42.お迎え
***
(思った以上に酔ってんな……)
セルジュは白百合号を降りた後、真っ先にここへ来て酒を飲んでいる。元々酒は強い方だが、流石に飲みすぎたようだ。
事故とはいえ、セルジュはリヴィを押し倒したような体勢になった。
だがすぐに退く気になれなかった。
――先程からリヴィが可愛く見えるのだ。
半分泣きそうな顔をしながらも、肩を叩いて怒っているリヴィを可愛いと思い、じっと見つめた。
不覚にもそう思ってしまい、ハッとしたが目は離せなかった。
「距離が近い」と言おうとして、変な感じがし、「兄弟」と言った。
そして今は頭を撫でている。
(やっぱ不快感はないな)
子猫の様な可愛さがある。
『男抱いたこと無いなら、彼で試してみたら?』
急にナタリーが言った台詞が頭をよぎり、その言葉を振り払おうと頭を振った。
リヴィは不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
「兄さん?」
戸惑う様な声がする。
このまま酔った勢いで唇を重ねたら、リヴィはどんな顔をするだろうかと想像する。
(男……どーしてもそー見えねーんだよな……女を抱くって感じがする。やべーな、酔ってる。キスしたら流石に怒るか? でも……)
試してみようか、とリヴィの頬に触れた時だった。
「リヴィ!!」
*****
「……リヴィから離れてください、セルジュさん。今すぐに」
冷静な声色だった。だがその声色が、怒りを通り越した時の声だとリヴィは知っていた。
「ライアン? 何でここに?」
「いいから、早く、離れて、下さい」
セルジュはライアンを見ながらリヴィから離れ、立ち上がった。リヴィは上半身を起こした。ライアンは無表情だが怒っているのが分かる。
「それで、何でここに?」
「イーサンさんから聞きました。ここに居ると。それで、ルネさんから連れ戻すように言われています」
セルジュは目を細め「ふーん」と納得したような声を出した。ライアンはリヴィに近寄り、「大丈夫?」と聞いた。
リヴィは頷いた。
不安そうな顔をしたライアンを見て、心配させてしまった事に胸を痛めた。
ほっとしたライアンはセルジュを睨みつけた。
「なんだよ、その顔は」
「リヴィに何しようとしたんですか」
「……何って、別に何も」
「そんな訳ないじゃないですか。何で上に何も着てないんですか?」
「あー、これは――」
「ライアン!!」
リヴィは声を上げた。すると、ライアンはセルジュから視線を外し、じっとこちらを見つめた。
ライアンは自分が襲われそうになっていたと思っているのだろう。
今の自分はリヴィオである。なのでそんな事は有り得ない。冷静に考えれば分かるのだろうが、ライアンはこの現場を見て頭に血が上っている。
そう考え、自分から説明することにした。
「あのね、兄さんの服は僕がワインをかけたから洗って干してあるの。さっきの体勢は部屋を出ようとして、引き止められて、それで、ちょっと……うん。言ってて変だし、信じられないかもだけど、たまたま、ああなったの」
ライアンはリヴィから一切目を離さなかった。彼の目はリヴィが嘘を吐いているかどうか見抜こうとしている目だった。
「分かった。でも頬に触れてたのは?」
「それは……」
その答えが出なかった。何故触れたのか分からなかったからだ。
視線を外し俯いた。
「それは顔にゴミがついてたんだ」
セルジュがそう答えた。ライアンはセルジュを鋭く刺すような目で、じっと見つめた。
「そんな風には見えませんでした」
「はたから見たらな」
「キスしようとしてませんでした?」
「そんな訳ねーだろーよ」
あきれるように溜息を吐いた。
「……そうですか。僕はセルジュさんが酔った勢いならいいと思って、しようとしているのだと思いました」
セルジュはライアンをじっと見たあと、意地悪そうに笑い「した後だったりしてー」とふざけるように言った。
ライアンはギリッと歯を食いしばり、手を開いたり閉じたりしている。
――もうこれ以上、ライアンを怒らせたくない。
「兄さん! 変な冗談止めて!!」
「冗談かどーかなんてわからねーだろ。そりゃーさっきはしてねーけど、リヴィが寝てる時にしてるかもしんねーじゃん」
リヴィは顔をひきつらせると、セルジュは吹き出して「そんな訳ねーだろーよ」と笑った。
「兄さん、本当に止めて。友達に、変な勘違いさせたくない」
リヴィがセルジュを睨みつけると、彼は口の端を上げてニヤリと笑った。ライアンは1度大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせた。
「それじゃ、リヴィ。帰――」
「待てよ」
セルジュはライアンをじっと見据えた。
「リヴィは疲れてる。店でぶっ倒れてさっきまで寝てたんだ。だからここに置いてけ」
「そうさせたのは、セルジュさんのせいでは? リヴィは今日疲れていたんです。なのに無理矢理連れてきて余計に疲れさせた。違いますか?」
「それは悪かった。けどよ、リヴィはここで寝かせんのがいーだろ。船に着くまで持たねーかもしんねーし。ルネさんにそー言えよ」
「ご心配なく。その時は背負って行きます」
セルジュはそこまでして連れて帰ろうとする理由が分からず、眉をひそめた。
「立てる?」
ライアンはリヴィに手を差し伸べると、リヴィはその手を掴んだ。
「うん、ありがとう」
そしてリヴィは立ち上がりセルジュに向き合う。
「兄さん。ここに運んでくれた事はお礼を言うね。おやすみ」
ライアンはリヴィがセルジュに対して敬語を使っていない事に気付いた。2人の距離が近くなった様なやり取りに、不快感をもつ。
「ああ、おやすみ。可愛い弟。下であった事は許せ」
リヴィは苦笑いをして「努力する」と言い、ライアンに手を繋がれたまま部屋を出た。
「……友達? そうは見えない」
閉まった扉に向かって、セルジュはそう呟いた。
***
2人は店を出た。
出て直ぐにリヴィは足元がふらつき、ライアンの方へ倒れそうになった。
「ごめん」
(やっぱり、疲れたな……)
すると、ライアンはリヴィの目の前で後ろ向きにしゃがんだ。
「背負うから、乗って」
リヴィは驚き「そんな事しなくても」と言ったが、彼が立ち上がる様子は無かった。
「乗って。じゃないと、俺は1歩も動かないよ」
そう言われ仕方なくライアンの首に腕を回した。彼は立ち上がり、リヴィを背負った。
「重くない?」
「重くないよ」
そのまま道を歩く。
周りから見られ、何となく気恥しいものがあるのだが、ライアンはあまり気にしていないようだった。
「ライアン。あのね――」
「ごめん」
何故かライアンから謝られた。
理由が分からず困惑し、黙った。
「リヴィがさ、部屋に来た時すぐ扉開けなくて。開けてたら、セルジュさんに連れて行かれなかったのに」
それは別に仕方が無いのでは、と思う。自分と話そうかどうしようか考えたい時間もあっただろう。
「気にしてないよ。誰もあんな事になるなんて思わないでしょ。私が1番びっくりしたんだもの」
「そうだけど、でも――」
「そもそも私が、ライアンを怒らせる事をしなければ、よかったんだから」
ライアンは黙り、そして「やっぱ俺のせいだ」と呟いた。「どうして?」と聞いたがその答えには、返答がなかった。
――無言の時間が続く。
(ねむ……)
だんだんリヴィは眠くなってきた。ライアンの背中は大きく、暖かく、心地よかった。
うとうとしてしまう。
幼い時もよくこうやって背負ってくれたのを思い出した。長期休暇にはよく遊んでいたし、何かと傍に居てくれた。
「――ねぇ、聞きたいんだけど」
「ん? なぁに」
目を閉じ、夢へ半分入りかけた時、急に話しかけられた。
「あのお店で、セルジュさんと何したの」
「……お店で?」
「『下であった事』って何」
「ああ……あれね……」
リヴィは欠伸をし、目を擦った。眠い頭で、あったことを話す。
「お店の個室に入った……変な甘い匂い嗅がされた……さいいん効果ってのがあるんだって。『さいいん』って初めて聞いたの。気持ち良くなるんだって……それでね……その部屋で、えぇっと……抱きしめられて耳噛まれて舐められた。あと背中くすぐられた。くすぐったいから止めてって、嫌って、言ったんだけど止めてくれなくて……嫌がるのが面白かったのかな……だからワインかけた。それで、兄さんは……上に、何も着てない……の……」
ライアンは声を出せず、顔をひきつらせた。
セルジュがリヴィを抱きしめ、耳を噛み、舐めながら、背中をくすぐる様子を想像する。
そんな事自分もリヴィにした事が無い。
なんなら、したい。
「お願い、止めて」と言われたい。薄らと涙を浮かべて言われたらと想像する。
絶対に可愛い。
リヴィには笑っていて欲しいが、自身のちょっとした嗜虐的な性癖が出て、たまに虐めたくなる。
だが、まだその希望は叶っていない。至る所でその希望を叶えたい訳ではなく、出来れば寝室で叶えたい。
それと同時にセルジュに殺意が芽生えた。歯をギリギリと食いしばり、その気持ちを押し殺した。
すると、後ろからすぅすぅと寝息が聞こえ、リヴィが寝たのだと気付く。
「おやすみ」
寝ているリヴィにそう言い、白百合号へと帰った。




