5.朝食お茶会
リヴィは邸宅を出て風を纏い疾走する。
芝生を突っ切ったので、再び芝生に禿げが出来てしまったかもしれない。庭師のフランシスには申し訳ないと思いつつ突っ切った。
ラファル邸の芝生は所々禿げている。垣根も1部半壊している。木の枝はスパッと切れている。それは、庭師の手入れが下手な訳ではない。
――リヴィのせいだ。
彼女が風の剣を練習する際に、禿げてしまう。直線に疾走する練習をしたり、急に止まる練習をした。直線だけでなく、弧を描くように疾走する練習もした。
芝生は柔らかく、踏み込みの際に禿げ、足を芝生に擦る時に禿げ、急に止まる時にも足を思いっきり踏ん張るので禿げ――。
物の直前に止まる練習をする時は、垣根を壁に例えてやっていた。何度か失敗し、ぶつかり、垣根を半壊した。
木の枝は、風の剣で物を切る練習をした。
――庭師フランシスは泣いていた。
どんなに完璧に整えても、芝生を禿げにされ、垣根は壊され、枝は切られてしまうからだ。
だがリヴィも美しい庭を壊す事は申し訳なく思っていた。なのでゴミ集め等の葉っぱ集めは手伝っていた。柄を握り集中して小さなつむじ風を起こし、1箇所に集めていた。これは非常に喜んでもらえた。魔法の練習が出来るし、庭師も楽が出来て有難かった。
至る所で魔法を練習したおかげで、家を囲う鉄製の門を軽々と飛び越える事もできるようになった。
緩やかな坂を下り海沿いの道を進む。そして結構な距離を走った所で止まった。
(もういいかな……)
後ろから誰も来ないこと確認する。風をずっと纏わないのは、魔法を使うのも楽ではなく疲れてしまうからだ。
数十分歩くとラファル邸から1番近い町、ジャードへと着く。
海沿いにあるこの町には港がある。石造りの建物が並び、道には綺麗な石畳が敷き詰められていた。そしてその道には何台もの馬車がゆっくりと駆けており、光っていない光源石の街灯――石街灯が規則的に置かれていた。
街に入り4階建ての建物に着いた。
石造りでアイビーが絡まっており、その1階には可愛らしいカフェ兼お菓子屋のお店が入っている。看板には【妖精のフォーク】と書かかれ、ドアには【本日お休み】と書かれた札が下げられていた。リヴィが札を気にせずにドアを開けると、扉についている呼鈴が鳴る。
店に入ってすぐ目に入る棚にはガラスのショーケースがあり、中にはアールヴ連合国原産の氷鉱石が入っていた。普段は生菓子をそこに置いているが、休みの今日は置いていない。
氷鉱石とは名前の通り氷の様に冷たい石である。温度調整は鉱石の量や間にほかの素材を使用するしかないのだが、貴重であり高価な石だ。
ショーウィンドウ側には焼き菓子を置くスペースがある。そこには昨日の残りと思われるクッキーが何個か置いてあった。
そして右手奥のスペースにはケーキを食べれるカフェスペースがある。そのうちの1つの丸いテーブルには、ジャムを塗ったバケットや、クロワッサンが乗ったお皿、蜂蜜、フルーツ、カフェオレが並べられていた。
呼鈴が鳴った事で丸いテーブルの周りに座った女性達3人がこちらを向く。母親オデットとその友人2人である。1人は目鼻立ちがはっきりした派手顔美人で、もう1人はおっとりとした可愛らしい顔立ちをしていた。
「久しぶりね、リヴィ」
派手顔美人は笑みを浮かべてそう言った後、テーブルの上にあったカフェオレボウルを手に取って飲んだ。
「サロメさん、お久しぶりです」
彼女はヴァルの妻である。30代半ば程の年齢で、普段着用の薄紅色のドレスを着ている。肩にはオデットと同じ様に、柔らかそうな木綿の肩掛けを巻いている。
「リヴィちゃん、元気でした?」
おっとりとした口調で話す彼女はルネの妻である。
「……元気ですよ、ラウラさん」
ラウラは20歳後半程の年齢で、膝丈のワンピースにエプロンをつけていた。耳の先が尖っており、金色の髪は三つ編みをアップにしている。
「で、駄目って言われたんでしょう」
母オデットに言われ、何故そんな事が分かるのだろうと驚いて目を見張った。
「何でわかるの!?」
「その様子を見れば分かるわ。それに、あ、ちょっと待ってね。ラウラ、この子に飲み物出してちょうだい」
「はぁい! カフェオレでいいですか?」
さっきも飲んだので違う物が飲みたかったが、直ぐに用意できるのはそれなのだろうと考え「はい」と答えて椅子へと座る。
ラウラは店の奥からカフェオレを持って、リヴィの前に置くと彼女も座った。
「あら? そういえばエマさんは?」
「あ……1人で来た」
「レオナール様から許可貰った?」
「んー、それが……」
リヴィは1人で出てきた事情を話すと、オデットはほんのりと怒りの表情に変わる。
(まずい……)
「それで1人で出てきちゃったの? エマさんが怒られてしまうかもしれないのに?」
「だって、1人が良かっ――」
「人に迷惑をかけて来ていいなんて言ってないわ」
「はい……」
「後でエマさんに謝らないと、レオナール様にも」
「エマさんには最初に謝ったよ?」
「それでも謝るの!!」
「……分かった……エマさんには謝る……けど伯父様にも? 嫌だ謝りたくない。って言うより会いたくない。刺される」
「え? 刺される?」
「ナイフ持ってた。テーブルナイフだけど。私を刺そうとしてる」
リヴィがそう言うと、オデットとサロメは吹き出して声を出して笑った。そしてサロメが口を開いた。
「リヴィ、あの男がリヴィを刺すなんて有り得ない話だわ」
「そうね。レオナール様はリヴィには絶対そんな事しないわ。何かの間違い」
2人はそう言うが、なかなか不安は拭いきれない。自分を少し落ち着かせようと、入れられたばかりの暖かいカフェオレをひと口飲んだ。
「で、なんで駄目って言われたの?」
向かい側に座るサロメが前のめりで聞いてくる。サロメの左隣にいるラウラも、興味津々な顔をしていた。
「……『危険だから乗せれない』って」
オデットは微笑み、ふふっと笑った。
「やっぱりね」
「お母様、分かってたんだ」
「そうよ、だって『乗せてもいいです』って言っても渋ってたんだもの」
笑う母を見て、リヴィはモヤッとしたものを感じた。
「言ってくれても良かったのに」
「言ったら剣の稽古やめちゃうでしょ」
「そんな事――」
そう言われ、乗れないかもと言われた事を想像する。
「――あるかも」
きっと辞めてしまうだろうと思った。
日の出と共に起き剣の稽古をした後、学校へ行き帰ってきてはまた稽古を繰り返していたあの日々。身になったとはいえもう一度経験したいとは、とても言えない日々だった。
「私はやめて欲しく無かったのよ。悪いとは思ったけど。その剣を活かすにはそれが1番良いって思ったの」
オデットはリヴィを見て微笑するが、リヴィは複雑な表情をした。
「レオナール様は貴女が大事なのよ。そこだけは分かってあげて」
レオナールは剣の稽古となると厳しいが、普段はとても優しかった。ただ厳しいだけでなく、上手くなれば褒めてもくれたし褒美もくれた。甘えたい時には察して甘えさせてもくれた。
厳しくも優しい伯父が大好きだった。
だが今は大嫌いという感情で埋め尽くされている。
――溢れるように涙が出た。
ずっと乗りたいと思っていた夢が壊れた。言われた当初は怒りの感情が大部分を占めていたが、今は悲しみが覆う。
「これから私何すればいいの? ひっく、白百合号に乗ることしか考えなかった」
「そうねぇ、ここの従業員になる?」
ここ妖精のフォークはオデットがオーナーのお店だ。そしてラウラはここの菓子職人である。
「……でも剣も魔法も何も活かせない」
「護身術になったでしょ」
「伯父様と同じこと言わないで!!」
リヴィはテーブルに額をつける。
ここまでくるのによく泣かずに来れたなとリヴィは思った。
「で、リヴィはレオナールになんて言ったの?」
サロメは眉をひそめる。
リヴィはなんとなく3人とも自分を見ているのが分かった。
「『大嫌い』って言って出てきちゃった」
するとサロメは大声で笑いだした。
「それは、さぞかし悲しんでるわね」
「どうかな。言ってすぐ出てきちゃったから分からないけど、なんとも思ってないと思う、ひっく」
「いやいや、悲しんでるわよ。あの偉ぶった男がどんな顔したのか見たかったわ」
サロメは悔しそうだった。そんなサロメの話しを聞いて、ラウラは口を開く。
「レオナール様ってどんな方なんですか? 私、紹介されたくらいであまり話せてなくて……」
「んー、最初威圧的に感じるかもだけど、ちゃんと話せばそうでも無いのよ。あとねサロメ『偉ぶった』ではなくて、実際偉いのよ」
「分かってるわよ。でもあの態度が嫌いだわ」
オデットがそう言うとサロメは苦虫を噛み潰したような表情をする。もう何を言ってもきっとフォローは出来ないので、何も言わない事にした。
そして、リヴィの様子を見る。
「リヴィ、レオナール様が駄目と言ったのならもう乗れないわ。次を考えなさい」
リヴィは顔を上げるもやはり浮かない顔をしていた。しゃくりあげ、あらかた泣いたあと、だんだんと気持ちが落ち着いてきた。
「落ち着いた?」
オデットは微笑んでリヴィに聞き、リヴィは頷いた。
「でも、やっぱりムカつく」
鼻をすすり、ムスッとして応える。
それを聞いたサロメが口を開いた。
「ねぇ、リヴィ。ヴァルとルネは反対してないって知ってた?」
リヴィはサロメを見る。
「んーん、知らない。2人と今日会ってないの」
サロメはニッコリと微笑んだ。
「さっきも言ったように2人は反対してない。だからね、2人に交渉してみたら? レオナールは絶対首を縦に振らないわ。でもあの2人なら交渉してみる価値はある。1パーセントくらいだけど。それともその1パーセントも諦める?」
じっとサロメをリヴィは見つめる。
「じゃあ話してみる」
サロメはニッコリ笑う。オデットはサロメに心配そうに話しかけた。
「いいの? サロメ」
「ただの交渉だしね。あ、でもねリヴィ。この交渉が成功しなかったらもう諦めなさい」
リヴィはこくこくと頷いた。
「さて、あの3人はまだ飲んでるでしょう。昼過ぎまで飲んでるわ。その後、2人が家に来て飲み直して、次の日二日酔いまでがお決まりのコース。だから夕方に私の家に行きましょう」
「え? なんで夕方?」
「そのくらいならまだ話せるし、判断力が鈍っていい感じだからよ。それまで色んなお話しましょ! で、リヴィ、どうしてうちの子と別れたの?」
リヴィは先月の悲しい出来事を思い出して、なんとも言えない複雑な気持ちになった。




