55.お説教
***
「まだ寝ているのか……」
レオナールは船長室へと入り、いびきをかいて机に突っ伏し、寝ているヴァルを見てあきれるように言った。
机の上には空になったワインボトルと、三分の一程赤い液体がまだ入っているグラス、そして、布が巻かれた短剣が置いてある。
(……あいつの? 何でこんな所に)
怪訝そうな顔で机に近付く。
初めて近くで見た。
今まで態とリヴィオの事を見ていない。見れば「気になる?」などとふざけた事を、ヴァルとルネが言うのが明白だったからだ。
(……大きさは、風の剣くらいか?)
手に取ろうと腕を伸ばした時、横から腕が伸び風の剣を抑えた。
「起きたのか」
ヴァルは風の剣を抑えていない左手で、目を擦りながら「ああ」と答えた。欠伸をしながら、風の剣を引き寄せる。
「何故そんな物がここにある」
不機嫌そうに言う。
「預かった。それだけだ」
「あいつのを?」
「別にいいじゃねぇか。リヴィはライアンの元同級生なんだ。ちょっとは贔屓する」
ヴァルは風の剣を持って、立ち上がり背伸びをした。そして、船長室の扉へと歩く。
「何処へ行く」
「これ返しに」
ヴァルは船長室から出ていった。
(わざわざ返しに? 来させればいいだろう)
そう考えながら椅子に座り、ふと先程の事を思い出し、顎を触りながら考える。
(ベールを取っているのを初めて見たな。似てた……ような気がする。いや、似ていた。俯いてよく見えなかったが……)
だが声を出され、違うと判断した。
(見間違う? 俺が? リヴィと他の奴を?)
考え始め数秒後、ヴァルが部屋に入ってきた。
「……早いな」
「ライアンがいたから頼んだ」
ヴァルは飲んだグラスとワインボトルを片付ける。
「そういや、最近ボトルの減りがはえーよ。少し自粛しろって」
ヴァルがそう言うと、レオナールは怪訝そうな顔で少し考えた後「何の話だ」と答えた。
「とぼけんなって。リヴィの事で悩んでんのも分かるけどよ……もう良いだろ。リヴィはリヴィでオデットの菓子屋できっと楽しくやってるからもう気に――」
「一体何の――」
「分かった分かった。百歩譲って気にしてねぇって事にすっけどよ。でもな、飲み過ぎなんだって。いつもみてぇに程々にしろよ。体調崩したらリヴィが心配するぞ。そんで、俺は『何で止めなかったんだ』って父上にドヤされる。ルネに至っては殺されるぞ」
「だから、何の話だ。何も変わっていない」
「……ソーデスカー」
溜息混じりにヴァルがそう言うと、レオナールは顔をしかめた。
***
「おかえりライアン。久しぶりに親戚に会えて良かったろー。こっちはこっちで楽しくってな。『新人かわい子ちゃん選手権』なんてお前に見せてやりたかったよ。リヴィに金貨1枚の値がついたんだぞ。男って知っててもな」
リヴィが逃げる様にしてその場を離れた後、ライアンとセルジュの間には火花が飛び散っていた。
「『新人かわい子ちゃん選手権』? 何ですかそれは」
「あー、後で教えてやるよ。そんでその後は、酒飲んで、リヴィは俺の腕枕で寝た」
「腕枕!?」
「起きた後は上で話し込んでた。2人っきりでな」
セルジュはニヤリと笑った。ライアンをからかっているのだろう。ライアンは「へぇー、そうですか」と怒りを含む声で言った。
「あとそこでキスした」
「……知ってます。でも、あれは事故です」
「あー、そーだな。けど悪いな、お前の恋人なのに」
ライアンは口の端をピクリと動かし、大きく息を吸って吐いた。
「悪いと思ってるなら、人の恋人にちょっかいかけないで下さい」
「からかうのが楽しくってな。上じゃー俺がキスしよーとしたら、必死に嫌がってて可愛かったぞ」
「…………はぁ!?」
「安心しろ。さっき言ったようにからかってる。それにお前と違って俺は男に興味はねー……多分だけどな」
「『多分』?」
セルジュは考えるようにして、自身の唇に触れた。
「いや……冗談だ、気にすんな。そんな事より、早く行ってやれば? あの服1人じゃ脱げねーから。後ろが編み上げだから、着せる時は俺が着せてやった」
「……冗談ですよね」
「いーや? 本当だ。『手伝って』って言われたからな。そーいやあいつ、体にサラシ巻いてるの知ってるか?」
ライアンはギリギリと奥歯を噛み締めた。
「脱がすのも俺がやっていーなら、やるけど?」
「冗談も程々に――」
「ライアン」
父親の声がし振り返ると、手に風の剣を持ち立っていた。そして、それを渡し「届けてこい」と言う。
ライアンはセルジュに背を向けて、医務室へと向かった。
(手伝って……? 手伝って!? 何でセルジュさんなんかに頼むんだよ!! しかも腕枕で寝た!? 俺はまだしてないのに!!)
セルジュにも苛々するがリヴィにも苛々する。
医務室の扉の前で立ち止まり、息を吐いた。
扉を開け、リヴィがベッドへと座っているのが目に入った。一瞬こちらを見たあと、直ぐに俯いてしまった。
(あ……落ち込んでる……)
少し安心してしまった自分が居た。
落ち込んでいるのは、セルジュとキスしたのが嫌だったからだろう。ここに、何とも思っていないあっけらかんとしたリヴィが居たら、きっと怒りが増していた。
この姿を見て、少しだけ冷静さを取り戻した。
「リヴィ」
なるべく優しく声を掛けた。落ち込んでいる彼女を、あまり追い詰める事はしない。寄り添い、落ち着いた所で怒る――いや、注意するのが良いだろう。
名前を呼びかけると、再び一瞬こちらを見て直ぐに視線を外してしまった。
「さっきは、冷たくしちゃってごめんね。ただいま」
「…………おかえり」
蚊の鳴くような声でリヴィは言う。
「怒ってるよね。兄さんとキスしちゃった事……」
「……あれは、事故だから。キスじゃない」
腸は煮えくり返り、嫌で嫌で仕方が無いが、そう言い聞かせた。
「じゃあ怒ってない?」
「いや。怒ってはいるよ」
リヴィはがっくりと肩を落とした。
「リヴィ、こっち向いて。聞きたい事があるんだ」
リヴィは少し間を置いてから「うん」と答え、ライアンを見た。
「何でこれ着る時、セルジュさんに手伝って貰ったの?」
「……え?」
「さっき色々聞いたんだ。腕枕で寝たのもね」
「ち、ちがっ――」
「説明してよ。俺ね、結構怒ってるんだよ。頑張って抑えてるけど。シュラウドも、何であんな降り方するの」
再び目線を逸らして、俯いてしまった。髪でよく表情が見えない。そんな彼女の髪の毛に左手で触り、耳にかけた。
「そのッ……私が、1回縄を踏み外したから、ああやって降りたの。着替えは、間違ったの。ルネおじ様と。カーテン閉めてて分からなくって、でも扉が開いた音がしたからルネおじ様だと思って『手伝って』って言ってカーテンを開けたら兄さんだったの。かと言って1人では着れないから、助けてもらった」
「うん」
「腕枕は、分からなかったの。起きたらされてたの」
ライアンはギリッと歯を噛んだ。
(何が『腕枕で寝た』だ。自分が勝手にしたんじゃないか!!)
「部屋でどうして寝なかったの?」
「星見てたら……寝ちゃった」
(可愛ッ……いや、いやいや駄目だ! まだ駄目だ。ちゃんと言わないと)
「そう。でもね、俺はちゃんと部屋で寝て欲しかったよ」
「寝ようとしたんだよ。でも、夜空が綺麗だったからそのまま……」
「リヴィ……あのね。もっと注意して。『自分は今男だから大丈夫』って思ってるでしょ。それは駄目。セルジュさんは、リヴィを困らす事が好きなの分かってるでしょ?」
「うん……」
「もっとちゃんと自分を守って。俺がいる時はまだいいけど、いないなら自衛して。それと、見張り台とか狭い場所で話してるのだって、直ぐに助けに行けない様な場所なら気を付けて。特に2人だけなら」
「でも、それはただお喋りしただけだよ。男同士」
「キスされそうになっといて、よくそんな事言えるね」
リヴィは「あっ」と声を出して、気まずそうに視線を外した。ライアンは軽く溜息を吐いて、リヴィを抱き寄せた。
「セルジュさんが、嬉しそうに話したからね。もう本当に許せない。からかってるんだかなんだか知らないけど……」
息を鼻で吸い、眉をひそめる。
「ベルガモット……」
リヴィはライアンの腕の中で見上げ、キョトンとした顔をした。
彼女は今、香水を振っていない。
なのにベルガモットの匂いがするは、セルジュのつけている香水の匂いが、リヴィへと移ったからだ。どれだけ長い時間、あの男に腕枕をされ、引っ付いていたのか。
ライアンはリヴィの唇に人差し指と中指で触れた。事故とはいえ、この唇に他の男の唇が触れた事は許せない。
「キスしないの?」
可愛らしく首を傾げ、リヴィは問いかけた。まさかそんな事を言われるとは思わず、ライアンは目を見開いた。
「……え?」
「私、兄さんとキスしたままだよ? 上書きしなくていいの?」
潤んだ瞳でこちらを上目遣いで見てくる。
ライアンは、リヴィの瞳に吸い込まれる様に顔を近付ける。
――が、ギリギリでそれは踏みとどまった。
(正直したい。でも――)
「したら『騎士にはしない』って言うんだろ?」
ライアンがそう言うと、リヴィは目を見開き「何で分かったの!?」と驚きの声を出した。
「分かるよ、そりゃあ」
「だって、だって、ライアン嫌じゃないの? 私兄さんに――」
「死ぬ程嫌だよ」
「じゃあ――」
「でも、リヴィの騎士になれない方が嫌なんだよ。それに、口洗ったんだろ。なら――」
「あ……」
「何」
「まだ、洗ってない」
ライアンはそのひと言を聞き、時が止まった。
数秒後、時が動き出したライアンは、リヴィの荷物入れを取り中を漁った。
「ちょっと! 勝手に何するの!!」
荷物入れから、探していたオリーブ油の石鹸を手に取る。
「何してるの?」
ライアンは何も言わずに、医務室にある綺麗な白い布を1枚取り、ポットから水を出して漬けた。布を固く絞り、石鹸を擦り付ける。
「うん、これで良し」
ライアンはその布をリヴィの唇に擦り付けた。
「んーッ! 痛ッ!」
「我慢して」
「嫌! 止めッ」
「我慢して」
仰け反って抵抗するリヴィの頭を抑え、布を擦り付けた。
「自分で、やるから!」
「駄目、俺がやる」
ある程度擦り、やっと満足して終わった。だが、リヴィは不満そうに見て「ちょっと痛かったよ」と言いながら、唇をさすった。
「洗わないのが悪い」
ピシャリとそう言われ、リヴィは不貞腐れている。
「キスはじゃあしてくれないの?」
「しない。したいけど、我慢する。だから、手紙を出した後は覚悟して」
「え?」
「『ライアンを騎士にする』って手紙。ミーズガルズに帰ったら出さなきゃだろ。出したら……」
ライアンはリヴィを見て微笑み、人差し指でリヴィの唇に触れる。
「いっぱいキスする。嫌って言っても止めないよ。だから……覚悟してね」
笑うライアンを見て、リヴィは『騎士の条件』を後悔した。




