通りだった。いつも通りなのだけど……あれ? 朝のは夢だった?? あれぇ?


 佳乃の態度に何か裏があるのではないかと、そっと鏡越しに表情を盗み見てみる。

 凛と堂々としていて、年はそこまで変わらないのに大人びて見える。まつ毛が長いからかもしれない。少し釣り目で瞳も綺麗。

 日本のお嬢様界隈は、割かし西欧の血が混ざっていることが多い。少しお金持ちという程度のお嬢様だとそうそうないけど、名家とかだとほぼ確実に混ざってる。うちの学校でも創立の根源は西欧にあるからか、外国人とのハーフだったり、外国人っぽい特長が混ざっている人がさらに多い。日本人離れした美人とかは確かに圧巻だった。副業でモデルをやってる人もいる。

それでも純血の日本人である佳乃は行内でも噂になるくらい美人だった。私の知らない生徒にお嬢様と慕われていて、どこか胸の内がモヤモヤとしたこともある。


 ぼーっとして見とれていると、ふいに鏡の中の佳乃と目が合う。

 見つめられていることに気が付かず熱烈な視線を送っていた私は、びくっと肩を震わせ眼を逸らした。


「なに怯えてるんですか? 別に取って食べたりしませんよ」

「そ、そうだよね……! あはは」


佳乃は呆れたようにため息を吐く。


「まあ、琴葉は確かに美味しそうですけど」

「……ッ!? えええっ!?」


 耳元でささやかれて、私は反射的に身を捩って頭を逃がすと佳乃の手はぱっと離れる。


「えっち! 佳乃のえっち!」

「いえ、普段から良いもの食べてるから肉付き良さそうって意味です。変な誤解は止めてくださいませ」

「え……。ああ、そういう……って、誰が肉付きがいいのさ! 私は痩せてる方だし!」

「確かにお胸の方はまだまだ慎ましいですね」


 佳乃はくすくすと余裕の笑みを浮かべ、鏡越しに私の胸を観察する。視線を感じた私は、すっと腕で胸を覆い隠した。


「佳乃は大きいからいいけどさぁ。私ももっと大きくなれば殿方にモテモテになったりするのになぁ」

「…………は??」


 ドスの聞いた低い声に最初、誰がその声を発したか分からなかった。

 佳乃の顔を見ると、むすっとした顔で私を睨んでいた。私の髪の毛をきゅっと束ねて持つと、ぐりぐりと引っ張っりあげる。


「痛いっ! 痛いよ佳乃!!」

「ああ、もうしわけございませんー」


 佳乃は冷たく冷め切った目で私を見て、謝罪の言葉も気持ちというものがまったくない棒読みだ。しかも引っ張るのは止めてくれない。


「佳乃さん、離してください……怒らないで……」

「殿方にモテモテになるだとか俗物的な言動をするのは天璋院のお嬢様としてどうなのかと思います。お気を付けください。あとこのくらいで私は怒りません。教育してるだけです」

「えぇ……おもっきし怒ってるじゃん」

「まだ終わってないので口を閉じて大人しくしてもらえますか? 学校遅れたら怒られるの私ですよ?」

「あ、はい……すみません」


 引っ張り上げた髪の毛からタオルで水分を取ると、ぱっと解放されて次は櫛で解かれていく。

 佳乃の態度は依然変わらずといった感じだ。メイドだと言うのに、どちらかと言うとお目付け役のような立場で、叱られるのは主人である私なのだ。誠に遺憾である。私が当主になったらヒイヒイ言わせてやるからな。


佳乃のそっけない態度は私を面倒だと思っているからだって、ずっと思ってた。でも、今朝の佳乃の態度を思うと佳乃は私のことが好きなんじゃないかななんて。好きな人には冷たくしてしまうみたいな、照れ隠しの心理だきっと。


私は、えへへと笑みをこぼす。照れ隠しだと思うと佳乃の高圧的で冷たい態度も可愛く感じた。


「どうかされましたか?」

「別にー♪」


 私はたぶん佳乃が好き、なのだと思う。頭の中に浮かぶ桃色の妄想は、だいたい佳乃だし。一人で妄想を楽しむのは日常的になっている。私は想像力が豊かなのだ。


 今朝も頭を撫でられて嬉しかった。でも、なんか違うって感じがした。この胸の想いはきっと、愛されるだけじゃ満たされない的なやつだ。


 私はバスルームの鏡越しに佳乃を見る。

 裸の私に対して、佳乃はシンプルな白い浴衣のような衣服。ひらひらしていて時々除く胸元とか二の腕とか良いなぁって思う。

しかし、洗われるのは私で、佳乃はシャワーを浴びるわけではないから当然と言えば当然なのだけど、私だけ裸を見られて触られて、佳乃だけ隠しているのは不公平だろう。


 思い返せば、佳乃の裸を見たという記憶が私にはない。佳乃がお風呂に入るときは他のメイドとで、私と入るときはお世話しかしない。

なんなら、私は佳乃でなくとも誰の裸も見たことがない。下着姿なら佳乃はむしろ見せつけてるのかってくらい堂々と佳乃は見せてくる。一般受験で入ってきた子たちも、女子高だからか抵抗がないから何度か。でも裸は決してない。


 私はたぶん佳乃に頭を撫でてもらいたいのではなくて、女の子に興味があるのかもしれない。第二次性徴を迎え、自分の身体と他人の性差異が気になるのだ。

 おっぱいの形は? 毛の生え方は? 私はおかしくないのか。私は綺麗な方なのだろうか。変なところはないだろうか。今のご時世、写真や絵でならいくらでも確認できるとはいえ、実際に見たり触ったりするのとは違う。


 人に限らず、動物の習性として、達成できないものがあって、それがあと少しで触れれそうなほど近くにある状況。木の届かない場所に果実が実っているような。

動物はそれが見えている限り、どうにかして手に入れようと躍起になってしまう。

女子というのは身近で、それでいて秘密の多い存在。乙女の神秘を解きあかしたい。佳乃にえっちなことをしたいと思うのは不自然なことではないはず。


「お嬢様、お手を」

「うん。ありがとう」


 佳乃の手を取る。柔らかい、しなやかな指先。爪が整っていて、特に人差し指と中指は深爪と言ってもいいくらいギリギリまで短く整えられている。

ぎゅっと握って体重をかけてみれば、支える力も強くなって、王子様のように手を引いてエスコートしてくれる。私の怠惰具合に呆れながらも、しっかり支えて甘えさせてくれる。


 佳乃は立ち上がった私を背中側から丁寧にタオルで包み込み、優しく水滴をふき取っていく。柔肌を押し込むように触れて、すーっとタオルが肌をなぞっていく。ふわふわの毛のタオルが好きだと言ってからは、吸水性が良くてもふってなるタイプのタオルを使うようにしてくれている。


 どれだけ私が佳乃の身体を見たいと願っても、主人とメイドの立場である以上、無理に強要して見せてもらうことはできない。きっと見せてくれるが、佳乃のことだから同時にセクハラで訴えられる。問題にはならなくとも、私よりメイドをこよなく愛するお父様のお説教が怖すぎる。


胸の下側の湿気が残りやすいところをふき取ってくれているとき、自然と佳乃の身体が密着する。私の心うちなど知らずに、無防備に薄い湿気で張り付いた布越しに佳乃の乳房が背中に押し付けられる。その度に、理性が沸騰し鼓動が早くなる。


「~~~~っ///」


 佳乃の唇が私の耳に近づいて、吐息が耳にかかる。むず痒さに悶え、必死に理性の暴走を耐える。しかし、佳乃という悪魔は純情な乙女を弄ばれる。


「お嬢様の唇は、美味しかったですよ♪」

「――――ッ///」


 頭がゆだったように顔が熱くなって、恥ずかしくてうーと呻くことしかできない。

 囁かれただけで、胸がきゅーっと縮むように苦しくなって、怒れなくなってしまう。力が抜けてしまうところを、佳乃に優しく抱きとめられて、よしよしと頭を撫でて甘やかされる。


「やっぱりそういう意味だったんだ……!!」

「ふふっ、琴葉が言うから、そういう意味でも美味しかったなって思ったんです」


 しかし、私はまけてばっかじゃいられない。お嬢様という生き物は負けず嫌いなのだ。

 頭を撫でて可愛がられるだけじゃなくて、私も佳乃に「佳乃の唇、おいしかったぜ☆」って言いたいっ!! あわよくば、服をはぎ取って色々と見てやる!! ここは私も応戦してやる。お嬢様を舐めるなよーー!!


 私は身をねじって佳乃の抱擁から抜け出すと、重心を低くし、しゅーっと床に足を滑らすようにして素早く反転する。

 困惑の表情を浮かべる佳乃にずかずかと近づいていき、がしっと肩を掴み正面から目を合わせる。


「えっと……お嬢様?」


 佳乃がほんのりと顔を赤らめる。いける。私だって、キスくらいはできる。どきどきと高鳴る鼓動を意識の外に追いやる。

きつく結ばれた唇。少し怯えながらも、優しく微笑んでいた。艶めいてほんのり紅に塗られた唇。


「できるの?」


 それは悪戯な小悪魔が発した心臓を一突きする鋭い剣尖、一撃必殺。


「無理、です……」


 私は頭からしゅーっと湯気を熱らせて、項垂れる。


「お嬢様のことなんで、そんなことだろうと思いました」


 佳乃はやれやれといった風に私を抱き込んで頭を撫でる。柔らかい、心地いい。完全敗北だった。


「お嬢様は無理しなくていいんですよ。そういうのはまだ早いです」

「くそお……」


 まったく歯が立たず、簡単に諭されて、悔しがりながらも身体は正直で頬が緩んでしまって、佳乃の腕の中で気持ちよく撫でまわされるのだった。


 シャワーを浴びて身体を清め終えたので、朝食を食べるために食堂へと向かう。その間にも、佳乃は私の専属のメイドなので後ろをしっかりと付いてくる。

 佳乃はメイド服に着替えいる。先ほどの薄いガードの緩いバスローブとは、取って違いこちらは肌の露出が少ない。と言うのも、お父様の妙なこだわりで、今時珍しく本格的な方のメイド服を着てメイドたちは仕事をしている。

ちなみに佳乃は十秒足らずでメイド服に着替えている。ラッキースケベができるような時間も隙もない。


 向かい側から駆け足気味で歩いてくる別のメイドの一人が私たちを見るとぱっと太陽の光を見つけたヒマワリのような快活な笑みを浮かべる。


「お嬢様~! おはようございますっ!」


 彼女もこの家で雇っているメイドの羽衣。こちらは私と同い年だが、佳乃とは対照的にふんわりとした印象を持った小柄で愛くるしい女の子だった。周りが大人びているからか、中学生に見えなくもない。


「羽衣! おはよ~!!」


 羽衣はこちらに向かってくる勢いのまま、私が両手を広げてところに飛び込んでくる。

 ぎゅーと抱きしめ合って、わしゃわしゃと羽衣の頭を撫でる。羽衣を見ていると、なんだか小動物みたいで、抱き止めて撫でまわしたくなるのだ。


 今日も羽衣のかわいい成分を堪能したところで、羽衣が何かを思い出したようで私に耳を貸すように手招きする。


「あ、そういえば。お嬢様、ちょっと……」

「……?」


 羽衣は私に耳を貸すように手招きする。

 佳乃が私たちにじーっと鋭い視線を向けてきているのが怖い。


「昨日、おすそ分けしていただいたお菓子とジュースですが、とっても美味しかったですっ!」

「……ほんと? やったぁ!」


 私は、ぱぁっと顔を輝かせてぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「ふふっ、またおすそ分けするね!」

「わわっ! 最近、ちょっとお腹周りが気になりだしたので夜中は控えたいんです! もういらないです!」

「そんなそんな~。別に遠慮しなくてもいいよー」

「本当なんです……お肉が。本当に止めてくださいぃ」


 羽衣も大喜びだし、また内緒で爺やに買わせてもらってるお菓子のおすそ分けをしてあげよう。ちょっと買う量を増やしてもいいかもしれない。ソシャゲのガチャにお金を使うくらいなら、羽衣のお菓子代にした方が有意義だ。


「お嬢様。また私に隠れてコソコソと何かをやっているのですか??」


 ぞくりと悪寒が走る。

 目の前の羽衣がカタカタと震えて、羽衣の瞳越しに底冷えするような冷たい瞳が私を見ていた。


 恐る恐る私は振り返る。


「えっと、その……佳乃? なんでもないよー?」

「へえ……」


 佳乃は私から羽衣に視線を移すと、フッと悪魔的な微笑を浮かべる。


「琴葉」

「ひゃ、ひゃいっ!」


 佳乃に名前を呼ばれて私はびくりと肩を震わす。佳乃が私の方へ再び視線を向けると、私の頬に手を添える。そして、顎に手を滑らせ、ほんの少しだけ上にあげる。


「また躾をしないといけませんか?」

「――――ひゃっ///」


 佳乃の妖艶な笑みに、私は思わず短い悲鳴を上げてすとんと腰が崩れ落ちて地面にへたり込む。頬が紅潮するのが止まらず、頭が沸騰するように熱い。


「佳乃様、お嬢様をいじめないでください」


 羽衣が佳乃を突き飛ばして、私の間に滑り込む。

 

「お嬢様、あいつに何をされたんですか?」

「なっ、何にもないっ! 佳乃になんもされてないよー。ちょっと床に座りたい気分だったんだ!」

「…………(ジト目)」


 私のごまかしは完璧なはずなのだが、羽衣はぷくーっと頬を膨らませて、佳乃を睨みつける。


「佳乃様、正直に答えてください。何をしてんですか?」

「あら、あなたもお嬢様との間に隠し事があるのではなくて?」


 羽衣は、見た目はふわふわとしているが、性格は……。いや、性格もふわふわしているのだけど、意外と些細なことに気付く色々敏感タイプなのだ。気遣いができるのは素晴らしいことだとは思うが、私が佳乃やお父様に内緒でゲームを買ったとか、そういう秘密まで目ざとく気づいてしまうのが厄介だった。

私のごまかしは完璧だったはずなのに、今回も私と佳乃の間に何かがあったと羽衣はすぐに感ずいた。


「じゃあ、お嬢様に聞きます。佳乃様と何があったんですか?」

「何もないよっ。今朝おこしに来たときにちょっと色々あっただけで、全然いつも通りみたいなー」

「あったんですね! 今朝、何されたんですか! 脅されたりしてませんか?」

「脅されてはいないよ。乙女心を弄ばれたというか……全然、えっちなことじゃないから!」

「ええっ/// それは、そんな……私のお嬢様が……はうぅっ///」


 羽衣がぷしゅーっと顔を真っ赤にして目を回す。


「誤解です。あとお嬢様は余計なことしか言えないので本気で黙っていてください。黙れ」

「は、はい……」


 私は借りていた子猫のように委縮して後ずさる。


「もうっ、佳乃様! お嬢様が怯えてるじゃないですか! また厳しいこと言って!」

「変に誤解して決めつける貴女が悪いのですよ。お嬢様を利用するなんて、メイドとして恥るべき行いなのでは? お嬢様の側近としての自覚はおありですか? 恥ずかしくはないのですか?」


 氷点下すら凍らす絶対零度の女王メイドの視線が天真爛漫な小動物系メイドの羽衣に突き刺さる。それでも、羽衣は最初の一瞬こそ怯んで小動物のような可愛らしい悲鳴を上げたが、震えながらもなおも強気に頬を膨らませて睨み返す。


「もー! そ、そういうのが厳しい言い方ってやつですよー! あんまり刺々しい言い方していると一緒にいるお嬢様まで印象悪くなったらどうするんですか! お嬢様もはっきり言ってやらないと、佳乃様はずっとこんなですよ!! 専属メイドをクビにしてやってください! お嬢様の専属のお世話には私が付いた方が絶対いいですぅー!!」

「あ? 私よりお前が相応しい?? は? 私は正論を述べているだけなので、お嬢様の印象は悪くなりません。私が羨ましいのか知りませんが、無駄に噛みついている暇があったら、ご自分の仕事に専念されたらどうでしょうか?? そして、お嬢様には今後一切近づかないでくださいませ!」


「あわわわ……お、落ち着きましょう? 二人とも、落ち着いて、ね?」


「お嬢様は黙っていてください!」

「お嬢様は黙っていてくださいませんか!」


「は、はい……」


 いつもの喧嘩が始まってしまった。佳乃と羽衣はまさに水と油、犬猿の仲。


 佳乃も特段私以外の人間には冷たいわけではないのだけど、羽衣が相手だと極端に冷たい物言いに変わるのだ。正直、私により怖い。

羽衣も普段はふわふわと誰にでも分け隔てなく心の奥底から純真な笑顔を振り撒いている。クラスではマスコット的立場を確保するようなゆるふわかわいいだが、佳乃を前にすると、とにかく粗探しして隙を見つけると、がおーっと威嚇してすぐさま噛みついていく。


 で、最終的には。二人とも……。


「ち、違うんです、メイド長! 佳乃様がお嬢様を怯えさせてたから……いやぁ、連れて行かないでぇ!」

「違います。私は何も……羽衣様が変な言いがかりをつけてきたせいでして……お嬢様、お嬢様ぁ……!!」


 メイド長によってドナドナされていく。ちょっぴりというには、恐ろしく長い長いお説教をされるのだ。毎日と言うわけではないが、月に2、3回こんな日がある。


佳乃と羽衣は私と年が近いメイドで、一緒に学園に行き、世話を焼いてくれている。

 少し前、といっても今とは少しお嬢様学校の様式が違う頃、私くらいのお嬢様になると学園へも従者が着いてきて身の回りの世話をしてくれるのが当たり前だったと聞く。

でも、それでは地位の低い家の令嬢や、数少ない受験枠を勝ち抜いてきた一般生徒との格差が生まれてしまう。連れ添う従者の数が地位が低い割に多くて生意気だとか、逆に少なくて貧乏と馬鹿にされたりだとか。イケメンの従者が権力で奪われたり、禁断の恋が始まってしまったり。従者の数や質が見栄によってインフレ、従者天下一舞踏会が起きたりと、なにやら色々と、それはもう色々な理由で揉めたらしい。結果、犠牲者を出しすぎたその末、お嬢様たちが自立できるようにという名目であっけなく禁止された。


 それからというもの、年の近いメイドを雇うという文化が生まれた。私の家では、佳乃と羽衣だ。

 二人とも家はかなりの名家だが、名家の娘と言うのは決まって格上の家に嫁がせるもの。それと同じだ、嫁がせるほどの繋がりは得られないが、幼い娘をメイドとして献上するだけで、有力な名家と繋がりを持てる。

 幼いうちから送り出すから娘を躾ける手間も省ける。援助金はたんまりもらえるから、将来的に家を継ぐ長男のためにそのお金をつぎ込むことができる。

佳乃の父親も羽衣の父親も、メイドとして娘を送ることはむしろ嬉々としてやっただろう。本人たちが、嫌だと喚いていても無理やり黙らせて。父親というのは、どこの家でも血も涙もないものなのだ。


 小さなころかか知らない家に送り出されて、怯えていた二人の姿を今も覚えている。ずっと忘れられないし、忘れちゃだめだと思ってる。

私みたいなダメダメなポンコツお嬢様に従わなくてはいけない。我儘に笑顔で答え、理不尽な物言いに頷かされる。なんども理不尽に頬をはたいた。その度に、彼女たちは満面の笑みを返すのだ。その度に心が痛む。


「メイド長。手加減してあげてね? 私、二人のこと大好きだから」

「お嬢様にそう言ってもらえて彼女たちも本望でしょう。お嬢様がそうおっしゃるのなら、そのようにいたしましょう」


二人には、顔に出さないだけで相当なストレスがあるのだろう。同じ立場の相手に気が休まらず、少しばかりツンケンしてしまうのも仕方ないだろう。


 佳乃が説教タイムなので、代わりのメイドに制服を着付けてもらう。もちろん、学園では自立する必要があるから、自分でも着れるようにはなったのだけど、お嬢様とはそういうものなのだ。断じて一人では上手く着れないとかではない。体育のたびに羽衣に手伝ってもらったりとかはしてない。


「お嬢様、違和感はございませんか?」

「はい。大丈夫です」

「佳乃と羽衣はもうしばらく遅れるようですので、お先に学園までお送りしてもよろしいでしょうか?」

「はい。そのように」


 今日は珍しく一人での登校だ。

 お嬢様としては変なものなのだけど、うちは割とルーズで二人がお説教タイムだと度々こういうこともあった。お父様はメイドには甘い。むしろ、娘のようにかわいがっていて、メイドの教育や生活、学業、休暇、などなどのためならば実の娘を私をないがしろにしろとまで言う。意味が分からない。


 お母さまの時代から務める熟練のメイドにエスコートされ、執事が運転する送迎車に乗り込む。


「では、お嬢様。行ってらっしゃいませ」

「うん。行ってきます。爺や、今日も送迎よろしくお願いします」

「畏まりました。では、お乗りください」


 車が動き始めれば、静かな時間が訪れた。運転席とは遮られえた、いつもは三人で過ごしている後部の広い空間。一人ぼっちで、ぽつんと取り残されているような気分になった。なんだか寂しい。


「…………」


 私はおもむろに自分の胸に手を添える。

 ゆっくりと指を押し込めば、ふにっ、と沈んだ。ただ柔らかいだけでなく、指を押し返すような弾力がある。佳乃にもこれが付いているのだと思うと、変じゃないのに変な感じだ。


「うーん?」


なんとも感じない。ただ触っているだけといった感じ。


 佳乃の胸はどんな感触なのだろう。下着の上からだと大きさも形も分かりづらい。クールだけど、いやクールだからこそ意外に責められるのに弱かったりするのかも。


「ん……」


 私ははっとして手を放して、こほんと咳払いする。


 さて、暇だ。何かをしたい。手早くソシャゲのログインとスタミナ消化に取り組むも、やってるゲームは2つ程度。やはり暇だ。


 車の中ではいつも羽衣が話し相手になってくれていた。佳乃はあまりおしゃべりではなく静かにしているが、対照的に羽衣はおしゃべりが好きなのだ。


「そうだ!」


 私は爺やに無線を繋ぐ。


「爺や! この前、頼んでおいたものって用意できてる?」

「はい。できております。そちらに送りましょう」

「ありがとぉ♡ 爺や大好き!」

「それはそれは。もったいなきお言葉です」


 ひゅん、とポップ音と共に机に設置された液晶に頼んでおいたリストが表示される。私はそれを真剣な表情でスクロールして、時には考え込んでからチェックマークを付ける。


 これは、商談のリストだとか、各国の有力者のリストだとか、そういったお嬢様的なブツではない。お菓子メーカーが現在販売している、そこらへんで買えるお菓子のリストだ。


「羽衣はこれも好きだったし……これと。あ、これも良さげ」


 羽衣は発育を気にしており、背丈や胸の分がお腹周りのお肉として現れるのではないかと本気で心配していて、実際に最近付いてきてしまったお肉に軽く絶望している。しかし、琴葉の理念として、女の子にとってお菓子は必要なカロリーというものがある。羽衣の心配など露知らず、琴葉は容赦なくおこづかいで羽衣に食べさせるお菓子にチェックを打っていく。


「えへへ……羽衣、喜んでくれるかなぁ」


 あの純真無垢な笑顔を振りまく羽衣が、暗闇の中で頬を赤らめて艶やかに唇を結んでいる。真夜中の誰にも見せたことのない表情、秘密の時間。


「いや、止まらない……」


鮮やかな桜色の先っぽを指先でつまみ上げる。


「はむっ、はふっ、このチョコおいしい……美味しくて止まらないぃ」


 口にいれば蕩けるようなチョコの甘さに幸せな気持ちに包まれる。桜色の部分がお嬢様が好きなイチゴ味だ。愛しのお嬢様に、愛しのお嬢様が大好きなお菓子をこっそり分けてもらう。そんなの断れるはずがない。

 手に持ったお菓子をじっと見つめて、むーっと頬を膨らます。


「もうっ……太っちゃったら、お嬢様に責任取ってもらわないと」


 チョコの効果なのか、身体がポカポカとしてきて確実に身体がカロリーを摂取しているのが分かってしまう。


 チョコの濃い味に喉が渇いてきたところで、水分不足にならないようにとお嬢様から一緒にと貰ったジュースを手に取った。

飲料としてはちょっと微妙な色合いだ。お嬢様の趣味は正直悪くて、夏場の自販機にあるようなゲテモノジュースのようなジュースが好きなのだ。友達には分かってもらえないから、こうやって無理やり飲ませられるメイドに布教しようとする。いい迷惑である。時々、おいしいのもあるけど、これがあたりだという確証はない。


「これが、私の中に……」


 ごくりと喉を鳴らして、恐る恐るペットボトルの先を口に咥える。口の中に入ってくる感触はねっとりとしていて、舌に残るような感覚があまり好きになれなかった。でも、これは、なんだか……


「んくっ、んっ。おいしっ。ええ、おいしいのっ!?」


 先を口から抜いて、ふーっと息をつく。思いのほか味は良くて、夢中になってしまった。


 どきどきと鼓動が高鳴って、熱っぽい吐息が漏れる。これは色と舌触りを除けば好きかもしれない。


 蓋を閉めようとしたとき、手が滑ってしまい太ももにジュースの中身が零れる。

太ももの間をどろどろとした液体が流れていく感覚に顔をしかめる。あいにく零したのは少量だったので、寝間着には付かずに済んでいる。立ち上がれば、床に落ちてしまうのでこのままティッシュでふき取ってしまうのがよさそうだ。


窓から差し込む微かな月明りに照らされてテラテラと光るのを頼りに、羽衣は零したジュースをふき取る。やはり、味がよくともそれを余りあるほど見た目と感触が悪い。お嬢様のゲテモノ趣味も大概である。


「でも……」


 羽衣は残りのお菓子とジュースを頬を赤らめながら口に含む。幸せそうに頬を緩ませてお菓子のごみを通学鞄の中に隠す。


「お嬢様がくれたんだから、仕方ないよねっ♡」


 確かにお腹のお肉は気になっちゃうけど、お嬢様が秘密の共有をしてくれているようでなんだか嬉しいのだった。


「ふふん♪ これで完璧かな。爺や、チェック入れといたから、よろしくね!」

「承りました。そろそろ付きますので、身支度を整えてくださいませ」

「はーい♪」


「さて、このくらいにしてちゃんと学院ではお嬢様モードにならなきゃ」


 こうして、天璋院琴葉の何気ない一日は始まるのだ。

ここまでは軽いメイドの紹介でした。

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