78.子犬とデート
――白百合号、医務室。
――朝。
「リヴィ、外行こ」
リヴィは歯を磨きなから、寝ぼけ眼でライアンを向く。ルネは椅子に座り、王都新聞を読みながらコーヒーを飲んでいた。
「ふぇ?」
「ルネさん。リヴィ連れて行ってもいいですよね?」
昨日、ルネにとてつもなくライアンは怒られた。小瓶はリヴィが説明し、飲むことは無かった。だがライアンは二日酔いで寝ており、リヴィは何もする事が無く、遊びに来たペルスネージュとほぼ1日中遊んでいた。レオナールが居なければ船上に来るらしい。
「……どうぞ。ただし!」
「分かってます! 日が明るいうちに船に帰ってきます!」
「なら……いいです」
ライアンの顔はぱあっと明るくなった。もし彼に尻尾が生えているのなら、ブンブンと大きく振っているだろう。
リヴィは口をゆすぎ「何処に行くの?」とたずねた。
「食事!」
そう言えばことごとく一緒に行けていなかった、と思い出す。
「場所はもう考えてるから」
そう言われルネから変声薬を渡される。リヴィは変声薬を飲んだ。
「分かった」
「じゃあ行こう」
ライアンはニッと笑い手を差し出す。リヴィは眉をひそめ、ライアンを不満げに見た。
「ああ……うん、そうだね」
しゅんっと尻尾を下げてライアンは落ち込む。こんな所は可愛らしく思う。
「行こっか」
リヴィが微笑んでそう言うと、ライアンは再び尻尾を振り、返事をした。2人は友達同士のように、外へと出かけた。
「ヴァルそっくり」
ルネはコーヒーを飲んでそう呟いた。
***
ライアンは終始上機嫌だった。よく話し、表情は柔らかい。
この街には何回か来た事があるらしい。前回来た時、オレンジが名産である事も知っていたし、道もある程度知っていたのはその為だと知った。
「リヴィ、聞いてる?」
「ん? 聞いてるよ」
「そう。良かった。俺ばっかり話してるから……」
「話を聞いてたんだよ。だから楽しいよ」
「そう?」
「うん。好きな人の話は聞いてて楽しいでしょ」
そう言うとライアンは目を見開いた後、両腕を前に持ってワキワキと手を広げたり閉じたりをする。
「何してるの?」
「が、我慢してる」
何を『我慢してる』のかと思ったが、顔が何となく必死に見えたので、トイレを我慢しているのかもしれない。
「あ、ここだよ」
坂をひたすら上り、着いたのは綺麗な建物だった。港からは遠く石造りで二階建てになっており、高級感がある。
ライアンは扉を開けて、リヴィに入るよう促した。
(もう、今は男だから別にいいのに)
女性を優先して建物に入るよう促すのは紳士のマナーだが、今はいらない。何度注意しても彼の女扱いはなかなか直らない。仕方ないのでそのままリヴィは中へと入る。
すると、黒服を着た中年の店員が「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。だが最初微笑んでいた店員は、リヴィを見ると眉をひそめた。
若さと格好を見て、そのような表情をしたのだろう。店内にいる客達は小綺麗な格好をしている。リヴィはシャツにズボンといった簡単な格好で、汚れてもいる。
「ここは食事に料金を頂く場であって、施しをする場では有りませんよ」
客にする態度ではない。店員の見下した態度に、後から入ってきたライアンは不満気な顔をする。
「ピックさん。お久しぶりです」
「……ライアンさ……ま……?」
「はい。か……彼と食事をしに来ました。席は空いていますか? 出来れば個室を」
「直ぐにご用意致します!」
店員は店の奥へと入っていった。
「リヴィ、ごめんね」
「何が?」
「不快になったでしょ」
「なってないよ。こんな格好で来たのが悪いんだから」
そう言うと彼はホッと胸をなで下ろした。数分経ち、先程の店員は戻ってきた。
「お待たせしました……遅くなり申し訳ありません。ただ、その……」
店員は言いずらそうに、口篭る。
「どうしました?」
「空いているのがソファの席になりまして……他の席もご用意出来ますが――」
「ならソファの席で。その方がいいです」
「ですが、その席は――」
「気になさらずに」
ソファ席の何が悪いのだろうか。リヴィは首を傾げる。中年の店員は2人を個室へと案内する。店員が扉を開け、2人は中へと入った。
そして中を見て口篭った理由が分かった。
中にはソファが1つと長テーブルが1つ。窓の方を向けられて配置されている。恋人席とも呼ばれるような配置だった。
「本当にここでいいのでしょうか?」
「ええ、構いません。ソファも大きいですしね」
ライアンがそう微笑むと、店員はほっとする。2人は席に座り、メニューを広げた。
「リヴィ、何食べたい?」
「んー……何かオススメのもの。それと、オレンジジュース」
ライアンは店員に注文する。店員は「かしこまりました」と言って下がって行った。
「ライアン、トイレは?」
「トイレ? 部屋出て右の――」
「んーん、違う。ライアンはトイレ行かなくていいの?」
「へ? 俺?」
「うん。さっき『我慢してる』って」
「え、トイレじゃないよ」
「そうなの?」
「そう。俺が我慢してたのは――」
リヴィはいきなり引っ張られ、ライアンの腕の中にいた。
「これ我慢してた」
「ちょっと急に――」
「個室ほんとありがたいよな。良かったぁ。空いてて。しかもこの席最高」
(暖かい……)
今日はひんやりとした空気で肌寒かった。ライアンの体温は温かい。人間湯たんぽと言える。このままこうしていたいが、それは不可能だ。
リヴィはライアンの胸を押し、ライアンは抱き締めるのをやめた。
「どうしたの?」
「店員さん、いつ来るか分からないでしょ……」
「あ、うん……」
バツが悪そうに、リヴィから少し離れた。リヴィは視線を窓の景色に移す。港から離れた坂の上にあるこの場所は、遠くに海と港が見えた。
「リヴィはさ……本当に俺の事好き?」
「え?」
何故そんなことを聞くのだろうか。右を見れば、落ち込んだ様子のライアンが居た。
「好きだよ」
「本当に?」
「じゃないと、ご飯一緒に食べないよ?」
「そう……だね……」
数分後、女性店員がワゴンにのせて料理を運んできた。
先ず出されたのは、オニオンスープだった。肌寒い今、スープはとても有難かった。他にはトマトやオリーブ、アンチョビなどを使用したサラダや、子羊のロースト、バケットとバター、オレンジジュースが出された。オレンジジュースからは、搾りたての新鮮な香りがする。デザートは食後に出されるらしい。
どれもリヴィが好きな料理である。
女性店員は、一礼して下がった。
「子羊のローストがここの名物だよ。ブイヤベースも名物だけど、船は魚ばっかりだったでしょ」
「うん! 嬉しい! あとスープも。ちょっと今日寒いから」
キラキラと輝く瞳をしたリヴィを見て、ライアンは嬉しそうにほほ笑んだ。そして、ナイフとフォークを手に取る。
「食べよ――」
そう言いかけた彼の口元に、リヴィはキスをした。感謝の気持ちと、いろいろと我慢させている彼に対して、ちょっとしたプレゼントだった。
「ありがとう」
満面の笑みでそう言うと、ライアンは「子猫」と呟く。
「え?」
「ずるいよ。リヴィ……」
ライアンはナイフとフォークを置くと、左手でリヴィの肩を抱き寄せた。
「うわ、腕も肩もこんなに冷たい! こんなに寒いなら早く言って。俺、体温高いから。こっち来て」
ライアンと引っ付くように食事をした。普段なら出来ないことだ。男だからではない。マナー的に許される事ではないからだ。
彼は左手が今使えないので、リヴィは子羊のローストを切ってあげた。「食べさせて」と甘えたことを言ってきたが、それは断っている。少ししょんぼりしていたが、また軽く口元にキスをすると喜んでいた。
――分かりやすすぎる。
やはり子犬のようで可愛らしい。父親であるヴァルが黒犬と呼ばれていることから、皮肉で子犬などと呼ばれているが、皮肉ではなく本当に子犬のようで可愛らしかった。
また歳上でガタイが良いというギャップが相まって、リヴィにはとても可愛らしく見えた。
食事が終わった頃、ライアンは鈴を鳴らして店員を呼び、デザートを頼んだ。程なくして持ってきたのは、フルーツを砂糖につけたものと、バニラアイスクリームだった。
デザートは、ライアンは食べずにコーヒーを飲み、リヴィだけが食べた。
食べ終わり、お店を出る時にお金を払おうとしたが、もう既に支払われていた。リヴィが食後にトイレに行った時に済ませたのだと言う。
デートの時はいつも払ってくれているが、毎回いつ払っているのか分からなかった。
「もう帰ろうか。観光も考えたけど、やっぱり今日なんか寒い……雨?」
ポツポツと雨が降り始めた。
「リヴィ、食後だけど走れる?」
「うん、平気。頑張る」
2人は港へと走り出した。最初そこまで降っていなかった雨は、次第に威力をまし、土砂降りへと変わる。
「あそこ! あそこで雨宿りしよう!」
「うん!」
もう服も髪も全て濡れてしまっていた。ある一軒家の屋根を借りて、2人はそこで雨宿りをする。
「ここ、ホテルだ。ちょっと傘借りれないか聞いてみるよ」
二階建ての小さく古いホテルだった。幽霊が出てきそうな雰囲気でもある。ライアンは中へと入る。
やはり中も古かった。所々、埃や蜘蛛の巣が見える。室内であるというのに、外と変わらず肌寒いのは、隙間風が吹いているからだろう。
リヴィは玄関で待ち、ライアンは奥にある受付まで行った。
(寒い……)
少しでも暖かくしようと両腕をさする。
「駄目だった。あるにはあるけど、全部壊れてる」
そう言ってライアンは傘立てを指さす。そこには手に取らなくても分かるほど、ボロボロの傘が3本置いてあった。
「そっか……待たせてもらう?」
「いや、この雨は止むかどうか分からない。風も吹いてきたし、ここに泊まろう。船に戻っても、もうみんな船には居ないかもしれないからね。」
「居ない?」
「海が荒れれば、近くの宿泊施設に泊まるんだ」
「でも、お泊まりは――」
「駄目だね。でも仕方ない。ルネさんには俺が説明する」
「また怒られちゃうんじゃ――」
「少しでも納得してもらうよう2部屋取ったし、領収書も2部屋分で書いてもらった。とりあえず、シャワー浴びて着替えよう。寝間着はあるみたいだ」
リヴィとライアンは2階へと上がる。階段も廊下も、歩けば木が軋む音がした。客人は他に居ないようで、とても静かだ。
「リヴィはこっちの部屋ね。俺はこっち」
ライアンは隣の部屋らしい。
渡された鍵を持ち、扉を開ける。中は思ったより悪くなかった。シングルベッド1つと、シャワー室とトイレがあるだけだが、それで充分である。
不満があるとしたら、隙間風があることである。リヴィは服を脱ぎ、シャワーを浴びた。着ていた服を部屋に干して、長いサラシも干した。
寝間着は綿素材のシャツにズボンといった簡単なもので、着心地は悪くなかった。
「くしゅん」
くしゃみをし、両腕をさする。ベッドの中に入り込みじっとしていたがそれでも寒い。
(湯たんぽ……あればいいのに……)
そう考えると、あることを思い出す。ベッドから出て部屋を出た。向かうは隣の部屋である。
扉を叩いて返事を待つと、ライアンが扉を開けた。もうすでにシャワーを浴びたらしく、寝間着姿だった。
「ん? どうしたの?」
「その……」
(なんて言えば……)
寒いので人間湯たんぽになって、とは中々言いづらい。
ライアンは首を傾げていた。
「寒くて……だから……抱き締めてくれない?」
ライアンは固まり、目をぱちくりとしている。数秒間動かない彼を見て、駄目だったのかな、と考えた。
「うん。おいで」
そう言って彼はリヴィを招き入れた。




