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3.風の剣 シルフィード

 リヴィは早歩きで自室へ戻った。

 閉めた扉に背を預け一息つくも、苛立ちは収まりそうにない。


 夢叶う日になる予定だった。

 だが現実は最悪な日になってしまった。


 右の掌を広げ、親指で硬くなった部分を触る。何度豆が潰れ痛い思いをした事か。やりたくないと何度泣いた事か。


 それなのに――。


 こんこんと怒りが湧き上がる。眉間に皺を寄せ、掌を握りしめ歯を食いしばる。


「あぁー!! もおぉぉぉぉ!!!! 馬鹿ぁぁぁぁ!!!!」


 漏れでる心中はとてもこの屋敷で過ごす女の子とは思えない言葉だった。

 リヴィは今でこそ高貴な生活を送ってはいるが、そもそもはこんな生活は送っていない。ついこの間まで通っていた学校は、平民が通う学校である。


 それは父アルベールのせいだった。


 レオナールもアルベールも、若かりし頃は王都の寄宿学校へ通っていた。

 なんでもこなす兄レオナールに対して、弟アルベールは勉学もそこそこに自分の好きな事だけをやっており、優秀とはほど遠かった。


 そしてレオナール15の時。

 周りはレオナールが風の剣(シルフィード)の加護者になるのでは、と期待していたが石に反応はなかった。これは、周囲を大いに落胆させることになる。


 2年後、アルベール15の時。

 全く期待されていなかったアルベールが石に触れると、石は輝き加護者となる。


 そしてアルベールは輪をかけて自由奔放になった。


 そんなアルベールが、ある日、平民の生活に憧れを持ち、屋敷を出て生活を街へと移す。 

 そしてオデットと結婚し、リヴィが産まれそのまま生活し、学校は平民学校に通わせた結果、中途半端にお嬢様になったリヴィが育つのである。言葉使いはちぐはぐになり、学校では汚い言葉も学んでしまっていた。


 だがその汚い言葉を表には出さなかった。

 一度声に出した時、母オデットに懇切丁寧、精魂込めて、それはまあ物の見事に叱責されたからだ。なので表には出さないが、心中では悪態をつきまくってることも多かった。


 ベッドにうつ伏せになり、枕に顔を埋める。そしてありとあらゆる罵詈雑言を吐き出して叫びだした。

 叫び続けて数分。ある程度吐き出し、言うことがなくなると顔を上げて深呼吸をする。

 

「護身術……?」


 何の為に頑張って来たのだろうか。


「ああ! ムカつく!!」


 これぐらいならいいか、という言葉を吐いて仰向けになり手を広げた。すると朝置きっぱなしにしていた風の剣(シルフィード)に触れた。

 それを掴んでじっと見つめた。

 

 1000年程前に書かれたとされる本に記されているという事は、それより前に作られたと思われるのだが、それをまるで感じさせない程に装飾も刃も美しかった。

 リヴィ自身はなんの手入れもしていない。それでもやはり美しかった。


 風の剣(シルフィード)を胸のあたりで握り締め、目を瞑る。だんだんと怒りが落ち着き、悲しみで涙が出てきた。

 断られてもやはり乗りたい気持ちは変わらなかった。ずっと父が使っていた剣を見て、更に泣きそうになった。大好きな父だったが幼かったこともあり、その記憶はもう薄い。

 じっとそれを見つめているとコンコンと扉を叩く音が聞こえた。


「オリヴィア様」


 扉の外から声がする。目に浮かんだ涙を拭って外へと出ると、侍女エマが本と飲み物を持ってきていた。


「お忘れになった本と、それからカフェオレでございます」

「……カフェオレ? ……ありがとう」


 本を届けに来る理由は分かるが、カフェオレは特に頼んでいない。喉が乾いていたので「まぁいいか」と思い特に何も聞かなかった。本とカフェオレはテーブルへと置かれ、エマは外へと出る。


 リヴィは椅子に座り本をじっと見る。

 朝はこの本に書いてある風の剣(シルフィード)を使用していた父親の夢を見て、前日には第1部を読み終わった事から縁を感じて読んだ本だが、特に良い縁を運ぶことは無かった。


(私は、これから何をすれば……)


 白百合(リスブロン)号に乗ることしか考えて無かった為、それが乗れないとなるどうすればいいのか分からなかった。

 渡ろうと思っていた虹色の橋は壊されてしまった。

 本を読む気になれず、カフェオレを1口含んだ。そしてそれを口に含んだ事で怒りで忘れていた、母の朝食お茶会の事を思い出した。


 リヴィは母の所へと行くことにした。何もする事が無いからだ。あまり飲まずに残すのも悪いかと、カフェオレを半分まで一気に飲んでテーブルに置き、クローゼットを開く。


 その中から裾を絞った膝丈のハーフパンツを取り出し、スカートの下に履く。これはこれから予想される事の為だった。次に膝まであるフードが付いた深緑色のケープと剣帯を、1度取り出してベッドまで行く。


 そしてベッドの上にあった風の剣(シルフィード)を剣帯に付け、腰の後ろにくるように身につけた。腰の後ろで柄が右手側にくるように付けるのは、父親の見よう見まねから始まった付け方だ。

 レオナールに左腰につけろと言われやってはみたが、しっくりこず、結局腰の後ろに付けている。


 最後にケープを羽織った。

 これによりワンピースに短剣という奇妙な格好も隠される。


 そしてそのまま部屋を出ようと扉を開けた。


「お出かけですか?」


 扉を開けると、エマが声をかけた。


「……はい」

「では、お供します」


 レオナールがいる日にあまり出かけない理由は、これだった。


 リヴィは出かける時、買い物以外は侍女を伴わずに出かける時も多かった。1人で外出し、浜辺に座り考え事をした――街をただ歩くのが好きだった。

 レオナールは1人外出にあまりいい顔はしなかったが、領地内ならばと了承していた。


 だが約5年前。街で腕を掴まれなかなか離して貰えず、通りすがりの人に助けて貰った。

 それ以降、領地内であっても1人で外出する事を禁止にした。


 1人外出が好きだったリヴィは、それが原因で一時引きこもりになってしまう。これをオデットは見かねて、レオナールがいない日は、内緒で付き人を付けないよう執事シュエットにお願いした。


 これによりレオナールがいない日は1人外出ができ、いる日は1人外出が出来ないという事になった。


「一緒に来なくて大丈夫。今日は1人で出掛けたくって」

「いけません。本日は、レオナール様がいられますので」


 言われるとは思っていたが、見事に思った通りのセリフで苦笑いをする。


「エマさん……」


「なんでしょうか?」

「私、先月、悲しい事あったの」

「え? ああ、はい」

「で、今日も悲しい事がありました。もう、それはとてつもないやつね」


「……その様ですね」

「なので、今日だけは見逃して欲しいの。こうも、連続で悲しい事があると、誰とも話したくないというか……お願いします」


 リヴィは両手を合わせてお願いしてみる。


「それは分かりますが、やはりいけません。話したくないなら話しませんので」


 一瞬だけ間があり迷ったようだが、やはり許しては貰えない。


「でも、お母様のいつものお茶会に行くの。寄り道とかしないから」

「では、オデット様の所まで馬車で一緒に行きましょう」


 リヴィは俯いた。この俯きはエマにとっては了承の意味に捉えられたようで、にっこりと笑っている。


 どうしても今日は1人が良かった。


 馬車になどに乗りたくなかった。そんな退屈なものに乗ってしまえば、考える事も多く涙が出ることは必須であり、あまり見られたくない。

 1人で歩き、涙が流れるのとはまた全然違うからだ。


 ――奥の手を使うしかない。


 1人外出を交渉し、無理だった時の為に風の剣(シルフィード)を装備したのだ。


「本当に申し訳ありません。先に謝ります。伯父様はエマさんを怒るのかな……」

「え?」

「怒られるのは私だけかな。それなら良いんだけど……何度も言います。本当にごめんなさい」

「な、何の話しでしょうか?」


 リヴィは顔を上げ、じっとエマを見つめる。手をケープの中に引っ込めて後ろに回す。


「どうしても、どうしても、本当にどうしても、今日だけは1人がいいです」


 言い終わるのと同時に、ケープの下で風の剣(シルフィード)の柄を握った。


「《アエロウ》」


 リヴィは魔法を唱えた。

 その瞬間、エマの横に風が駆け抜けてロングワンピースがめくれ上がった。だが、抑えている暇など無かった。エマの顔は真っ青である。

 リヴィは、もう目の前にはいない。


「いけません!! オリヴィア様!!!!」


 リヴィは、エマの声が大きかった事に冷や冷やしていた。応接室まで聞こえたかもしれない。階段なんか使ってられない。

 2階から1階の玄関ホールへと階段を使わず飛び降りる。風を纏いながら受け身をとり、なんの問題も無く降りた。


 やはりハーフパンツを履いていて良かったと思った。誰もいなかったとはいえ下着が見えてしまうのは恥ずかしい。


 そこから玄関は近いので、風を纏わなくても良かった。変に近い距離で使うと、上手く止まれなかった時、ぶつかってしまいとても痛い。

 だが予想外の事が起こる。


「レオナール様!!!! オリヴィア様がお1人でお出掛けになられます!!!!!!!!」


 確実に応接室まで聞こえるような大声でエマが叫んだ。

 応接室は玄関から近い。だがこの位置なら勝ったようなものだ。木製の玄関扉をさっさと出ようと押していた所へ、応接室の扉が勢いよく開いた。


 レオナールと目が合う。怒っているようだった。

 リヴィもレオナールに対して怒っていたので、レオナールを睨みつけた。だが、レオナールの右手に、銀のテーブルナイフが握られている事に気付いた。


 自分を刺そうとする程そんなに怒る事だろうかと驚愕し、そのまま開いた隙間からするりと出た。


「リヴィ!!!!」


 背中で怒鳴り声が聞こえたが気にはしなかった。そんな事を気にする前に、刺される前に出なくてはならない。

 少し遠くにいる庭師に左手でごめんのポーズを取って、再び柄を握る。


 リヴィは、風を纏って走り去った。

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