8.先輩と後輩の話し合い
王都公務員用の馬車は、ラファル邸から出て海沿いの1本道を走る。
海に馬車、そして反対側には緑が広がり、その一部をくり抜けば絵画にしても様になる構図だった。
だが内部では――。
「お前はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
先輩は頭を掻きむしりながら大声を上げた。アイボリーとベージュのストライプ模様の布張り椅子に、パラパラと髪が落ちていく。
「先輩、大丈夫すか? ハゲちゃいますよ」
「誰のせいだぁぁぁぁ!!!!」
最近配属されたこの後輩は、度々、先輩の頭を色んな意味で悩ませている。頭を掻きむしった指に絡む髪の毛を見て、その量に驚愕し、絶望した。
そしてこうなった原因の後輩を睨みつけた。
「何も話すなって言っただろ!! シーっ!! お口に留め具!! 言葉を発するなってあんなに言ったのになんで発した?? 言葉という文明を忘れてくれとも言ったのに何故思い出した!? しかも『風の剣の子』って言っちゃいけないって言ったワードをなんでぶち抜いた!?」
「ちょっとその事忘れちゃったんすよね」
「どうして!?」
先輩はひとしきり騒いだ後、深呼吸をして自身を落ち着かせる。怒りの表情を和らげるように両手で頬を揉んだ。
「今日は、見てるだけで良いって言ったはずだ。もう、ラファル領に入ってからずっと胃が痛いんだ。本当に頼む。髪が無くなる。まだ28なんだ、禿げたくないんだ」
そう言って馬車の窓にうっすらと映る、自分の頭皮を確認した。だんだん薄くなってきている、と見たくない現実を再確認し「ヒッ」と声を出して口を抑えた。
「まだギリ、フサってます。大丈夫」
「大丈夫とか、そういうのじゃ――……」
そう言いかけるも、後輩に何を言っても無駄だと感じ、何も言わずに項垂れた。
「入って間も無いのも分かるが、少しは渡した資料読んでくれ……事前に勉強してほしくて渡してるんだよ」
「そぉいうの、読むの苦手なんすよね」
後輩はてへっと笑う。
アールヴ連合国のリョース人とミーズガルズ人の混血の彼は、最近アールヴ連合国からミーズガルズ王国へ引っ越してきている。
可愛いらしい顔をし仕事は全く出来ない。こんなにも出来ない事はあるのだろうかと、ここずっと悩んでいることだった。
王都役所に勤めるには縁故と容姿、そして、ある程度の実力が必要だが、彼が入れたのは完全に縁故と容姿だと言える。
先輩は俯き手元にあったレオナールから貰った封筒をみる。
中を開けると真っ白な紙にびっしりと文字が書かれ、質問のしようがない程に完璧に書かれた書類だった。書式も問題なく、不備がある等と難癖は付けられない。
最後に魔具管理者名と主治医名まで記載されており、それぞれレオナール・ヴァン・ラファル、ソレイユレーヌ・ヴァン・テュルビュランスと署名がしてあった。
そして胃がキリキリと痛み左手で胃のあたりをさすった。
「こんな書類……はぁ。オリヴィア様、会えないのか」
「え、先輩、恋焦がれてるんすか?」
「違う!! 何でそうなる!?」
「いや、めっちゃ会いたがってるんで」
「あのな、魔具加護者に会えたって報告するのと、会えなかったって報告するのは違うんだ。お前、本気でただの健康管理だと思ってたのか?」
「え? 違うんすか?」
「違う! 魔具は、加護者が死んだら次が決まるか分からないだろ。百年以上いない時もある。なるべく、長くいて欲しい存在なんだ。正直、有事の際にいてくれる方が有難いからな。目の届く範囲にいて欲しいけど『監視する』なんて言ったら反発するし、そんな事言えないだろ。どうにかしたいって思ってた時、水の弓矢の加護者が病気って判明したんだ。それで、水の弓矢の管理者を丸め込――……説得して、会議で議題に出して、こじつけて定期的に健康管理って名目で目視確認してる」
そう言って、書類を再び見た。
「それ分かってて、ラファル侯爵はこの紙渡して来たんだ。嫌がらせなんだよ。会議じゃラファル侯爵は大反対だったみたいだしな。そりゃ健康なのも大事だけど、ミーズガルズにいるか目視確認する事が大事なの。でも名目が健康管理だから、これもらった以上何も言えない。上も詰めが甘いんだよ。……使者嫌いだからさっさと帰って欲しいのわかるけど、こっちだって何時間もかけて来たのに……」
先輩は泣きそうな顔を両手で覆った。
「確かに。風の剣の子に出来れば会いたかったす」
先輩は顔を上げ目を見開いて後輩を指差した。
「それ!! 『風の剣の子』は絶対言うな!! さっきも言ったし、ここ来る前に散々言ったろ?? ラファル侯爵が嫌う言葉だ!! 覚えろ!!」
「了解っす」
「メモとれメモ!! なんでお前はメモとらないんだ!!」
「自分、1回聞いたらなんとかなるんすよね」
「なってないんだって!! 本当にお願いだからメモ取って!!!!」
先輩は声が裏返りながら叫び、頭を掻きむしろうと手を伸ばしたが直前で止めた。行き場の無くなった両手を自分を抱きしめるように二の腕を掴んだ。
後輩はメモ帳とペンを取り出した。
「とにかく、『風の剣の子』は駄目。オリヴィア様って言う事。会うと『リヴィでいいですよ』とか言ってくるけど駄目。本人が言ってるから良いじゃん、て思っても絶対駄目だからな!!」
ここまで言わないと、きっとこの後輩は『リヴィ』と言ってしまう様な気がして細かく伝えた。そして一息つき、興奮して熱くなった顔を手で扇いだ。
「ちなみに『風の剣の子』って言うとどうなるんすか?」
「言うと次回帰港時に、白百合号を専用桟橋に置かない。だから、帰ってきた事に気付くのが遅れる。遅れるのはまだ良くて、怠けた見張り番だと気付かない時もある。気付いた時には、もう船に乗って居なくなってたりする。そうすると上から長々と説教をくらい、説教を食らっている間仕事出来ないから残業になり、その残業は自業自得とか言われて残業代は一切出ない」
先輩は最悪な事を思い出している表情をして答えた。彼が何度か体験した事である。
「うわ、辛いっすね」
「そ、そうだろ? そう思うよな? 俺はな、組む奴に運が無くてな、そいつが馬鹿をして、こうなる事が多いんだ」
他人事の様に言う後輩を見て『お前もその1人になっちゃうよ』と言いたい気持ちを抑え、両手を胸の辺りで握っては開くを繰り返し、頭を触るのを我慢している。
「胃が痛いんすか?」
「そうだよ!! 胃が痛いんだよ!!」
先輩は再び頭を触り、途中でハッとして触るのをやめた。
「でもラファル侯爵ってあんまり家にいないんすよね? 別に、いない時でもオリヴィア様に会えば良くないすか? なんで、毎回いる時に合わせて会おうとするんすか?」
「ラファル侯爵通さずに会ったらダメだ。もうこれは正式に決まってる」
何度もそうしたいと思った事だった。だが絶対に許されない。
「なんで、そう決まってるんすか?」
「……5年くらい前、帰港してる情報を得たからここに来たんだ。けど、オリヴィア様は街に出掛けてて居ないってんで、『帰れ』って追い返されてな。それに前担当者が怒って、血眼になって街中を探して見つけたんだ。で、腕を掴んで離さなくて揉めた。一旦引いたんだけど、話を聞いたラファル侯爵が大激怒。しかもオリヴィア様の腕に痣が出来ちゃってな。それで、呼び出されて――ちょっと、いろいろあった。それ以降、勝手に会う事は禁止って正式に決まった」
当時その場にいた彼は、あの時のレオナールとあの2人を思い出し身震いした。
前担当者は酷かった。
腕を掴んだ件で呼び出されても、謝罪はせず侮辱した。
そしてレオナールは制裁を加えた。
その制裁を前担当者が受けている間、何も出来なかった。「止めればお前にも同じ事をする」と言われたからだ。だが例え言われていなくても、足がすくんで動けなかっただろう。
前担当者の断末魔に近い泣き叫ぶ声と、叫びながら合間合間に放つ許される事の無かった謝罪の声、そしてあの光景は忘れることは無い。
制裁後ヴェストリ地方の病院は受け入れて貰えず、王都の病院へと運んだ。
そして前担当者は、自分がいかに可哀想な被害者であるかと上に訴えたが、侮辱罪による制裁を加えられただけ、と結論付けられレオナールは何の罪も問われなかった。
これ以降、領地に入っただけで胃が痛むようになってしまった。
「前担当はどうなったんすか?」
「ヴェストリ地方に入る事を禁止。コネだけで入ったのに家を勘当されたからどっかに左遷されてる」
「なんでラファル領だけじゃなくてヴェストリ地方全体に入れないんすか?」
「……アールヴ連合王国は、人種で派閥があるだろ。ミーズガルズ王国も派閥あるんだよ、民族は同じだけどな。王都を中心に、東西南北の四地方に1つずつ魔具管理家があるだろ。それで派閥がくっきり分かれてる。西にあるここヴェストリ地方は、ラファル派なんだ。ラファル家が敵認定したんなら、ヴェストリ地方の貴族、特にヴァンの貴族は全員、前担当を敵認定してくる。だからヴェストリ全体を禁止にしないといけないんだ。ヴァンの貴族は身内には優しいが、他人――特に敵認定した人物には、厳しいんだ。覚えておけよ」
そう言って彼は顔をしかめた。
「へぇー。そうなんすね」
先輩は、軽い返事をした後輩を見て溜息を吐いた。
「そのミーズガルズ語。クセが強いから絶対に直してね。じゃないと魔具管理家の誰とも話せないからね。どこで習ったの?」
「学校っすね。口語の授業っす」
「……そう。じゃあ、今日から仕事終わりに教える。残業つけるからやろう。来週は、東のアウストリ地方の土の大槌管理家に行くからもうちょい何とかしよう。その後は、北のノルズリ地方の火の槍管理家。南のスズリ地方の水の弓矢の選定会もあるし。ね?」
レオナールに当分会わない事にホッとはしているが、いつかこの後輩がレオナールに殺されてしまうのではないかと心配でもあった。
また会う前に何とかしなくてはならない。『話すな!』と言っても話してしまうのだから。
「先輩……」
「なんだ」
「ちょっと、トイレ行きたいっす」
無言で後輩をじっと見て肩を落とした。馬車を止め、降りた後輩は茂みへと進む。後輩が見えなくなったのを見て、彼は魂が出てくる程の大きな溜息を吐いた。
「大変そうですね」
馬車からもう1人の声がする。
王都から連れてきた医師だった。後輩と話している間、気を使って全く話さなかったその医師は、哀れみの目で此方を見る。
「はい……」
外の海を見て、綺麗だな、と思った。
早くラファル領を抜けたい、ヴェストリ地方を抜けたい、王都に着きたい、役所に帰りたい。
ただそれだけを考えた。




