38.混乱
夕飯を摂り終えるとライアンはシャワーを浴び、ヴァルの部屋へと戻った。
食事中ライアンとはあまり会話は無かった。話しかけても会話を続けてくれなかったのだ。
医務室――。
「最近、髪がキシキシするの」
リヴィは不満を口にした。
「海水なのでね。仕方ありません」
ふふっと微笑みながらルネは話した。
淡水化鉱石を使用すれば良いのにな、と思ったが流石にシャワーには使わないかと考えた。
淡水化鉱石はアールヴ連合国で採れ、海水の中に入れると真水になる魔鉱石だ。ただし氷鉱石より高価であるだけでなく、真水になるまで時間も掛かる。
なので飲料、料理用として食堂に淡水化鉱石を入れた樽と、ここ医務室にはそれを入れたポットがあった。
「ヘアオイルも持ってくれば良かったな」
そう言いながら自分の髪を摘み、毛先を見つめた。
化粧水とオイルは一応持ってきてはいる。ただあまり荷物にならないよう最低限の量である。予定外な乙女の緊急事態により、このままでは早く無くなりそうである。
「では、そんなリヴィに良いものを」
「なに?」
「ヘアオイルです」
「ルネおじ様の?」
「ええ、そうです」
ルネは茶色の瓶を棚から出した。蓋を開けて手に取るとほんのりバニラの香りがした。
「ルネおじ様からするバニラの香りは、ずっと香水だと思ってたけどこれだったの?」
リヴィがそう言うとルネは苦笑いをした。
「いや、香水ですね。それは使ってません」
「何で?」
「バニラバニラになるでしょう。ラウラはそうであって欲しいみたいなのでくれたんですが、流石にそこまでは」
「いい香りなのにー」
リヴィはそれを髪につけた。とても美味しそうな香りがした。
だがルネの言いたい事も分かった。バニラの香りは香水のみでちょうどいいだろう。
「使うのなら上げます」
「いいの?」
「どうぞ」
貰えるのなら有り難い。
「ありがとう」
「ラウラには内緒に。でないとまた買ってくるので」
リヴィはうんうんと頷いた。
「あとね、サラシなんだけどちょっと練習したいの。自分で巻く」
「別に良いですけど、何でです?」
「さっきライアンに怒られたの。『甘えてる』って」
「……『甘えてる』?」
「サラシ巻いてもらうのは甘えてるんだって。自分でやれって言われた。練習しないのはルネおじ様にやって貰えるからだろって」
「…………あの子は」
「はぁ」と溜息を吐いて首を振る。
「だから考えたの。ライアンの言う通り、甘えすぎてるのかなって。それで練習――」
「気にしなくていいです」
「……でも、迷惑に――」
「ならないです。ライアンが言ったのも本当にそう思って言ったんではないですよ」
「そうかな」
ルネは立ち上がり光源灯の元へと行く。
「ではリヴィはもう寝ますか。疲れているでしょ」
「ルネおじ様は?」
「薬の実験と在庫確認が終わったら寝ます」
「そうなんだ。じゃあ、待って。その、ライアンの所に行きたい」
「……いくらヴァルが居ないからって、同じ部屋で寝るのは駄目です」
「違うの! その、謝りたくて……」
「サラシの件を?」
「それも、あるんだけど……」
リヴィは喧嘩の原因を話した。それは必然的に『騎士の条件』を話す事にもなる。それを聞いたルネは「可哀想に」と呟き、ライアンへ同情した。
「行ってもいいですけど、寝たら駄目ですよ」
「うん、分かった。サラシ取ったら行くね」
「駄目です! 巻いたままで行って下さい」
「え!? 何で!?」
「『何で!?』じゃないです。ライアンが気になるでしょ」
「……何で?」
「彼、結構我慢してると思いますよ。16歳なんて色々したい時なんですから。そんな所に無防備で来られたら、たまったものでは無いですよ」
リヴィはキョトンとした顔でルネを見るのだが、その様子を見てルネは鼻で息をもらした。
「それは、私と恋人っぽい事をしたくなるって事?」
「まぁ……そうですね」
「そんな感じしなかったけどな」
リヴィは不満げにルネを見るも、ルネの意見は変わりそうになかった。
「……じゃあ、ちょっとライアンと話してくる」
「ええ、どうぞ。寝るのは駄目です。あと誘惑も。謝るか、少しお話しするだけにして下さい」
「分かった」
風の剣はベッドの上へと置いたまま出て行く。
そしてライアンの部屋の前――ヴァルと同じ部屋なのだが――その扉の前で立ち止まった。
1度大きく息を吸って吐いて扉を叩いた。
「ライアン、ちょっと話したいの。開けてくれない?」
***
扉の外からリヴィの声が聞こえる。
(開けて、またあんな事されたら……耐えられる自信が無い……)
『キスしたくならない?』とあの時リヴィに聞かれたが、本当はしたかった。なんならベッドへと押し倒したかった。
それなのにキスで終わるものだと思っているリヴィに腹が立つ。
(……軽く、ちょっとだけのやつで終わるって、何で思うの)
シャワーから、サラシを着けず出てきたリヴィには驚いた。誘惑してきているのかとも思ったが、違った。そもそもサラシは自分で巻いていないと言う。
ずっと自分で巻いているのだと思っていたので、これにも驚き、そして――ルネに嫉妬した。
幼い頃からお世話になっている人に、そんな感情を抱いても仕方がないのは分かってはいる。
ルネにそんな感情は無いし、ましてやリヴィにも無い。リヴィの主治医はルネの姉だが、帰港時に体調が悪くなればルネも診察する。
それらを知っていたのに嫉妬してしまったのは、ただ単にリヴィの裸を自分以外に見られたくなかったからだ――かと言って、自分もまだ見ていないのだが。
(最低だ……子供すぎる。リヴィの言う通り、こんなんじゃ騎士になれない)
「ねぇ、ライアン。寝ちゃった? 今日の事で謝りたいから、開けて――」
ライアンは自身を落ち着かせるように、深呼吸をした。
(大丈夫。落ち着こう。騎士になったら、こんなのしょっちゅうかもしれない。いや、お預けされてる今よりマシか……? どっちにしろ喧嘩のままは嫌だ)
「リヴィ、鍵かけてないから入っていいよ」
だがリヴィは入って来なかった。
ガタガタと、扉の向こうから音はするのだが何も起こらない。その音はだんだん小さくなっていく。
「リヴィ?」
立ち上がり扉を開けたが、そこには誰もいなかった。
「え……幻聴!?」
リヴィの事を考え過ぎて、ついに幻聴が聞こえるようになったかと慌てる。
(やばいやばいやばいやばい。落ち着け俺、そんな訳ない。さっきの物音は、医務室に戻ったんだ)
「開けるの遅かったかもしれないけど、もう少し待っててくれても……」
残念そうに呟き、扉を閉めた。
***
「ん゛ーーーーッ!!!!」
リヴィは口を後ろから抑えられ、引きずられるように歩く。
犯人は右手でリヴィの口を抑え、左手でリヴィの首を固めながら歩いている。
腕を振り払おうにも立ち止まろうにも、力が強いのと首が苦しくなる為止まれなかった。
階段を上がり上甲板へと着く。
「暴れんなって。降りるからな。海に落ちちまうぞ」
そしてそのままタラップを降りた。
「また出かけるのか?」
タラップの下で番をしている船員が、リヴィを拘束している犯人に問う。
「そ! 今度はリヴィ連れてな!」
だいぶ酒に酔った男は上機嫌に答えた。
「……それリヴィか?」
「そーそー、可愛い顔してるだろー」
タラップ下で番をしている船員は、腰に下げていた石堤燈を持ち上げ、リヴィの顔を照らした。
「ベール無いけどセルジュの手であんま見えない」
「あらそー? じゃ、一瞬見せてやる」
「離してっ! 何すん゛ん゛ん゛」
「はい終わりー。可愛いーだろ」
「ふーん、確かに。間近で見たの初めてだな……セルジュが女と間違えたってのも頷ける……なんか暴れてないか? 大丈夫か?」
「だーいじょーぶ! こいつ童貞だから照れてんの。『楽園』に連れてってやんのよ。お気にの子と約束した。連れてきゃサービスたんまりよ」
(童貞!? 楽園!? 何の話!?)
いきなり後ろから口を塞がれ、どこに連れてかれるのか何も分からないまま、ズルズルとここまで来てしまった。上甲板での第一声で、やっとセルジュだと気付いた。
どこに行くのかも聞かされてもいないのに、照れるも何も無い。
ましてや童貞かどうかそんな会話をした事がない。
番の男はニヤニヤと笑うセルジュに、呆れるような視線を送った。リヴィは番をしている船員に「助けて」と視線を送るも苦笑いで返された。
「まぁ、楽しんでこいよ」
「ん゛ん゛ん゛ー」
「ちょ、暴れんなってマジで。見かけによらず結構強いなーお前」
リヴィは必死に抵抗する。風の剣を持ってくれば良かったと後悔した。持っていない今、風を起こして逃げる事も出来ない。
唯一良かったと思ったのは、サラシを巻いていた事である。
「行ってきまーす!」
そのまま引きずられ、セルジュとリヴィは夜の街へと消えていった。




