51.届かぬ想い
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港から程近い場所に、左右非対称の木造建築の邸宅が建っている。元々その邸宅は、戦前はギヌヘイム人の領主が住んでいた。
だが戦後、領主は追い出され、今はブノワとその家族、使用人が住んでいる。
今その邸宅の書斎では、レオナールとライアン、そしてブノワが革張りのソファに座って話していた。ルネはソニアの診察の為、彼女の寝室へと案内されている。
こういった席で、護衛がレオナールの隣に座る事は有り得ないのだが、身内ということもあり座らされた。
「いやしかしライアン。見た時は大きくなり過ぎて誰か分からなかったぞ」
ブノワはそう言いながら、従僕が持って来た珈琲を手にした。
「叔父さんも……分かりませんでした」
そう言われたライアンもまた、ブノワを見ても誰か分からなかった。
前に見た時よりも太っていたからだ。彼の多少肥満気味だった体形は、帝国へと来てから更に拍車がかかっている。
サロメと双子であるブノワは、顔は似ているが、ずんぐりむっくりとした体形のせいで、あまり似ていないように見えた。
「賛否両論はあるが、ここの食事が合っていてね。どんどん、ぽっちゃりになってしまう」
「食べ過ぎだ。痩せろ。ぽっちゃりなんて言葉で誤魔化すな。俺は多少痩せると思って、ここの管理を命じたんだぞ」
「そうだったのですか? 私は『ギヌヘイムの食事は美味しいから行ってこい』かと」
冗談交じりにブノワがそう言うと、レオナールとライアンは軽く笑った。
「さて、では仕事の話を――」
『きゃああああああああああ』
ブノワが話し始めた時、扉の外から大声で叫ぶ声が聞こえた。その声はだんだんと近付いて来る。何事かと3人が扉の方を見ると、勢いよく扉が開いた。
「お父様!!!! ルネ様が何で――……え?」
入ってきたのは、寝間着姿に髪の毛が乱れたリヴィと同じ歳程のぽっちゃりした少女だった。
「ソニア! 仕事中だ!」
「だ、だ、だって!! 気付いたら、ルネ様が私の寝室にいたわ! どうして!?」
「お前の具合が悪いからだ」
「お昼にお医者様に診てもらったわ!」
「念の為だ。ここの医者よりルネの方が信用できる」
「でも、でも、でも、でもぉ!!」
涙目で父ブノワに訴える。そして後ろから、ルネが現れた。
「これだけ元気があれば大丈夫ですね。診療録を見ましたが、診断は間違ってないと思いますよ」
ルネは苦笑いをする。
「分かってますわ。自分が……1番……」
がっくりと肩を落とし、どんよりとした空気を纏って俯いた。そんな彼女にライアンは歩み寄った。
「ソニア、久しぶり」
ソニアは誰だろうかとじっと見つめ「ライアン!?」と大声を上げた。
「よく分かったなソニア。彼はヴァルの代わりに来ている。それから、レオナール様にご挨拶なさい」
「あ……」
急いで髪を手ぐしで整えた。
寝間着のスカートの両端を持ち、右足を後ろに引いた。そして、左足の膝を軽く曲げ「ご無沙汰しております、レオナール様」と先程の慌てた声とは全く違う落ち着いた声で挨拶をした。
「久しいな。具合が悪いと聞いていたが、問題ないようだな」
「はい……ご心配をおかけしました」
「ならライアン。ソニアと話してくるといい。仕事の話は退屈だろう。ルネ、ライアンと交代だ」
ライアンはソニアと部屋を出る。ルネが中へと入り、珈琲を手に取ってソファへと座った。
「ソニアは何故具合が悪かったんだ?」
「ただの食べ過ぎです。食べ過ぎて、気持ち悪くなって嘔吐したのでしょう。寝込んでいたのは、そんな自分が恥ずかしかったからです」
「ははっ。ブノワはそんな事でルネを呼んだのか。過保護だな」
ルネとブノワは「貴方程ではない」と言う言葉と共に珈琲を飲み込んだ。
「それで」
レオナールがブノワに話をするよう促すと、ブノワは口の端を少し上げた。
「最近、白百合号を探している輩がいるようでして。調べましたら海賊の一味でした。出港したら遭うかもしれません。何時もと同じ人数で用意出来ますが、捕虜を捕まえた時を考えて少し減らしますか?」
『海賊』と聞いてルネは、リヴィの事を考え眉をひそめた。
「そうだな。減らした奴らは、他の船に詰めておけ。あとは、男の死刑囚が2人欲しい。海賊に遭えればいいが、遭えなかった時用にな。いつもの餌にする。2人の内1人は見た目が良い奴にしろ。人魚が好みそうな奴をな」
「直ぐに用意します」
「護衛艦は付けるなよ。来るもんも来なくなる。それと、今回は日が昇る前に出るからな」
「かしこまりました」
「あ、私も死刑囚欲しいんですけど」
「この前、捕まえた海賊をやったろう」
「それ結構前ですし、男ではなく女性が欲しいんです」
「女はレーヌが欲しがってる。そっちが優先だ」
「なら死刑囚じゃなくていいです。多分……多分殺さないですから」
「尚更駄目だ。お前が好きにしていいのは死刑囚か海賊だけだ。お前の実験は軽罪人では刑が重すぎるからな」
ルネは仏頂面で珈琲を飲んだ。
「それと、フルーブ侯爵からまた手紙が届きましてね」
「エルキュールから? 喪中は静かになると思ったんだがな……」
「読まれますか?」
ブノワは胸の内ポケットから1通の手紙を出し、レオナールへと渡した。
封蝋には、フルーブ家の紋章であるタツノオトシゴと弓の紋章が押されていた。中から便箋を取り出し、声には出さずに読んだ。
【ブノワ・ヴァン・カルム殿】
【重ねて申します。ラファル侯爵の命令である事は、重々承知しています。ですが、ギヌヘイム人の人身売買、罪人をミーズガルズ王国へ輸送することをお止め下さい。あなた方のやっている事は命の冒涜です。医療、薬物実験、軍の演習に使うなど、非人道的であり、言語道断。あなた方の目がさめますように】
【水の弓矢管理者 エルキュール・オー・フルーブ】
レオナールは、丁寧な字で書かれたそれを読み終えニヤリと笑い、目の前のローテーブルへと投げ置いた。
「笑える」
*****
応接室――。
「久しぶりだわライアン。身長伸びたわね」
ソニアは侍女が持ってきたナイトガウンを羽織った。そして直ぐに、侍女は下がった。
「うん、よく言われる」
ライアンがソファに座ると彼女もソファに座り、サイドテーブルの上にあった、クッキーポットの中に入っていたお菓子を頬張った。
「ライアンも食べる?」
「いや、もう夕飯だろ」
「そうよ?」
何が問題なのだろうか、そんな顔をしてライアンをみた。
ブノワがギヌヘイム帝国に来て太ったように、ソニアのぽっちゃり体形は、よりぽっちゃりとしたマシュマロ体形になっていた。
「また吐いてルネさん呼ばれるよ」
ソニアは動きを止め、手に持っていたクッキーをそっとポットへと仕舞う。
「そうね……はぁ、こんな姿をルネ様に……」
彼女は落ち込み頭を抱えた。
「こう言ってしまっては何だけど、ルネさんはソニアのそんな姿見ても何とも思わ――」
「知ってるわ!! 私の事、なーんとも思ってないのわ! 愛妻家なのも知ってるわ! でも嫌じゃない? 憧れの人にこんな姿見られるなんて……ライアンだって、リヴィに自分の情けない姿見られたら嫌でしょ」
「……え? 何、何を、何でリヴィ?」
「何とぼけてんの? ずっとリヴィの事好きだったでしょ。彼女が憧れ……ううん。初恋の人じゃないの?」
「う……ん……え? 何で――」
「みんな知ってたわ。言わないだけで。大人は、特に男性陣は知らないだろうけど」
そんなに自分の行動はバレバレだったのか、と急に恥ずかしくなった。
ラファル邸での集まりは、大人達が遊んでいる間、子供達は子供達で遊んでいた。全員で遊ぶ時もあれば、それぞれ気の合う子達で別行動する事も多い。
「ずっと、リヴィの傍にいたわよね。リヴィが泣いたり困ってたら直ぐに助けに行ってたわよね……騎士気分?」
「別にそんな――」
「あーあーいいって、そんな恥ずかしがらなくっても。リヴィはさ、昔っからモテてたし。オデット様に似て可愛いし、体形もいいし。それに比べて私は……」
部屋中に聴こえる大きな溜息を吐いた。そして再びクッキーポットに手を伸ばそうとし、ハッとしてやめた。
「リヴィは運動してるからあの体形なんだよ。それに、ソニアにはソニアの良い所あるし、可愛いよ」
「……ほんとライアンは昔から優しいわよね。お気遣いありがとうだわ。そんな優しいライアンを応援してるわ。けどさぁ、初恋ってのはさぁ、実らないわけよね。お互いご愁傷さまだわ」
「ん? 何で?」
「『何で?』って、ライアンはカルム家継ぐでしょ。リヴィは加護者だし跡取りの事もあるし、だからお嫁には行けないし。私は私で……うん、いろいろあるの」
「あ、でもその俺は、今……」
「え、なに?」
跡取りの問題は無い事や、レオナールにはまだ言っていない事も含め、今リヴィと付き合っている事をライアンは話した。
「へぇ、なんだ! そっか……おめでとう!!」
「そう言えば、リヴィはソニアに会いたがってたよ」
「あー……そうなんだ。でも今はちょっと会いたくないかな。ほら、私とても太ったでしょ。顔も体形も良いリヴィに嫉妬しちゃう。それに今までも、ずっと心の底じゃ羨ましいって思ってた。だから、今会うとそれが爆発しそう」
「そうだったの? そんな風には見えなかったけど」
「私はどっかの誰かさんと違って演技が上手いんだわ」
ふふん、と自慢げに話すと、再びクッキーを手に取った。
「そっか」
「そうよ。ダイエットに成功したら会いたいって言っておいて! でもそっか……私の初恋が実らないだけなのだわね」
「まぁ、相手が悪かったとしか言いようがないけど」
ライアンがそう話している間、ソニアはずっとクッキーポットからクッキーを取り出していた。手には5枚のクッキーを持っている。
「……そうよね。うん、分かってるわ。でもね、ライアン。それなら早く婚約発表した方がいいと思うわ。さっきも言ったけど、リヴィモテる子だし。まぁ、獅子の加護があるから、変にリヴィに手を出す人はいないと思うけど」
「……う……ん」
「何その返事」
「いや、獅子の加護が無かったら、どうなっちゃうのかなって」
「何それ。レオナール様が死んだらって事? あの方は3日間首を絞め上げられても、死なないと思うわ」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
今のリヴィの状況は、レオナールの加護が無い状態だ。だが、この事を上手く説明できす口篭った。
「よく分かんないんだけど、ライアンが傍で見てられるなら、ライアンが頑張って見張ってればいいんじゃない?」
「……やっぱそうだよね」
「それが無理ならリヴィが自衛するって感じかな。でもリヴィって、ちょっと隙があるから。それに本人気付いてないからね。隙ありーってされたら難しいんじゃない?」
「……そうだね」
ライアンがソファに寄り掛かり肩を落とす。ソニアは眉をひそめ、クッキーを口いっぱいに頬張った。
すると、応接室の扉が開いて侍女が入ってきた。
「ソニア様。もし、元気があるなら夕食を共にするようにと、旦那様が」
「ひーわよ。ひっひょにたべぇる」
「では支度を致します。その格好ではいけませんので、着替えましょう」
ソニアは「ふぁーい」と返事をした後、口いっぱいに頬張ったクッキーを飲み込んだ。
「じゃあまたね、ライアン」
「うん、またね」
ソニアは応接室から出て行った。
「自衛……」
ライアンは頭を抱える。ソニアに言われた事が頭をぐるぐると巡った。
自分が傍にいる時はまだ良い。だが今はそうでは無い。セルジュがリヴィに何かしないか、と心配で仕方が無かった。
(セルジュさんは、無意識でリヴィを女だって認識してる気がする……)
リヴィには、セルジュに気を付けるように言ったが、「私はリヴィオだから大丈夫だよ。心配し過ぎ」とあまり話を聞いてくれなかった。
下唇を噛み、リヴィの安全を祈った。
***
「ソニア様。コルセットは着用されますか?」
ソニアの侍女は、ソニアの夕食用の服を準備しながら問いかけた。
「ううん。今晩はいっぱい食べるわ」
「ダイエットを決意されてからずっと同じ事を仰っております」
「わかっているわ。でも今日は、憧れのルネ様には情けない姿を見られ、ずっと好きだった初恋の人は、親友とお付き合いしていたの。だから、いっぱい食べたいの……」
ふぅ、と一息吐いて肩を落とすソニアの肩を、侍女は擦る。
「私は大丈夫だわ! 悲しい事だけじゃないの。親友が幸せだって知った日でもあるんだもの。それに、これでなんの未練も無く、婚約の話を進められるわ」
「ソニア様……」
「楽しみだわ! どんな人かしら。こんな私でも良いと言ってくれる人だから、良い人に違いないわ! ……そうよね?」
ソニアは侍女の手を握り締め、嬉しそうな声を出しながら静かに涙を流した。




