63.魅了
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(何で魅了されないんだ?)
エミリオは何ともなさそうにしているリヴィを見てそう思った。
――嫌がらせだった。
気に入らないリヴィが、少しでも痛い目を見ればいいと思い、魔法が切れた耳栓を渡した。
初めは趣味部屋掃除をしない事が気に入らなかった。
1つ気に入らなければ、全ての事が鼻についた。
ベールをしている事も、掃除の仕方も、女顔な所も、全てが気に入らなかった。
だが1番気に入らなかったのは、貴族出身な事だった。
働かなくて良いのに、働く意味が分からない。イーサンやセルジュが「副船長とルネさんと何かある」と言っていたので、縁故採用である事が予想出来た。
――それがさらに許せなかった。
3人採用される枠のうち、1人は縁故採用で取られてしまった。もしかしたらその枠は、一緒に受けた友人が採用されていたかも知れなかった。働かなくてもいい奴が採用され、働かなくてはならない友人が不採用だった。
――腹が立って仕方がなかった。
右ポケットに入れた耳栓を握り締めた。
魅了され、キスをした時に耳栓を着けるつもりだからだ。「人喰い人魚とキスした大間抜け」と一生馬鹿に出来る。
(魅了されろ! 少しは痛い目見ろよ!)
だが魅了される様子は無い。じっくりと人喰い人魚を見て楽しんでいる様に見えた。
(何でだ? 案外、大丈夫……なのか……?)
理解が出来ず、眉をひそめる。もし大丈夫なのであれば、聞いてみたいという興味が湧く。
(ほんの少しだけ、あいつが大丈夫なら、俺も大丈夫だろ)
恐る恐る耳栓を取ると、歌声が聞こえた。
(あぁ……なんて美しいんだ――)
あの歌声をもっと聞きたい。
近くで聞かせて欲しい。
あの美女に身を委ねたい。
「エミリオ!! 何してるの!!!!」
(『何してる』……?)
声は聞こえるが、どうでもよかった。
もっとキスをしていたい。
舌を絡めたい。
彼女に全てを捧げたい。
「エミリオ!?」
イーサンがエミリオを掴もうとしたが、人喰い人魚は一気にエミリオを海へと引きずり込み、リヴィもエミリオの服を掴んだまま一緒に海へと入っていった。
***
人喰い人魚は、右足鰭をエミリオにからめ、左鰭を動かして深く潜って行く。エミリオは両腕で人喰い人魚の体を抱きしめていた。
濡れたベールが顔に纏わり付く。リヴィはベールを下へとずらした。
足鰭を蹴り、襟首を引っ張って引き剥がそうかと試みたが、意味は無かった。仕方なく風の剣を引き抜いた。
(エミリオ! 正気に戻って!)
正気に戻って欲しい思いと、日頃の恨みを込めて剣の柄で後頭部を殴った。
――ゴンッ。
「ごぼァ」
鈍い音がし、エミリオの口から大量の気泡が出た。
目が覚めた彼は、絡められた腕と足鰭から逃れようとしている。人喰い人魚は再び歌い始めた。暴れるエミリオの髪の毛をひっつかみ、リヴィは先程拾った耳栓を彼に着ける。
間一髪、魅了の魔法にかからず、さらに力を込めて離れようとした。だが上手くいかない。
(もう、仕方ない!)
リヴィはエミリオの目を左腕で塞ぎ、人喰い人魚に剣先を向ける。
「《ニーコトエー》」
口から空気が出たと同時に、剣先から空気の塊を人喰い人魚にぶつける。すると、先程と同じ様に不快な悲鳴を上げて、人喰い人魚はエミリオから離れた。
急いで浮上し、海面から顔を出して勢いよく息を吸った。エミリオは咳き込んでいる。数メートル先にある舟艇から、大声で名前を呼ぶ声がした。
2人は必死に泳いだ。
先にエミリオが船縁に手をかけた。引き上げられ、彼は何も言わずに咳き込みながら俯いていた。
エミリオに続いてリヴィが船縁に手をかけようとした時だった。
『ああ……よい香りね……』
首に腕がまとわりつき、後ろから耳元で囁かれた。首を腕で絞める様にして、再び海へと引きずり込まれた。
「リヴィ!!!!」
セルジュの叫ぶ声が、海に入る直前に聞こえた。
あまり大きく息を吸い込めなかった。長くは海の中に入れそうにない。
必死に藻掻くが離れない。それどころか、人喰い人魚の人数が1人、また1人と増えている。
『良い香り』
『りゃうず、狡い』
『だがをとこでは無い』
『をんな』
『をんな、味悪し』
『輩にする?』
『輩にしよ』
『とわに一緒』
言っていることはよく分からないが、何となく仲間にしようとしているのだと察した。
(嫌だ!)
リヴィは後ろに居た、人喰い人魚の脇腹を刺した。彼女が悲鳴を上げ離れると、別の人喰い人魚がリヴィを引っ掻こうとしてきた。それを剣で受け止め、斬り返した。
だが再び別の人喰い人魚が、リヴィに抱きついて動きを封じる。
『よい香り』
口々に彼女達はそう言い、再びリヴィへ近づいてくる。
(ダメだ……このままでは……)
息も限界に近付いている。リヴィは再び魔法を使った。
「《ハルピュイアイ》」
リヴィの周りに渦が出来るように、魔法をおこす。水流がぐるぐると渦巻き、人喰い人魚は渦巻く水流に巻き込まれていく。
悲鳴が上がるのが聞こえた。人喰い人魚は何処かに消えて居なくなった。
再び急いで浮上し、咳き込みながら息を大きく吸った。
「リヴィ!! リヴィ!! ふざけんな!! 離せ!!!!」
舟艇の明かりとセルジュの声で、舟艇が何処にあるのか分かった。セルジュは「離せ!!」と何度も大声をあげている。それ以外にも悪態をつくような声がする。
靄で見にくい中、リヴィは剣を収めて舟艇まで泳いだ。舟艇に近付くと、イーサンとニコがセルジュを上から押さえ付けていた。
「リヴィ!!!!」
縁に手をかけると、セルジュが引き上げてくれた。倒れ込むようにして舟艇に乗り上げる。
「大丈夫か!!」
心配され返事をしようとしたが、息が乱れている為、何度も頷くだけにした。
「よかっ……た……」
セルジュはリヴィの肩に手を置いた。目には薄らと涙を浮かべている様に見える。
舟艇の先端には猿轡と手錠、足枷をされた人喰い人魚が横たわっている。舟艇の後方ではエミリオが俯いて座っていた。
「助けに行かせてもらえねーから……もう駄目かと……」
セルジュが押さえ付けられていたのは、自分を助けようとして海に入ろうとするのを、止められたのだと分かった。
「兄さん……ありがとう。でも大丈――う゛ぐっ」
セルジュはいきなりリヴィを抱きしめ、「馬鹿な弟だ」と言った。
「く、苦しいよ」
そう言うと離れ、頬に手を添えて微笑んだ。
「帰るぞ、この事は報告する。……いいな、エミリオ。耳栓取った理由はそこで話してもらうからな!」
怒気を含む声で、イーサンはエミリオに対して話し掛けた。エミリオはずっと俯いていた。イーサンは信号銃を空に向かって撃つと、白百合号から位置を示す信号銃が撃たれた。
舟艇はイーサンとニコが漕いだ。イーサンはずっと黙ってエミリオを見据えていた。そんな彼の目をエミリオは見ることは出来無かった。
ちなみに、緊急事態を意味する信号銃はエミリオが引き込まれた時に撃っている。
(何で耳栓取ったんだろ……)
聞きたかったがそんな空気ではなかった。ひんやりとした空気が濡れた体を冷やし、寒かった。体をなるべく小さくして縮こまり、腕をさすった。
舟艇は白百合号の横へと着くと、網が投げられた。それを人喰い人魚に巻き付けると、引き上げられ、用意されていたガラスケースへと入れた。
リヴィは船の横にある梯子を登った。上ではライアンが心配そうに見ており、登ってくるリヴィに手を伸ばした。
その手を取って上甲板に登った。




