27.失敗
先程リヴィはセルジュと食堂で朝食を摂り終わった。
食堂はとても狭かった。料理を作るスペースが半分を占め、食事を摂る場所は10席も無い。そこでご飯を食べるのは初めてだった。何故なら一昨日の騎士の話以来、お腹があまり空かず、食べなくても平気だったからだ。
だが昨日は流石に怒られた。
朝、ルネが朝食へと行く時に食堂へ行く振りをした。そして医務室に引きこもった。「朝食食べました?」と聞かれ「うん」と嘘を吐いた。
昼も同じように過ごし、夜もこのままと思っていたが、バレた。怒られ、ルネが食堂から持ってきたバゲットを無理やり食べた。
なのでリヴィは食堂に来たのは今日が初めてだった。
何人かの視線を感じ、特に女性3人からの視線を感じた。20代前半と思われる3人は、船内使用人として雇われている3つ子だった。髪も顔も声もほぼ同じで、リヴィには全く判別出来ない。
他には何人かの船員達に声をかけられた――と言ってもセルジュに声をかけており「面倒見ることになった」といったような会話だった。
その話が聞こえたのかどうかは分からないが、そんな会話の後、女性陣からの視線は強くなった。その目つきは、獲物を見るかのような鋭い目付きだったので、セルジュの事が好きで自分に嫉妬しているのかと考え――だが何故男に嫉妬するのかは理解できないが――やはりあまり関わる事はないだろうなと考えた。
セルジュの様な人物を間近で初めて見るリヴィだが、多分モテる人物なのだという事は理解していた。
何故なら王都でお芝居を見ていても、リヴィは真面目な性格の役を好きになるが、セルジュの様な性格の役も人気があるのを見てきたからだ。
朝食を摂り終えるとデッキブラシを持たされた。「新人は掃除! 掃除! 掃除! あと見張り、と先輩のパシリ」と言われた。
本当かなと思ったが、もう信じる事にした。と言うのも、医務室での態度と食堂での態度はだいぶ違く、かなりまともだった。
ルネが言っていた様に、良い奴ではあるが女好きなのが欠点だと言うのは本当なのだと理解した。
女好きの人間を見た事がない訳では無い。街や港に行けばよく女釣は見かける――特に港は酷かった。
そもそもヴェストリ地方は、他の地方に比べて軟派な人が多いと、両親が商人である転勤族の友人から聞いていた。
だがあそこまで露骨な人間には驚いた。
最初は牢屋のある部屋を掃除すると言われた。あまり好きな部屋では無かったので嫌だったが、そんな事は言わなかった。
言われた通りやり始めると、何故か大笑いされた。何故笑うのか、と聞いても教えてくれず苛っとした。大笑いは落ち着いたが、それでも堪えるように笑っていた。
掃除が終わり「次はこの部屋だ」と施錠された部屋を指差した。セルジュが鍵を差し込もうとした時、鍵と木箱を持ったルネが部屋にやって来た。様子を見に来たのかと思ったが、この施錠されている部屋に用事があったらしい。ここに居るとは思わなかったのか、リヴィが居るのをみて少し驚き「忘れてました」と呟いた。
この奥の施錠された部屋は何なのか、と聞いてみたが「んー、何でしょうね」と微笑んではぐらかされ、頭をポンポンと叩かれた。
そしてセルジュに何かを指示し、牢屋部屋の後は中甲板に行く事になった。
初めて入った時は何も無かった中甲板だが、今は木箱や樽の積荷でいっぱいだった。合間合間にはハンモックがあり、船員たちはここで寝ているようだった。
あっという間に時間は過ぎ、お昼になった。
お昼はベーコンサンドウィッチだった。家で食べるものに比べ、パンは固くパサついており、野菜はしなびれていた。だがベーコンはカリカリで美味しかった為、思ったより不味くなかった。一応、厨房には氷鉱石が入った箱――冷蔵庫があるため、ある程度食材は少々日持ちするようだ。
サンドウィッチは持って持ち場で食べるように作っており、朝と違って食堂では食べず上甲板で食べる事になった。
上甲板へ上り船尾楼を見ると、ヴァルが舵輪の前におり、その横にはライアンがいた。ヴァルと目が合うと微笑んでくれたので、リヴィも微笑み返した。ライアンはリヴィに気付くと何か話したそうな表情を浮かべたが、リヴィが視線を外すと俯いていた。
セルジュに着いて船首楼まで行くと、サンドウィッチを食べ、再びデッキブラシをかけた。
何もかもが新鮮だったので楽しかった。嫌いな掃除ですら楽しいと思えた。
「なー、お前さ」
楽しげに掃除をしていると、急にセルジュに呼びかけられた。
「掃除した事ねーだろ」
デッキブラシで床を掃除するだけなのだが、何故かやった事がない事を見破られた。
「なんで分かるんですか?」
下甲板にいた時は大笑いから始まった。今は慣れたのか爆笑はされなくなったが、やはり少し笑っている。
最初気になって仕方なかったが、もう無視していた。
「下手だ。下手すぎて見てて飽きない。笑える」
そう言いながら口の端を上げて笑っていた。
「掃除は使用人任せの良家生まれか? だがここじゃーやって貰う。帆を縫うのと食事は3つ子がやるけどなー。楽だろー?」
「そう……ですね?」
「やっぱボンボンの坊ちゃんだな」
よく理解出来ていないリヴィを鼻で笑い、セルジュは後ろを向いて海を見ていた。
「兄さんは何をしているんですか?」
リヴィがそう言うと、キョトンとした顔で振り向いた。
「兄さん?」
「医務室で『セルジュ兄さん』と自分で言っていたじゃないですか。なのでそう呼ぶべきなのかなと」
思えばセルジュの事を今初めて呼んだ。セルジュはリヴィのその言葉を聞いて、吹き出し、笑いを堪えるように笑った。
「そーだった、そーだった。くくっ、忘れてた」
「違うんですか? なら――」
「いーや、そー呼べ。お前を弟のよーに可愛がってやるよ。お前は俺を兄と思えよ」
「あ……りがとうございます?」
「そーだ、ありがたがれ。弟第1号だ。10年以上いて初めてだぞ」
(馬鹿にされてる気がする……)
だが上機嫌でいてくれるので、それでいいかと文句は言わなかった。
「それで弟よ。質問の答えは、ただの見張り」
一応自分の持ち場には着いてたんだなと知った。自分のデッキブラシのかけ方が下手すぎて、傍で見ていたのかと疑っていたので、リヴィは安心していた。
「あの見張り台に登る時は、リヴィも連れてってやる」
セルジュは意地悪そうに笑い、3本あるマストの真ん中にある上を指さした。リヴィはそこに登ってみたいと思っていたのでちょっと――いや、かなり嬉しかった。
「あれ? 怖がんねーんだな」
思っていた反応と違うらしく少しつまらなそうだった。本当は嫌がる反応が正解なのだろう。この反応は不正解だったのかもしれないが、好きな物は仕方がない。
「高い所は好きなので」
風の剣を練習する時には、夜のジャード街に内緒で繰り出し、建物と建物の屋根を飛び交っていたりしていた。
練習に練習を重ね、風の力を使えばある程度高く跳ぶ事も出来たし、高い所から落ちても大丈夫だった。
1度、王都へとレオナールと一緒に出掛けた時、披露した事もある。建物が両脇に並ぶ狭い道で、壁と壁を蹴って5階建ての屋根の上に登った。そのまま屋根から受身と魔法を使って降りた。
そしてレオナールに抱きつき「すごい?」と聞くと、褒めてくれた。
――嬉しかった。いろいろ出来る様になると褒めて貰えた。
「結構高いぞー」
「全然平気です」
魔法が使えるせいで、高い所に関してはリヴィは人より恐怖が無かった。落ちても死なない自信があるからだ。
「ふーん。じゃあそん時は連れてってやるよ」
「はい」
そんな事を勝手にしていいのだろうか、と不思議に思うがセルジュにはそれが出来るようだ。10年以上いると言っていたので、結構上の人物なのかもしれない。
「だからちゃんと掃除しろよ、下手くそ」
「そこまで下手ですか!? 何がどう下手なんですか?? そんなに言うならいい加減教えて下さいよ!! 『手とり、足とり、腰とり』教えるって言ったくせに!!」
腰とりの意味はよく分からなかったが、物凄く丁寧に教える、と言う意味なんだろうとリヴィは考えていた。
やった事がないので確かに下手なのだろう。
だいたい、家で誰かがデッキブラシを使っている所も見た事が無かった。掃除はリヴィが起きる前に全て終わっている。終わり切れなかった掃除も、リヴィ達が見ていない所でされている。見れる掃除は庭掃除くらいである。
「デッキブラシの使い方をか?」
呆れたように言い、鼻で笑った。リヴィは仏頂面でセルジュを見ていた。セルジュは考えるようにして、リヴィをじっと見ていた。
「まー、いーだろう。あそこに……あれは、誰だ。まーいい。3つ子の誰かもいるしなー」
セルジュの視線の先を見ると、女性1人が階段を上がって、平たく大きい籠を重ねて持ち、上甲板の台に置いていた。セルジュは「黒子の位置がわからねー」と独り言を呟いた。
「さてリヴィ、何が下手って持ち方がおかしーからだ。デッキブラシをそんな持ち方する奴はいねーよ」
「え?」
リヴィはデッキブラシを、箒を掃く様にして使っていた。
「じゃあそのまま前向いてろよ」
セルジュはニヤリと笑いリヴィの元へと歩くと、リヴィの背後にピッタリとついた。ベルガモットの香水が香る。
「いーか……手はこーして」
セルジュは、両手をそれぞれリヴィの手に重ね、正しい持ち方へと移動させた。
「ちょ、ちょっ――」
「そんで足はこーだ」
次にセルジュは、足を使ってリヴィの立つ幅を広げさせた。いきなり広げられたので、よろけて後ろに倒れそうになり、セルジュに寄りかかった。だが、セルジュは気にせずに続けていく。
「はい、じゃあ腰を――こっちに向ける」
リヴィは腰を掴まれ、向きを右に強制的に変えさせられた。
「よし、これがデッキブラシの正しー持ち方だ」
そう言ってそのまま離れるのかと思いきや、再びリヴィの手に自身の手を重ねた。
手はセルジュによってブラシに固定され、逃げようにも逃げれなかった。傍から見れば、後ろから抱き締められている様に見えなくもない。
「いやーしかし、本当に男……? 俺の感知器が女だって言ってるんだよなー」
「お、お、男です! 男! 男なんです! いい加減にして下さい!!」
(男女を判別する感知器って何なの!?)
そんな物がこの世にあるなんて知らなかった。あとでルネに言わなくてはならない。セルジュがそんな物を持っていると。
「分かってるって。そんなに怒るなー。女に見られるのはコンプレックスか?」
「そう、そうで、す」
「女顔だもんな。間違って襲われそーになった事は?」
「無いです!」
「へー。じゃー、男って分かってて襲われた事は」
「どういう意味なんですか!?」
言っている意味が理解出来なかった。それよりもさっさと離れて欲しかった。
護身術は習っているが、揉め事は嫌だった。
「離れて下さい!」
「そーだな。でもその前に質問」
「……じゃあ、その質問に答えたら離れて下さい」
「いーぞ」
「……質問は何ですか」
そう言い、リヴィは力を入れるのを止めた。
「リヴィはルネさんの何?」
それまでふざけていたセルジュが真面目に聞いてくるのを見て、もうバレたのかと心臓が止まった。




