26.教育係 セルジュ
リヴィが罵詈雑言を枕に吐いた2日後――。
医務室――。
昨日から白百合号は海原へと出ていた。朝起きると、荷物入れから金平糖が入った小さな缶を取り出した。1日1粒と考え30個持って来ている。これが少なくなると、白百合号から降りる日が近いのだと分かりやすい。それを1粒口に入れ立ち上がり、洗面台で顔を洗う。
「リヴィ、貴女に教育係を付けます」
「教育係?」
そう言って、隣にいたルネからタオルを貰い、顔を拭いた。
「そうです。私はあまり上甲板には行きません。かといって、上甲板でヴァルがリヴィに付きっきりはおかしいのでね」
(確かに……)
うんうんと頷いた。リヴィはレオナールの大事な姪として乗船しているのではない。
ただの新人リヴィオとして乗船している。そんな人物にわざわざ副船長が付きっきりなのはおかしい。
乗船してからはほぼルネに助けて貰っていた。ルネのお手伝い要員としての最低限の事――薬の場所を覚える事や、薬草を刻んだり、すり潰す事をして過ごしていた。
「不安です?」
ルネが心配そうにリヴィを見ていた。
「んーん! 大丈夫!」
ここで「不安」などとは言えなかった。なるべく明るく元気に応え、微笑んだ。するとルネはリヴィの頭を撫でながら「変な奴は選んでいませんよ」と、安心させるように言った。
「どんな人なの?」
ルネは頭を撫でるのをやめ、椅子に座り頬杖をついて考えるように話し出した。
「ちょっと女好きな所が欠点でしょうか。でも今のリヴィは男なので、特に害はありませんから。仕事も出来ますし、後輩の面倒も比較的見ますね。アルの事も知っていますよ、アルが結構面倒見てたので。だから選んだんですけどね。それに10年以上は白百合号に乗っているので、船にも詳しいですしね」
「へぇー」
リヴィは父親が面倒を見ていたと聞いて、会うのが楽しみになった。不安な気持ちは消え去り、今はワクワクしている。
「さっき起こしたので、もうすぐ来ると思います。あ、変声薬飲んで下さい。朝飲むようにしましょう。そうすれば忘れませんから」
変声薬の効果が切れる時、飲んだ時のような痛みが喉に走る。顔を洗う少し前に痛みが走り、効果が切れてしまった。
1日くらいはもつが、きっかり1日という訳では無い。
「分かった」
「それから、その教育係にちょっと注意して欲しい事があって。港について、もし飲みに誘われても絶対行かない事」
「飲みに? 私15歳だから飲めないよ」
「リヴィオは16歳でしょ」
「あ、そうだった」
ミーズガルズ王国では16歳から飲酒が可能になる。
年齢は多少誤魔化した。あまり意味がないような誤魔化しだが、この1歳違うだけでも印象が違うらしい。レオナールに少しでもバレないようにする為だった。
「だからダメなの?」
「それもありますけど――」
ルネが話していた時、扉を叩く音が聞こえた。急いでルネから変声薬を受け取り口に含んだ。
特にベールを着けたりはしなかった。上甲板以外はそんなに明るくないのと、レオナールが降りてくる事は殆どない為、着けなくていいと言われたからだ。
「どうぞ」
「失礼します」
真っ茶色を通り越したオレンジ色の髪をした、20代半ばくらいの男が入って来た。垂れ目がちな目のせいか、まだ少し眠そうだった。
「遅くなりました?」
「いいえ。大丈夫です――が」
ルネは彼の格好を見て、ほんのり怒りの表情に変わった。
「身嗜みをちゃんとしてから来なさい、と言ったでしょう」
彼の格好はかなり乱れた格好をしていた。
白いシャツは肌蹴ており、鍛えられた胸筋と腹筋にはいくつもの赤い皮下出血が見える。緑の腰飾りは雑に巻かれ、肩より少し長い髪はかなり乱れていた。
「あ、すみません」
「直しなさい」
「りょーかい」
シャツは胸が少し見えるくらいまでしめ、ズボンのポケットから紐を取り出して、それを口に咥えた。髪の毛を手ぐしで整えた後、咥えていた紐でポニーテールに結わえると、最後に腰飾りを巻き直した。
「それでは、セルジュ。紹介しますね、こちら新人のリヴィオです」
椅子に座るルネの横にリヴィは立っていた。まだ変声薬を溶かしきっていないので、声は出さずに会釈した。
「あー、ルネさんのお手伝いって子ですか?」
一瞬だけリヴィをみて、直ぐにルネへと視線を戻した。
「あれ、紹介の時いなかったと思うんですが」
「フェイスベールなんて珍しーもんしてる新人なんて、仲間内でも少し話しますから」
「ああ、なるほど」
「でも今はしてないんですね」
「着けるのは太陽の下などの明るい所ですね」
「へー」
セルジュはあまり興味はなさそうに返事をした。リヴィはというと、初めて見た生命体に驚いていた。今までこんな人物が自分の前に現れた事がなかったからだ。
(何だこの人……)
平民学校に通っていたとはいえ、リヴィの前でこんな態度をとる人物はいなかった。目をぱちくりさせながら、ゆっくりと変声薬を溶かしていた。
「それでセルジュにお願いがあります。この子の面倒を見て欲しいんです」
「え、自分がですか?」
「そうです。難しい事はしなくていいです。私の仕事を手伝う事がメインなので、新人の基本の仕事だけ教えてください」
そう言われ、片眉を上げ見下げるようにして、初めてリヴィをしっかりと見た。
「まー、いーですよ。今教えてる子も居ないって――あんれー?」
そう言って人差し指と親指で、顎を触りながら考えるようにリヴィに近づいた。
リヴィは遠慮無しに近づいてくるセルジュに驚き、背中が壁に着くまで後退りした。だがセルジュも壁際まで近づいてきた。
「セルジュ……?」
ルネは驚き声を掛けたが、セルジュは気にせずマジマジとリヴィを見つめた。
「なんだー、言って下さいよ。喜んで、お世話しますよ。いやー、随分可愛い子を入れましたねー」
セルジュはニッコリと微笑んだ。
「君、名前何だっけ? まーそれは後でいーや。結構若いね、俺と10歳くらい違うかな? でもぜーんぜんっ、問題ないよ。範囲内だから安心してね。なーんだって、このセルジュ兄さんが教えてあげるよ――手とり、足とり、腰とり」
セルジュは左手をリヴィの腰に回し、右手の人差し指と親指をリヴィの顎に添えてクイッと上げた。
そしてリヴィの翡翠の瞳を覗き込んた。
「綺麗な、おめ目してるねー」
(なんだこの人!?!?)
こんな事をされたのが初めてのリヴィは、石のように固まり顔を引きつらせるしか無かった。
同じようにルネも顔を引きつらせていた。
「とりあえず――挨拶のキスから始めよーか」
そう言って親指の腹でリヴィの唇をなぞり、だんだんと顔を近づけてくる。リヴィはそれを避ける為に後頭部を壁に打ち付けた。
「セルジュ!!!! やめなさい!!!!」
ルネは慌てて椅子から立ち上がり、怒鳴りつけた。
こんなに怒鳴るルネをリヴィは初めて見た。セルジュにされた事といい勝負なくらい驚きである。
「何でですか? 挨拶のキスを新人に教えてるだけですよ」
「ふざけてるのですか!? そんなもの無いでしょう!!」
「えー、せっかく可愛い子のお世話していーのに? ちょっとくらいふざけても――」
「おふざけにも程があります!! 毒に脅えながら生活がしたいのですか!!」
「じゃー、どこまでならいーんですか? お触りくらいはいーですよね?」
「ど、どこまッ――……お前は勘違いをしています!! 彼の名前はリヴィオ――男です!」
「――え?」
セルジュは視線をルネからリヴィへと移した。
「リ、リヴィオです。よろしくお願いします」
変声薬をやっと飲み終わった。喉に痛みが走ったが我慢した。
セルジュは直ぐに手を離し、体も離した。
「チッ……んだよ男か。あーあ。アホな事しちまった」
そして頭をかいて、適度な距離まで下がった。態度は先程と打って変わっていた。リヴィを覗き込んでいた輝く瞳は、死んだ魚のような目になっている。
「名前は最初に言ったでしょう! それに女性が入ったのならもっと話題になるでしょう!!」
「ちょっと間違ったんですよ。すみません」
だが再びしげしげとリヴィを見つめた。
「おっかしーな。昨日使いすぎて感知変になったかな……」
そう言って首を傾げながら、自身の股間の辺りを握った。
(この人怖い……)
リヴィはそろそろと、ルネが立っている所まで歩いた。不安な気持ちが抑えきれず、ルネのシャツを掴んで少し後ろに隠れた。
「おい、悪かったな。俺の恋愛対象は女だ。もー何もしねーから安心しな」
そう言われルネの顔を見ると、ルネもリヴィを見た。
「リヴィ、もう大丈夫です」
そしてリヴィの背中に手を当てて、前に行くように軽く押した。
「まーでもこれくらい、可愛い顔してんならいけなくも――」
「セルジュ!!!!」
「じょーだんですよ」
ルネはセルジュを睨みつけ、腕を組んだ。
「もし次リヴィに変な事をしたら、三日三晩苦しんで死ぬ薬を飲ませますからね」
「こっわっ。りょーかいです」
セルジュは鼻で一息吐くとリヴィを見た。
「新人、名前はリヴィだっけ?」
「私がリヴィと呼んでいるだけです。本名はリヴィオ」
「そーなんですね。じゃー俺もリヴィって呼ぶかな。いーよな?」
「あ、はい」
(お父様は、本当にこんな人を面倒見てたんだろうか)
「私はこれから朝食です。セルジュ、リヴィを案内しなさい」
「りょーかい」
「その前に、リヴィに話がありますので、セルジュは外に」
「りょーかい」
セルジュが医務室を出ると、ルネはリヴィが寝ていたベッドまで行きフェイスベールを手に取った。
「甲板下ではしなくていいと言いましたが、しなさい。ご飯食べている時は良いですが極力しなさい。いいですね」
リヴィは何度も頷いた。そしてフェイスベールを着ける。
「ルネおじ様、私――」
ルネは右手でリヴィの左頬に触れて微笑んだ。
「不安なのは分かります。でも、もう大丈夫です」
「ほ、ほんと?」
「大丈夫。信じなさい。それから自分の事は『僕』と言うといいでしょう。良いですね」
リヴィは頷き、ルネと抱擁を交わして出ていった。
「あれ、ベール着けんの?」
(誰のせいだ!!!!)
「……本当は、極力着けないといけなくて」
「へー」
ベールは煩わしい。上甲板以外なら着けなくてもいいと言われた時は嬉しかった。
(この人のせいで……)
ベールの下で口を膨らませ、食堂へと向かった。
*****
朝食後――。
ルネは医務室の机に額をつけて突っ伏していた。その後ろで、壁に寄りかかりヴァルが腕を組んで立っていた。
「まさか、女の子だと気付くとは……」
食事はレオナールとヴァル、そしてルネの3人は船長室で摂る。ライアンが乗船してからはライアンを入れて4人で摂っている。
先程、朝食を摂り終わった後、ヴァルがセルジュとリヴィの様子を聞きに医務室に来たのだ。
ルネは大きく溜息を吐いて起き上がった。
「珍しく落ち込んでると思えば……はぁ。なるほどな。んな事があったのか。けど、前も言ったが、やっぱセルジュの女癖の悪さは、昔のルネにそっくりだな。お前は『私はあんなに酷くありません!』ってぷりぷり怒ってたけどよ」
「実際、あんなに酷くなかったでしょう」
ルネはうんざりしているような言い方で答えた。
「いんや? ルネもレオも、女関係は酷かった。ルネはもっと酷かったかもな。真面目だったのは俺とアルだけだ。まぁでも、ルネはラウラと会って変わったし、レオも昔より酷くねぇけど」
「アルはともかく、ヴァルはモテなかったからそう思うんじゃないんです?」
「いんや! モテてたね!! モテまくってたね!! けど俺はサロメ一筋だから――」
「ああ、そうでしたね」
皮肉気味に答え、頬杖を付いた。ヴァルが睨みつける視線を感じたが無視をした。
「教育係をセルジュにしたのは、失敗でしたかね」
「いんや? 俺も教育係はセルジュがいいんじゃねぇかなって思ってたしな。それにもう男って認識したんだろ。なら大丈夫だ。ルネもそう思ったからそのまま行かしたんだろ?」
そう言われ頷いた。そして引き出しから鉄製の鍵と木箱を取り出した。木箱を開け、注射器と薬液が入っているのを確認すると再び閉じた。
「どうした?」
「ちょっと気晴らしに」
ヴァルは眉を上げて「ふぅん」と答えた。
「そういえばライアンは?」
「船長室でレオの仕事手伝ってる。ただ居るだけじゃ悪ぃしな。俺より仕事が出来るってんでレオは喜んでるよ」
「領地管理の? ラファル社の?」
「両方」
「船に乗らなきゃ、もっと楽だと思うんですけどね」
「まぁでも、レオはそろそろ引退を考えてるからな。そん時は俺らも引退だな」
「ですね。でも腹を括ったんですね」
そう言われ、ヴァルは軽く吹き出した。
「笑っちまうけど『白百合号を返しなさい』って手紙が前に比べてかなり多いみたいでな。貸した貰った論争も、もう面倒みたいだ。そろそろ俺らも歳だしいい頃合いだろ」
「なるほど。でも返した所でどうするんでしょう。白百合号で世界一周旅行とか?」
「それは有り得るな。年齢的に一周とまではいかねぇけど、旅行はするかもな。気丈夫な人だから」
ルネは軽く鼻で笑うと、鍵と木箱を持って立ち上がった。
2人は医務室を出た。ヴァルは上甲板へと行き、ルネは錠前が付いた部屋へと向かった。




