61.人魚の耳栓
白百合号に乗って17日目の夜――。
船首と中央に石堤燈が1つずつ下げられ、船尾燈3つも明かりが灯った。海面からは岩山が幾つも見え、当たらない様にゆっくりと進んでいく。先程まで生暖かった風は、ひんやりとした風になり、肌寒さを覚えた。
――もう既に人喰い人魚の縄張りだった。
どの様に捕獲するのか、今、上甲板でイーサンからリヴィとエミリオが教わっている。
人喰い人魚は白百合号程の大きさの船は襲わず、小さい船を見つけ、歌声で男を魅了して襲うのだと言う。
なのでここからは小型の舟――舟艇を出す。
舟艇には新人1人と数名の古参船員、そして死刑囚が乗る。
新人を1人だけ乗せるのは、教育の為と危険な為だ。何人もの新人に構っている暇はない。
「それで、その1人の新人枠なんだが、テオは怪我が大きい、リヴィはルネさんの手伝いがある。だから、エミリオが乗るぞ」
イーサンにそう言われ、エミリオは嫌そうに顔をしかめた。
「人喰い人魚って、死刑囚以外は襲わないんですか?」
「いや、魅了されてる人間とされてない人間なら、されてる人間を優先して襲うってだけだ。向こうも楽だからな。俺らは人魚が魔法を掛けた耳栓をするから、魅了されない。隙あらば襲ってくるけど」
「げっ」
(そうなんだぁ)
リヴィには楽しそうとしか思えなかった。人魚は遠くから単眼望遠鏡越しに見たくらいである。人魚の美しさは分かったが、出来れば近くで見てみたい。
学校で習った記憶によると、人喰い人魚も歌声、容姿共に美しいらしい。
「乗りたくないです」
エミリオは腕を組んで拒否をした。
「何で?」
「だって嫌じゃないですか! 会いたいとは思えない生き物です」
(会ってみたいって……思わないのかな? こんな機会2度と……あぁ、エミリオはまた機会あるか……)
そしてエミリオは意地悪く笑い「リヴィが行けよ」と言う。嫌がらせだった。リヴィもきっと嫌だと思ったからだ。
だが――。
「いいの!?」
(人喰い人魚を見る機会なんて、今しかない……なら、行きたい!)
思っていた反応と違い、嬉しそうにリヴィは答え、エミリオはキョトンとした。
「怖くないのかよ。人喰い人魚が」
「怖かったの? だから嫌がってるの? 僕は怖くないから大丈夫。イーサンさん、エミリオは怖いみたいだから、僕が行きますよ」
エミリオは口をわなわなと動かし、俯く。
「リヴィの方が肝が座ってるな」
イーサンはニヤリと笑うと「自分が行きます」とエミリオが言った。
「え、嫌だ。僕が行きたい」
「いいって言ってんだろ! 俺が行く!」
「嫌だ! 行きたい!! 怖いんだから大人しくしてたらいいでしょ!」
「怖くない!」
「怖いって言ってたじゃん‼︎」
「言ってない!!」
ギリギリと両者睨み合いが続く。イーサンは「またか……」と溜息と共に呟いた。
「エミリオは次でいいじゃん! また機会あるでしょ!」
「何言ってんだリヴィ。お前もまた機会あるぞ」
「そ……うですけど、でも! 行きたいです!!」
「何を揉めている」
リヴィの後ろから声が聞こえる。
振り向けない。
振り向いてはいけない、声だった。
イーサンは顔を上げ、エミリオは振り向いた。
「実は――」
心臓が大太鼓を叩く様にドンドンと鳴る。
レオナールは船長室に居たはずだ。何故ここに居るのか分からなかった。
イーサンが何か話しているが、リヴィには心臓の音で聞こえなかった。ベールはしているが、至近距離ではあまり見られたくはない。
(伯父様、早くどっか行って!!)
「なら、2人乗せろ」
「いいんですか?」
「構わん。面倒を見るのは俺ではないからな」
イーサンは苦笑いをする。
「リヴィ、エミリオ。船長に御礼」
エミリオは緊張しながら「ありがとうございます」と言い、リヴィはゆっくりと振り向き、同じく「ありがとうございます」と遅れて言った。
レオナールはじっとリヴィを見る。だが何も言わずに船尾楼へと向かった。
冷や汗をかいた。どうやらヴァルと交代の為、船長室から出てきた様だ。
もう1度イーサンに向き合うと、彼は不思議そうな顔でリヴィを見ていた。
「何でしょう」
「いや……ルネさんは怖くないけど、船長は怖いんだな」
「え?」
「いや、なんでもない。……耳栓がもう1個いるな」
イーサンは「取りに行く」と船長室へと向かった。エミリオも彼に続く。リヴィは少し悩んだが、その後ろを歩く。船尾楼にはレオナールがいる。なるべく近付きたくはなかったからだ。
俯き加減で歩き、イーサンが扉を叩いてヴァルの声がし、2人と共に船長室へと入った。
ヴァルは眉間を揉みながら「どうした?」と聞いた。
「すみません。耳栓をもう1つ取りたいので、鍵をお願いします」
「ん? 足りなかったか?」
「いえ、1人増えたので」
「増えた?」
「リヴィも乗ることになったんです」
ヴァルは眉間を揉むのを止め、眉をひそめた。
「ルネの手伝いがあるだろ。それに新人は1人だ」
「そうなんですが、乗りたいみたいで。船長が許可を出しましたので、乗せようかと」
「レオが?」
(あれ? ヴァルおじ様反対なのかな?)
じっと見てくるヴァルを見てそう思った。
いつものニヤけた表情では無かったからだ。ヴァルは少し考えた後「そうか……」と立ち上がり、鍵を手に取りイーサンに渡した。
イーサンが御礼を言って部屋を出ようとした。
「イーサン。リヴィと少し話がある。先に行ってくれ」
「え、リヴィと?」
「そうだ」
「……分かりました」
イーサンとエミリオは部屋を出て行った。ヴァルと2人だけになり、気まずさを感じたのは初めてだった。
「乗るの反対なの……?」
恐る恐る聞いてみた。
「よく分かったな」
ヴァルは腕を組んでそう言った。
「わざわざ危険な所に、自ら行く必要はねぇんだぞ」
「そんなに危険? 女だから大丈夫だと思うよ」
魅了の魔法は男にかける。
男にしか効かないからだ。
「そうだな。でも、正直あまり行って欲しくねぇ」
「でも、今回行かなかったら、永遠に人喰い人魚を見る事が出来なくなっちゃう。それは嫌。だから乗りたいの」
「だが舟艇じゃ俺の目が届か――」
「お願い! ヴァルおじ様! ねぇー、おねがぁい」
「リヴィ、その声でそのお願いの仕方は響かねぇぞ」
がっくりと肩を落とした。『可愛いお願いの仕方』は、母に教わり前に何度か試している。その度に周りはお願い事を聞いてくれる事が多いのだが、この声では駄目らしい。
だがここで、レオナールの許可があるのだと思い出す。
「伯父様は良いって」
「そこなんだよな……」
ヴァルは唸り、悩んでいる。リヴィの口から「やはり行きたくありません」と、イーサンに言うのが最良であるが、言いそうにない。
リヴィは手を組んで、ヴァルをキラキラと輝いた瞳で見つめた。
「はぁ、分かった」
「やった!」
「絶対、大人しく見てんだぞ。変な事はするな」
「うん」
「ならイーサンから耳栓貰って来い。リヴィには意味ねぇけど、形だけでも着けねぇと。倉庫に行け」
リヴィはヴァルに抱擁をし、船長室を出て行った。
「俺もつくづく甘いな……」
そう呟くと瞼を閉じ、目の疲れを休ませた。
***
「これだ」
倉庫ではイーサンが箱を手に取った。人魚同士が戯れ合っている模様をした、螺鈿細工の四角い箱には鍵が掛かっている。イーサンはヴァルから受けとった鍵を差込み、回して開けた。
「これが、人魚が魔法をかけた耳栓ですか?」
イーサンが箱を開けると、エミリオは中から耳栓を取った。海綿で出来ており、とてもじゃないが歌声が聞こえなくなるとは思えない。
「そうだ。そのまま『人魚の耳栓』って呼んでる。人喰い人魚の歌声だけ聞こえないんだ」
「へー」
疑う様な目付きで、耳栓をじっくり見た。
「そっちのは、何ですか?」
エミリオは先程の箱の隣にあった箱を指差した。同じ螺鈿細工の箱だが、こちらは貝殻の模様をしており、ふた周り程小さい。鍵もついていなかった。
「こっちのは魔法が切れたやつ。ある程度数がたまったら、人魚にまた魔法をかけてもらうんだ。まだ……うん、そうだな。まだそんなにたまってないから、今回は頼んでない」
イーサンは貝殻模様の箱を開けて中身を確認しながら、そう言った。その箱の中には、1つしか耳栓は無かった。
「どうやって魔法が切れたって分かるんですか?」
「触れば分かる」
魔法が切れた耳栓を取り出してエミリオへ渡した。エミリオは左手で受け取る。
「魔法が切れてない方が硬い。切れてんのは柔らかい」
触り比べると、魔法が切れていない耳栓はグミの様に弾力がある。だが魔法が切れた耳栓は、綿飴の様にふわふわだった。
「イーサンさん、いますかー?」
左眼に眼帯をした船員が入ってきた。
「どうした?」
「そろそろ準備を。ドニさんは休憩なので、自分が行きます」
「あいよ。エミリオ、リヴィに耳栓渡してやれ。あとこれお前の分」
「了解です」
イーサンは耳栓をエミリオに渡し、箱に鍵をかけて倉庫から出て行った。エミリオは魔法が切れた耳栓を箱に戻そうとした。
その時、リヴィが倉庫に入って来た。
「あれ? イーサンさんは?」
「仕事。そんなもん分かるだろ」
「わ、分かるけど、そういう事じゃない!」
再び睨み合う。互いが互いに「嫌いだ!」と言う思いで一致している。だがそれも疲れ、2人同時に溜息を吐いた。
「耳栓」
「え?」
「耳栓だ! イーサンさんがリヴィに渡せって」
エミリオはリヴィに耳栓を渡そうと、右手を出そうとしたが、1度下げた。
「どうしたの?」
「いや……」
ほんの数秒黙った後、左手を出した。リヴィは耳栓を受け取り、じっと見つめた。
「あ……りがとう。こんなので歌声聞こえないの?」
「人魚が魔法をかけてるから、聞こえないんだよ。そんな事も知らないの、お前」
(ムカつく!!!!)
リヴィはエミリオの言う事を無視し、ふわふわと綿飴の様に柔らかい耳栓を握り締め、倉庫を後にした。エミリオはその姿を鼻で笑い、右手にある耳栓をポケットに入れ、同じく倉庫を出て行った。




