4.3人のおじさま
リヴィが家を出る少し前――。
応接室にはヴァルとルネが招かれ、ソファに座り話していた。
2人は入って手前のソファに。レオナールは奥の長ソファへと仏頂面で脚を組んで座った。
「レオ、元気出せって。もうこれでウジウジしなくて済むじゃねぇか」
「ウジウジなんかした覚えがない。ちょっと、悩んでいただけだ」
「ちょっと? 帰港1日遅らせといて? よく言うよ」
「だいたい、散々乗せるって言っといて結局無理って言うのはどうなんです? 可哀想ですよ」
ヴァルもルネも、面白かったのはあるが、レオナールに対して半ば呆れていた。
「これでいいんだ。海賊は増えているだろう」
「でもリヴィ強いだろ。この間、剣の手合わせ見せて貰ったけど、レオの事何回もおしてたじゃねぇか」
「リヴィのはどこで覚えたか知らん体術を使うから、動きが読みにくいんだ。風の剣使っていなくても、動きが早いしな」
レオナールは3年間剣の稽古をした後は船に戻ったが、数ヶ月に1回の帰港の際に腕前の成長を見ていた。
おかしいと思ったのは少し経った後だった。
教えていない回し蹴り、前転宙返り、バク転、バク転宙返り等――色々な技を組み合わせるようになったのだ。手合わせで、バク転宙返りをしながら顎を蹴られたこともある。
「体術は少し教えたんだろ? 自分で上手いこと考えてんじゃねぇの。努力したんだろうよ」
「努力するのはいい事だ。だが――」
「乗せないのに、何で『稽古やったら乗せる』なんて言ったんだよ」
「――剣は、命を護るのに大事だし、風の剣を使いこなすには必要だ。それで、つい……」
レオナールはふとリヴィが先程まで座っていたソファをみる。そこには1冊の本が裏を返され置いてあることに気付いた。
リヴィの本だと気付き手に取ったが、表紙を見ると不快な表情を浮かべた。
「どうしました?」
「リヴィが読んでいた本だ。忘れている」
レオナールは本の表紙が見えないよう、膝の上に裏に返して置いた。
「死ぬ程読まされた。タイトルも見たくない」
「リヴィはそうじゃねぇみてぇだな」
「俺みたいに義務で読まされていないしな。好きな時に好きな本を読んでいる。おかげでこの本も嫌いではないし、本は好きみたいだ。本ばかり読んであまり出掛けていない」
レオナールがいる日に出かけないせいで、彼の中では、リヴィは本の虫で出不精という印象になってしまった。
「それは1人で出掛けてぇんだろ。やめてやれよ」
「何があるか分からんだろ。腕を掴まれたんだぞ」
「でもそれは、制裁加えたじゃないですか」
「そうだが、また馬鹿な奴が現れるかもしれん」
「この領地でそんな事、もう有り得ないですって」
「この件はもう問題ない。リヴィは文句を言っていないんだ。お前らも聞き分けの良さを見習え」
そしてノックと共に執事と従僕が入ってきた。ワゴンには酒と酒肴が大量にのっている。使用人達がテーブルへと並べる。酒と酒肴を朝でも用意するのは、この3人が来た時はいつもの事だった。
帰港の初日は大量に酒を飲む。3人はこれを会議と呼んでいるが、ただ酒を飲みながら話しているだけだった。
「シュエット」
レオナールは執事を呼び、本を渡した。
「リヴィが忘れていった……ついでに飲み物を届けてやってくれ」
飲み物を届けるように言ったのは、先程ソファに座る前に、リヴィが「喉が乾いた」と言っていたのを思い出したからだ。
「では、エマに届けさせます。飲み物は何がよろしいでしょうか」
「カフェオレが好きだったよな。それでいい」
「畏まりました」
執事は部屋を出て、部屋の外にいたメイドに伝えると直ぐに戻ってきた。
「自分で渡してリヴィの事見てきたらいいじゃねぇか」
「今は俺の顔も見たくないだろうさ。――それに、あの本は嫌いだ。視界に入れていたくない。さっき喉が乾いたとも言っていたしな。ちょうどいいだろう」
テーブルいっぱいに酒肴を並べられ、執事は最初の1杯だけをグラスに注ぐと、従僕と共に部屋を出る。ワゴンにはまだ大量のお酒と酒肴が乗っていた。
執事と従僕が部屋を出るのは、適当に好きな様に飲み食いしたい3人のやり方だった。
3人はグラスを手に取り、ヴァルが口を開く。
「乾杯しようぜ」
先程愛する姪に『大ッッッ嫌い』と言われたばかりで、そんな気分など無いレオナールはグラスを見ながら「何にだ」と、苛つき吐き捨てるように言った。
「10年の嘘がバレた事に、とかどうだ?」
「それよりも先延ばしの自業自得に、とかはどうでしょう?」
レオナールは顔を引きつらせた。それを見てヴァルとルネはニヤリと笑い、軽くグラスを合わせて飲んだ。
「信じられん! なんて奴らだ! 慰めの言葉1つ言えないのか!?」
「努力を無駄にされたリヴィの気持ちを考えて下さい」
「それに比べたら、なんて事ねぇだろ?」
「そんなにか? そんなに……そんなにだな。はぁ、リヴィに『大嫌い』なんて初めて言われた」
そう言ってレオナールは項垂れ、肩を落とした。
「レオ、それは違う」
ヴァルは、急に真面目な声色になる。そんなヴァルは珍しいので、何を言うのかとレオナールはヴァルの顔を見た。
「いいか、『大嫌い』じゃない。『大ッッッ嫌い』だ。間違えるな。ここにはかなりの差がある。大嫌いよりもっと上。つまり、ものすごく嫌――痛ッ!!」
ヴァルの顔に硬い何かが当たった。1人がけのソファには殻付き胡桃が何個か落ちていた。レオナールが傍にあったのを鷲掴んで思いっきり投げつけたのだ。
「それ結構痛いぞ」
「ナイフじゃなくて良かっただろう。真面目に聞こうと思った俺が馬鹿だった」
「ひっでぇな。間違えを指摘しただけじゃねぇか」
「そんな指摘いらん!!」
レオナールはワインを飲み干し、再びグラスに注いで飲む。
そして、今度はルネが口を開いた。
「で、本当に乗せない理由は海賊なんです? 船員達にデレデレしてる所を見られたくないからじゃなく?」
「海賊だ! それにデレデレなんかしていない!」
「ハグしてきたら笑うじゃないですか。船員達に笑わないですし、優しくしないじゃないですか」
「笑えばデレデレなのか!? 笑う時は笑う。それだけだろう。人を何だと思っている!?」
ルネはグラスを持っていない右手を、大袈裟に胸にあてて芝居がかりながら――。
「ご気分を害されたならば、申し訳ありません閣下――痛ッ!! それ痛いです!!」
「だろ!? それ結構痛いんだよ」
「苛立たせるからだ! ルネ!! 次はナイフだからな!!」
レオナールは、ルネに指をさして強めに言った。ルネは、溜息を吐きながら服とソファに落ちた殻付きクルミを不満げに拾った。
「女の子だから乗せねぇのか?」
「それは関係ない」
「本当に? 船員と何かあったら嫌だからじゃねぇの?」
「――関係ない。それに、例え乗せたとしても何もさせん」
「どうだかな。船内は光源石があっても薄暗い。何があるかわかんねぇよ?」
ヴァルは意地の悪い笑みを浮かべる。
レオナールは奥歯を強く噛んだ。
「なぜありもしない事を考えさせる。本当に、本当に俺を苛立たせる事が上手いな。こんなに嬉嬉として俺を苛立たせるのはお前らぐらいだぞ。褒めてやる」
嫌味たっぷりに言い、チーズを手に取り不機嫌そうに口にいれた。
ヴァルは、大袈裟に右手を胸に当て「お褒めに預かり光栄です殿下」と、芝居がかって言った。
「顔の傷を増やされたいみたいだな」
「何だよ。『閣下』が嫌そうだったから、『殿下』にしたのに。『陛下』の方が良かったか? ――嘘嘘冗談」
レオナールがテーブルの上にあった銀のナイフを手に取ったので、ヴァルは言うのを止めた。だがナイフは置かれず握り締められたままである。
「それ置かねぇの?」
「置かない」
ヴァルとルネは顔を合わせ、レオナールに分からない様に目配せをした。そしてヴァルはもう一度レオナールを見る。
「じゃあ真面目な話するから置けよ」
そうは言われたが、先程真面目にヴァルの話を聞こうとして馬鹿みたいな事を言われた為、疑いの目を向ける。
レオナールはナイフをヴァルに向け「内容次第だ」そう言って腕を組んだ。
ヴァルは鼻で息を漏らしてワイングラスを置いた。
「乗せねぇの、何かあったらアルベールに顔向けできないって思ってるからだろ」
本当に真面目な話だった事に驚き、睨むのをやめ、図星だった事に視線を下に逸らした。
「アルの事があったから、リヴィを安心安全なとこに置きてぇのもわかる。でも、もう戦争はしてねぇだろ。海賊って理由付けてるが、あいつら白百合号見たら逃げるだろ。絡んでくるのは極小数の馬鹿だ。戦時中と違って、こっちから仕掛ける事はしなくていいんだ」
「……何の話をするかと思えば、本当に珍しく真面目な話だな。だが――」
「アルなら乗せると思いますよ」
ルネの言葉で自分の言おうとしていた言葉を飲み込んだ。
「10年前のあの時、アルが乗せるのを嫌がってたのは戦争してたからです。何よりリヴィは凄く頑張ってたじゃないですか。正直リヴィの剣はミーズガルズでも指折りの強さですよ」
「当たり前だ。誰が教えたと思っている」
「じゃあ――」
「アルは弱かった訳ではない。強かっただろう。でも……。前に比べて安全なのも分かる。だがこれでリヴィに何かあったら――アルの墓前になんて言う? オデットには? オデットは乗せてもいいと言うが、船のこと分かっていないだけだ」
「……リヴィの気持ちはいいのかよ」
「リヴィの気持ちよりも重要な事がある。ここが如何に恵まれた環境かってのがピンと来ていない。船なんてここと比べてどれだけ環境が悪いか。そんなとこで過ごすより、ここの方がいいに決まっている。何より重要なのは1番安全な所にいる事だ。自ら危険な所に行こうとしてるって事が分かっていない。好奇心で乗ろうとしている。楽しそうって思っているだろう。ならこっちが危険な物を排除……しないと……」
レオナールは、ヴァルに向けていた視線を応接室の扉へ向けた。そして、怪訝そうな顔をし、動きが止まった。
「どうした?」
「いや、誰かリヴィの名前を叫んでいたような――」
『レオナール様!!!! オリヴィア様がお1人でお出掛けになられます!!!!!!!!』
扉の向こうから聞こえた声に目を見開き、直ぐに立ち上がった。銀のナイフを置くのも忘れ、慌てて応接室の扉を開けると、リヴィが扉を開けて出ようとしている所だった。
目が合うと、リヴィはこちらを睨みつけてきたが、驚いた様な顔をして、玄関扉から出ていってしまった。
「リヴィ!!!!」
レオナールは声をあげ玄関へと走って扉を開けたが、もうそこにはリヴィの姿はなかった。
少し遠くにいる庭師が、何故か頭を抱えているだけだった。




