36.後悔
ベンチに座り、ライアンはじっとペルスネージュを見ていた。
(羨ましい……)
教会でもそう思っていた。猫を探している間、手を繋ぎ歩きたいと思っていた。だがそれはリヴィが許さないだろうと我慢した。
少しでも恋人らしい事をしたく、クレープを買いベンチに座った。リヴィがクレープを頬張る姿が可愛く、その唇をじっと見ているとキスをしたくなった。
そんな自分を見てリヴィはクレープをくれた。
――食べたいと思ったのはクレープじゃなかった。
「ライアン?」
黙っている事を不思議に思ったのか、リヴィは問いかける。
「騎士の事……だよね?」
「――も、あるけど……その……」
騎士の話は勿論したい。したいのに、その前にどうしても余計な事を考えてしまう。
集中出来ない。
目の前に欲しい物があるのに触ってはいけない……お預け状態が辛い。
「ああああああもおおおおお!!!!」
リヴィはいきなり声を上げて頭を両手で掻き乱すライアンに驚き、ビクッと肩を震わせた後固まった。
「なに!? どうしたの!?」
「もう無理だ。キスしよ」
「えぇ!?」
もう猫がいようが構わなかった。
何を言っているんだコイツは、という目でライアンを見る。当たり前の反応だと思いつつ、少し悲しくなった。
「ど、どうしたら今そんな事したいって思えるの!? 理解が出来ないよ!」
「もうずっと……ずうっっと、我慢してる。白百合号に戻ったら難しいだろ。だから今しかない」
「ずっと? 船に乗った日から?」
「違う」
ライアンは言いにくそうに、顔をしかめた。
「……ライアンが元カノと会った日から?」
前屈みになりながら「そう」と頷いた。
そしてリヴィを見ると、ペルスネージュを撫でる事を止めていた。だが、ペルスネージュはそんな話は勝手にやっててくれと、気にせず頬ずりしている。
――雰囲気も何もあったものではない。
「ペルスネージュ様を抱っこしてるこの状況見ても、そう思える?」
「だって――」
ライアンは大きな溜息を吐いた。
「口直ししたい……」
「…………え?」
「だから――口直ししたいんだって。いや上書き? じゃないと俺、最後にキスしたのが元カノのままなんて嫌だ」
自分はこんなに女々しかったのかと考える。
リヴィと付き合い、自分の新たな一面を知る事が多くなった。嫉妬深く、独占欲が強いという事も、リヴィと付き合い初めて分かったことである。
今までの彼女の時は全く分からなかった事だ。
元彼女達には申し訳ないが、それだけどうでも良かったのかもしれない。
女々しい言葉を口にするのは嫌だったが、こう言えばリヴィもキスしようと思ってくれると考えたからだった。
(きっとリヴィだって嫌なはずだ、元カノにキスされたままなんて)
だが――。
「口洗ってるでしょ。なら良いんじゃない?」
「……え!?」
「洗ってないの?」
「いや洗ってるよ!? 洗ってるけど!」
「ならいいんじゃないかな」
思ってもいない返答に驚愕し、口を大きく開けた。
「嫌じゃないの!? 俺、元カノにキスされたままなんだよ!?」
「うーん……あんまり?」
「え!?」
「だってもう1カ月も前だよ?」
リヴィはペルスネージュの腰の辺りを、ぽんぽんと叩く。ペルスネージュは恍惚の表情を浮かべ、リヴィの頬に頬ずりするのをやめた。
そして、腰をぐっと上げて今度は太腿に頬ずりしていた。そんな1人と1匹のやり取りに苛っとする。
「でも! 俺は嫌だ! リヴィはもし自分がそんな事されたら嫌じゃない? 誰かに無理矢理キスされたとする。そんで、そのままっての嫌じゃない?? その後、俺とキスしたいって思うだろ?」
「うーん……思うかな……?」
「思うよ! 絶対! 思うんだよ! 思うの!!」
「……そんなに言わなくても」
リヴィはムスッとした表情をし、ライアンを見つめた。
「ごめん。……まぁ、それでキスしたいって考えてた」
リヴィはペルスネージュを撫でていない方の手で、顎を触って考える。ライアンはリヴィが答えるのを待った。
彼女が考え事をする時は、顎を触る癖がある。他にも右の掌が気になるらしく、暇な時は右手親指で掌を擦るように触っている。手を繋ぐ時はいつも左手だった。
そんな癖1つ1つが愛おしい――だが、今は何を言われるかと、どきどきしていた。
「分かったけど、長いの駄目。1秒くらいのやつ」
「……何で?」
「誰かに見られるかもしれないからだよ。それに、本当は嫌なんだもん」
「何で!?」
「オリヴィアの気分に戻っちゃうでしょ! 今、リヴィオの気分」
「父さん達の前ではオリヴィアだろ」
「あの2人とはまた違うの。なんて言うか、女の子として甘えたくなるの。だから嫌なの!」
(……可愛い)
抱き締めたい気持ちを堪えた。
「分かった?」
「うん」
リヴィは周りを見て誰もいない事を確認すると、ライアンの方を向いて目を瞑った。
(1秒は短すぎる、せめて、3秒……いや5秒。でも顔を背けちゃうかな? 頭抑えないとな)
ライアンはリヴィの両耳を包み込むように、両手で頭に触れた。するとリヴィは目を開き「ちょっと待って!」と顔を近づけてくるライアンを制止した。
「何?」
「長くキスしようとしてるでしょ」
「そんな事ないよ」
「ホント?」
「うん」
「じゃあもし長くしたら騎士にはしない」
「えぇ!?」
驚きの声を上げ、すぐに口を抑えた。リヴィは仏頂面でこちらを見ている。
「ほらやっぱり」
「ほんの少しだけだよ、5秒くらい」
「駄目!」
リヴィは視線をライアンからペルスネージュへと移した。そして再び考えているようだ。
「ねぇ、ごめんって。謝る。だから――」
「ライアン、あのね――」
リヴィは再びライアンを見た。どうやらもうキスさせてくれそうにない顔だった。
「騎士って体力的な強さだけじゃなく、精神面もしっかりしてないと駄目だと思うの。キス出来ない位で、精神がグラグラするなら専属騎士なんて務まらないよ」
「え……いや、それとこれとは――」
「だから、決めたよ」
「へ?」
「本当は考えないつもりだったけど、ペルスネージュ様を探すの助かったし。クレープも煮干しも買ってくれた。だから、今から言う事が出来たら騎士にする」
「え!? 本当!?」
「うん、本当」
リヴィは一息吐いた。そしてしっかりとライアンを見据える。
「手紙を出す時までキスしちゃ駄目」
「…………へ?」
「以上。帰ろ」
「待って、待って、ちょっと……」
「なに?」
「え、いや、じゃあ、キスしなかったら騎士にしてくれるの? でも、したら騎士にはなれないの?」
「そう。キスしない事が『騎士の条件』。安心して。私、伯父様と違って約束守るから」
リヴィはそう言って、ペルスネージュを抱きかかえて立ち上がった。ペルスネージュはライアンをじっと見たあと、リヴィに何か耳打ちをして降りた。ライアンは愕然としてまだ立ち上がれないでいる。
『クロの子。我を抱っこせよ』
「い、今そんな気分じゃ――」
『抱っこせよ』
「あ、はい……」
「行くよ」
リヴィは少し前を歩き、ライアンはとぼとぼと後ろを歩いた。ペルスネージュはそんなライアンの耳元で話す。
『クロの子よ。風の子を愛しているのは分かるが焦ってはならん』
「え!」
まさか猫――いや、ケットシーにアドバイスを受けるとは思わず、驚きの声を上げた。
『時を待つがよい。そうすればメスから来るぞ』
ペルスネージュは小声でライアンに話しかける。ライアンも小声でペルスネージュに返事をした。
「そう……なんですか?」
『そうだ。どうやら風の子は、まだ時期じゃないようだからな』
「時期? ……何のですか??」
『〈何の〉って……全く。そんなもの発情期に決まっておるだろう』
「……へ?」
『クロの子よ。風の子の発情期を待て。そのうち来る。だがクロの子はオスなのに発情期なのだな。ああ、人間はオスもそうであったな』
その言い方はやめて欲しかったが、もう何も言う気にならなかった。
『そうすれば、いずれ交尾も出来よう』
「こうっびっ!?」
ライアンは顔を引きつらせて一瞬リヴィを見た。聞かれてはいまいかと心配だったが、反応は無いので聞かれては無いようだ。
『何だ? したくないのか?』
「いや、え? したいで……あ、いや、違くて……いやいや、違くはないけど、違うんです」
『恥ずかしがるな、クロの子よ。アドバイスは終わりだ。降ろすが良い。我は最後に、風の子の匂いを堪能する』
ライアンはペルスネージュを降ろすと、ペルスネージュはリヴィに声をかけ、抱きかかえられた。
「発情期……」とポツリと呟き、リヴィの後ろ姿を見る。一応考えてはみたものの、彼女にそんなもの来るのはかなり先の話だろう。
リヴィは一緒に居れればそれで良い、と考えてるタイプだった。手を繋いだり、肩を寄せ合ったり、抱き合ったり、それくらいで満足らしい。
ライアンは大きく溜息を吐いて、頭を横に降り、言われた通りにキスをしなかった事を後悔した。
(でも、1ついいこともある。騎士を検討してくれる。代償はあるけど、まだ……良かった)
そもそもリヴィは、白百合号に恋人と遊ぶ為に乗ったのではない。そういうのもあって気持ちの差があるのだろう。
(にしても……悲しい……)
そして――。
(羨ましい)
ペルスネージュは至高の笑みで、リヴィに撫でられている。それからは降りることなく、港までリヴィに抱きかかえられていた。
「おかえりなさい」
白百合号に着くと、タラップの下でルネが待ち構えていた。
「ごめんなさい、遅くなって。ちょっと話してて」
「そうだろうなと思ってましたよ」
ルネはペルスネージュを見る。
「来ると思っていました。久しぶりですね、ペルスネージュ様」
『久しいな、ジゴロ』
ペルスネージュはリヴィにスリスリと頭を擦り付ける。そんなペルスネージュを見て、ルネは苦笑いをした。
「伯父様は帰ってきてる?」
「いいえ、今日は泊まりです。ヴァルもね。それに、夜番の船員以外は帰ってこないですよ」
「え!?」
驚いた声を上げたのはライアンだった。「どうしたの?」とリヴィは問いかけたが「何でもない」と答えた。
「あと、シャワー浴びたいんだけど」
「ええ、どうぞ。一応ライアンに見張っててもらって下さい」
リヴィはペルスネージュを降ろした。
「それじゃあペルスネージュ様、さようなら」
『また来い、風の子。それが無理そうなら、こちらから行ってやるぞ。風の番人へ嫌がらせも兼ねてな』
リヴィは笑い、白百合号へと乗った。ライアンも続いて乗り込んだ。ペルスネージュは、後脚で耳を気持ち良さそうにかいた。
『お前達が風の子を差し向けてくれたお陰で、また濃い魔法の匂いを嗅げたぞ。礼を言おう』
「いえいえ、良かったです。けど、ジゴロって呼び方やめません?」
そう言った所でこの呼ばれ方は、リヴィに聞かれてはいるのだが、やはりあまり良い気はしない。
『ジゴロはジゴロだろう』
「『ルネ』って呼べば――」
『今更変えとうない』
「……そうですか」
『そうだ。ジゴロに言う事があったのだ』
「何でしょうか?」
『昔、手を出した修道女がおったろう。違う教会へ行ったぞ。だから、安心してまた教会へ煮干しを捧げに来い』
「どっちにしろ、私は留守を預かる事が多いのであまり行けませんよ……因みに何処の教会へ?」
『知らぬ』
ルネは鼻で息をもらした。
*****
医務室――。
「猫の匂い」
リヴィは自身のシャツの匂いを嗅いだ。そして、荷物入れから新しい服と小さい布袋を取り出した。
ライアンはリヴィのベッドの上に座り、落ち込んだ様子でリヴィを見ていた。
「どうしたの?」
「……人が今日は居ないなら、帰ってきてからキスの事言えば良かったなって」
先程から、ああすれば良かった、こうすれば良かった、と後悔ばかりしている。
「そうだね」
リヴィはふふっと笑い、服を確認する。ライアンはがっくりと肩を落とす。リヴィはそんなライアンの顔を覗き込んだ。
「キスする?」
リヴィからそう言われ目を見開いた。
「いいの?」
「いいよ、今誰もいないし」
そして目を瞑っている。ライアンは顔を近付け、あと数センチの所で止まる。
「これ、キスしたら騎士の話は?」
「ないよ」
「危な!!!!」
慌ててリヴィから離れると、リヴィは残念そうにライアンを見ていた。
「卑怯だぞ!」
「そんな事ないもん」
そしてシャワー室へと向かうリヴィを、ライアンは不満そうに見つめた。




