85.最終話 お別れ
――ジャード港。
――朝、セルパンの上刻。
朝、声が元に戻った。だが変声薬は飲んでいない。もう降りるので、その必要が無いからだ。
「ふんふんふーん」
リヴィは、貰ったクラルテのワンピースドレスを着ていた。
久しぶりの可愛い服に、心は踊り、鼻歌を歌う。
「うん、可愛い!」
俯いて自身の格好を見た。くるっとひと回りして、裾の広がり具合いを楽しんだ。
「クラルテはやっぱり可愛いなぁ。パピヨンもペルル良いけれど」
服を楽しむリヴィを、ルネは椅子に座って微笑みながら見ていた。
無邪気にはしゃいでいるリヴィは、可愛らしい精霊に見えた。
「靴が残念だね」
「ふふっ、そうですね」
裾をほんの少し持ち上げて、足元を見る。靴は白百合号に乗った時の靴のままだった。
「寂しくなります」
「本当にそう思ってくれる? 私のせいで無給になったし、新人の仕事することにもなったのに?」
ルネは苦笑いをした。リヴィを無断で白百合号に乗せた罰は『1カ月間、無給で働く事と趣味部屋掃除はヴァルとルネがする事』だった。
これはレオナールが、リヴィにこの部屋を掃除させない為に考えた罰でもあった。
他にも色々あるらしいが、詳しくは教えて貰えなかった。
「ええ、寂しいですよ」
ルネがそう言うと、扉が叩かれライアンが入って来た。
可愛らしいリヴィの姿を見て、口元が緩む。
「どう? 似合――」
「似合う!」
「……本当にそう思ってる?」
「へ? 思ってるよ?」
どんな服を着ても「似合う」と言ってしまう彼に、若干の不満を感じた。
「馬車が来たよ。上に行こうか」
「うん」
今回の帰港では、レオナール達は降りなかった。ただリヴィとライアンを降ろすだけである。船員達は連続した休日が貰えるものと思っていたが、ぬか喜びに終わった。
ライアンに続いて部屋を出る。ルネも見送りをする為、一緒に出て行った。
上甲板に上がり、空を見上げた。雲ひとつない澄み切った空だった。
船長室へと入ると、レオナールがいつもの椅子に座り、その隣にはヴァルが座っていた。テーブルにはまたしてもリボン掛けされた箱が置いてあった。そしてそのテーブルを挟んで、その部屋にはいつも居ない人物が座っていた。
「お母様! サロメさん!」
リヴィはオデットの元へと歩み寄り、抱擁を交わした。2人がここに居る理由は、ペリド港でレオナールが迎えに来るよう手紙を書いたからだ。
「迎えに来たわ、ふふッ。楽しかった?」
「うん! 凄く!!」
次にサロメの方まで歩み寄り、抱擁を交わした。
「1カ月も、良くまぁバレなかったわね。誰かさんの目が曇ってたお陰ね」
――プチッ。
リヴィがレオナールを見ると、サロメを無の表情で見ていた。
「『誰かさん』とは、俺の事か」
「あらぁ、他に誰がいまして?」
「似ているとは思っていたが、声が――」
「それでも普通は分かると思いますけどね。普通は」
バチバチと火花が散る。
(気が合わないのは、似てる所があるからなのかな……)
大好きな2人の仲が悪いのは、少し残念な所である。
「か、母さん、お久しぶりです」
この空気を何とかしようと、ライアンがサロメに歩み寄り抱擁をした。
「ライアンも元気そうね。よりも戻せて何より。これで、成績の事を心配しなくてもいいのね」
ライアンは顔を引きつらせ、固まった。
「成績? 何の話?」
「あら、リヴィ聞いてないの? この子、振られた後に成績落ちちゃって――」
「ちょっと! 止めて下さい!!」
慌ててライアンは、サロメを止めた。だがそんな中、ヴァルは呆れるように口を開けていた。
「成績ガタ落ちの理由は、進路じゃねぇのか!?」
「1番の理由は、リヴィに振られたせいよ。留年しかける程に落ち込んでしまったのだから」
「ちょっと!!」
リヴィは口を開けて呆れた表情でライアンを見た。呆れた表情でいるのはリヴィだけでは無い。ヴァルもルネも、そしてレオナールも呆れていた。
「み、皆さん。そんな顔をしないで貰えますか」
がっくりと肩を落としたライアンを見て、オデットとサロメはくすくすと笑っていた。
「そうね、若くて可愛いわ」
オデットはそう言ってフォローするが、ライアンはまだ落ち込んでいた。そんなライアンを見て「ああ、そうそう。2人共、婚約おめでとう」とオデットは話題を変えた。
「うぇ!?」
「さっき聞いたわ。手紙で言って下さったら良かったのに」
「直接言った方が良いだろうと思ってな」
「ただ発表はリヴィの誕生会ですのよね? それ迄は内密に?」
「ああ。皆集まるし、ちょうどいいからな。結婚はライアンが学校を卒業してからだ」
(なんか……なんか……)
どんどん話が進んでいく。
ライアンとの結婚は嫌ではない。
むしろ嬉しい。
だがもう少し相談してくれても、と思う。
「レオナール様、もう少しリヴィと相談してくださいな。リヴィの晴れ舞台になるのですから」
オデットがリヴィの気持ちを汲み取り、レオナールへと話す。レオナールがリヴィを見ると不満げな顔をしていることに気付いた。
「駄目か?」
「別にいいんだけど――」
「なら、いいだろう」
何が悪いのか、と言った顔でオデットを見る。オデットはここでの議論を諦め、リヴィに「また今度言うわ」と言う。リヴィは小さく頷いた。
「それからこれを買ってきたの」
オデットはテーブルの上にあった箱を取り、リヴィへと渡した。それを開けると、そこには1足の靴が入っていた。
今着ている服に似合いそうな、ほんの少しヒールのある靴である。
「可愛い!」
「でしょう。その服に似合うと思うの」
「……この服の事知ってたの?」
「ええ。王都新聞に絵付きで載っていたわ。【ラファル侯爵、虐待疑惑払拭の為、オリヴィア嬢にクラルテ新作を即購入!!】ってね」
「……え? 虐待?? なんの話??」
「笑える記事だったわ」
オデットがそう言った直後に、サロメは吹き出した。記事を思い出し、笑っているのだろう。
レオナールは腕を組み、不快で仕方が無さそうだった。
「ま、それで靴が無いと思ったから、買っておいたのよ」
リヴィは靴を取り出した。白い花の刺繍が可愛らしい。白百合号での仕事をしたら、直ぐに汚れてしまうだろう。
そっと床に置いて、ライアンの手を借りながら、今履いている靴を脱いだ。ふぅ、と軽く息を吐いて意を決するように新しい靴を履いた。姿見の鏡まで歩き、全身を見た。
――どこをどう見てもオリヴィアである。
「リヴィ、お別れの挨拶をしてきなさい」
「昨日してきたよ」
昨日、セルジュ達以外にも降りることを伝えている。
「その格好でしなさい。それに今日降りるのだから、最後に何も言わずに降りるのは失礼でしょう」
リヴィは頷いた。オリヴィアの格好で皆に会うのは、何だか気恥しい。そんなリヴィに気付いたのか、ライアンは「一緒に行く?」と聞いてきた。
首を横に振った。
これは、最後の仕事である。自分1人でやりたい。
「行ってくる」
まずは下甲板から回った。下甲板が終わると中甲板と順番に最後の挨拶をした。挨拶をすると、皆顔をひきつらせ、態度を変えた。それを見て、やはり悲しくなった。
少し違ったのは3つ子だった。彼女達、特にビーユは、昨日も嘆き悲しんでいたが、今日は昨日以上に嘆き悲しんでくれた。あまり話してはいないが、こんなにも悲しんでくれるのか、と嬉しかった。
「終わったか?」
上甲板まで行くと、皆待っていた。大半の船員達は、束の間の休息を楽しむ為、街に飲みに行っている。
最後の挨拶を済ませるのは案外早かった。
「あー……うん……」
本当はセルジュに会いたかった。渡したい物もあったのだ。
だが下甲板にいた船員に「セルジュはイーサン達と酒を買いに行きました」と言われた。
「リヴィ? 何でそんな格好してんだ?」
タラップを上がってきたエミリオが、首を傾げている。そして彼の後ろから、イーサン、ドニ、テオ、そして、セルジュが上がってきた。エミリオとテオは、女性2人が誰か分からずキョトンとしている。
慌ててイーサン、ドニ、セルジュは頭を下げた。それを見て、エミリオとテオも真似をして頭を下げた。
「じゃあ私は、先に馬車に乗っているわね。またね、ダーリン。ルネは妖精のフォークに来なくていいの?」
「ええ。そんな時間もありませんし」
「そう。ラウラに伝えておくわね」
サロメはそう言うと、ヴァルにキスをしてタラップを下りて行く。
「貴方はリヴィのお友達?」
オデットはエミリオの元まで歩いた。じっと優しげな目でエミリオを見ている。
「え……友達? いや、なんと言うか……お互い気に入らない仲です……あれ?」
エミリオが不思議そうな顔をしているのは、オデットが誰かに似ていると感じたからだ。
するとオデットは驚いた後、軽く笑った。
「あら! じゃあ好敵手ね。こんな事は初めてじゃない? 友達は居たけど好敵手は居なかったものね」
ふふっと笑い、セルジュに視線を向ける。
「セルジュも久しぶりね。リヴィのお世話をしてくれたと聞いたわ。ありがとう」
オデットがそう言うと、イーサンとドニはハッとした顔をしてリヴィを見た。
「いえ……とんでもありません」
「何かしら礼をするわね。じゃあこれで失礼するわ」
オデットはタラップを下りていく。リヴィはグッと前を見て皆を見据えた。
「あの、その……」
「何だその声とその格好」
エミリオはまだ分かっておらず、不思議そうにしている。
「これが、本当なの」
そう言うと、エミリオは目を見開いた。
「これが、私です。皆に嘘を吐いてました。本当は、リヴィオなんて言う名前じゃありません」
リヴィはゆっくりと息を吸う。
「本当の名前は、オリヴィア・ヴァン・ラファルです。諸事情で隠してて……声はルネおじ様の薬で変えてたの。ごめんなさい」
頭を下げた。数秒後、顔を上げるとエミリオの顔は引きつっていた。この国に住んでいて、この名を知らぬ者は居ない。
「そうですか……今まで大変失礼な態度を……申し訳ありません」
イーサンがそう言って頭を下げると、ドニ、テオが頭を下げた。エミリオは固まり、動けないでいる。それを見たイーサンは、エミリオの頭を鷲掴み、頭を無理やり下げさせた。
態度が変わらないなんて事は有り得ない。後ろにはレオナールも居るのだ。「変えないで」と言っても無理だろう。
「俺は知ってたけどなー」
セルジュの声だった。今までと全く変わらない声である。それに驚き、目を見張った。
彼はリヴィの元まで歩いてきた。
「寂しくなるよ。その格好で挨拶するって事は、もう白百合号には乗らねーんだな」
そう言われ、涙が溢れた。何も言わずに何度も頷いた。正体をばらさず、此処を去る事が出来たら再び乗ることも出来たかもしれない。
だが、もう正体はバラしてしまった。
例え乗ったとしても、リヴィへの態度はもうリヴィオへの態度では無い。
「帰港したらここに来いよ。酒おごってや――あ? 年齢誤魔化してたからまだか。ま、なんか奢ってやる」
何度も何度も頷いて、セルジュへ抱きついた。それを見て、ライアンとレオナールは引き剥がしたい衝動に駆られたが、我慢した。
リヴィはセルジュの胸に顔を埋めた。
「ぐすっ……ありがとう、兄さん……本当に……」
「んな泣くな。また会えるだろーよ」
「ぐすっ……うぅ……だってぇ、皆、よそよそしくなるんだもの」
「そりゃそーだ。お前は西の姫様だぞ」
「そう言われるけど違う――」
「違くねー。そーなんだ。だから泣くなって!」
「うぅ……」
少し離れると、セルジュの胸元は濡れていた。セルジュはジトッとした目で此方を見ていた。
「あ……ごめん。あ、あとね」
リヴィはポケットから、ある物を取り出した。
「……布紐?」
「そう。元は私が使ってたフェイスベール。髪紐にしたの。ほら、昨日、兄さんの髪紐ダメにしちゃったから、作ったの」
セルジュはリヴィから髪紐を受け取る。
「悪くねーな。……ちゃんと洗ったか?」
「洗ったよ! もう!」
「ふーん。なら、使ってやる」
手ぐしで髪を整え、ポニーテールに結ぶ。
「貰ってくれて、ありがとう。……それと私ね、ひとりっ子なの」
「知ってる」
「そう……だよね。だから、ね。その……」
「何だよ。はっきり言えよ」
リヴィは恥ずかしそうな顔をした。
「本当にお兄ちゃんが出来たみたいで、楽しかったよ」
腹が立つこともあったが、楽しかった記憶も多い。
本心を伝えるのは恥ずかしい。顔は見れず、俯いた。
「兄弟設定なんて失敗だったな……」
小さく、とても小さく、セルジュは呟いた。
「え?」
上手く聞き取れず首を傾げると、セルジュはリヴィの頭をぽんぽんと優しく叩いた。
「お前はずっと、俺の可愛い弟だよ」
愛おしい者を見るような、優しい目だった。
嬉しくて嬉しくて堪らず、リヴィは目に浮かんだ涙を拭った。
セルジュはリヴィの頭から手を離し、ライアンを見て「お幸せに」と言う。ライアンはそれに驚きながらも「はい」と言った。
「兄さんまたね」
リヴィは次に、ヴァルとルネに抱擁を交わした。
「おじ様達も。本当にありがとう」
「ああ、またな」
「ラウラによろしく伝えて下さい」
そして、レオナールに抱擁を交わした。
「またね、伯父様」
「また帰港する時は手紙を書く」
「うん。なるべくはやく帰って来て」
「努力する」
レオナールが微笑むと、リヴィは離れた。
「行こっか」
ライアンにそう言い、2人はタラップを下りる。
桟橋に立ち、1度振り向いて白百合号を見た。セルジュは微笑み、レオナールはほっとした顔をして此方を見ていた。
「さよなら、リヴィオ」
少し前迄の自分を思い出し、うっすらと浮かんだ涙を拭いた。すると、ライアンが手を繋いできた。
「おかえり、オリヴィア」
ライアンが微笑み、顔を近付けてきた。リヴィはそれを受け入れ、唇を重ねた。
そして、手を繋いだまま2人は馬車へと向かった。
本編はこれにて完結となります。
後日、ライアンとセルジュの番外編を投稿し完全に終わります。
もしよろしければ、御付き合い下さい。
本当にありがとうございました。




