1.夢叶う日
ギヌヘイム帝国がアールヴ連合王国を侵略進行した事が発端となった三国戦争は、ミーズガルズ王国がアールヴ連合王国を解放し、ギヌヘイム帝国が撤退するかたちで終わりを告げた。
*****
リヴィははっと息を飲むように夢から覚めた。
現実に感じたその夢は、最後に父アルベールに会った時の夢だった。
あの日、帰ってくる予定ではなかった。
それなのに帰ってきてくれた。
そして直ぐに白百合号へと向かった。
――10年前のあの日。
上半身を起こして、周りをゆっくり見渡し確認する。
そしてここが、10年前に伯父のレオナールから自室として与えられた場所だと確認した。
10年前まで住んでいた部屋は、至って普通の一般家庭の部屋だった。
だがここは、天蓋付きの柔らかいベッド、ドレッサーやソファ、大きなクローゼットなど充実した広い部屋だ。
広いベッドに手をつくと、柄に緑の石が付いた短剣に触れた。
いつもは机の上に置いていたのだが、今日ここにあるのは、ただ単に置き忘れてベッドの上に置いて寝てしまっただけである。
その短剣は10年前まで父親の物だったが、今はリヴィの物だ。
(今更……こんな夢……)
嬉しくて悲しい夢だった。
もう会えない父親に夢で会えたからだ。
頬を伝う涙を指で弾くようにして拭い、ベッドから降りた。そして、テーブルの端に重ねて置かれた手紙を見やり、ドレッサーの鏡を覗いた。
ワンピースの寝巻きを着た、15歳の自分が映っている。ここで自分が5歳だったら面白かったのに、と思ったのと同時に馬鹿らしくなり鼻で笑った。
右手を開いてじっと掌を見つめる。剣と魔法の練習によって、豆が何度も潰れ、所々固くなってしまった手だ。その部分を触り苦々しい表情をした。
ふぅ、と溜息をもらし、壁にある使用人ベルの紐を引っ張った。
「リヴィ! 起きてる?」
「エ――じゃなくて、お母様?」
扉の外から、母オデットの声が聞こえ扉を開ける。
「なぁに?」
扉を半分開けると、すぐ目の前にオデットは立っていた。普段着用の淡い黄緑色のドレスに、柔らかそうな木綿の肩掛けを巻いた格好をしており、手には手袋を持っている。
「昨日言うの忘れてたんだけど、これから朝食お茶会なの。リヴィはどうする? 来る?」
オデットはたまに友人達とこの朝食お茶会を開いている。と言っても、母親合わせて3人の会であり、夕食前までただ長々とお喋りをする会だった。
「んーん。大丈夫。行ってきて」
「そう言うと思ったわ。レオナール様、昨日来なかったって事は今日着くかもでしょう。まぁ気が向いたら来たらいいわ」
オデットは立ち去った。
(――え?)
リヴィは口をおさえる。ずっと楽しみに覚えていた事を忘れていた。
今日はレオナールが帰港し、この邸宅に帰ってくる日だ。
船に乗って仕事をしているので、帰ってくる時はだいたいの予定を手紙でレオナールは出していた。ただ日付は前後する事もあり、今回は昨日帰港予定だった。
リヴィは父親のアルベールが亡くなってから、伯父のレオナールを父のように慕っている。
面倒な時もあるが、大好きで格好良い自慢の伯父である。いつも楽しみにしており、忘れることなど1度も無かった。
(夢のせいだ。伯父様が帰ってくるのを忘れるなんて。しかも、今回は――)
10年前にした願い事を叶えて貰う日だった。
10年間ずっと乗りたい気持ちを忘れなかったら、白百合号に乗る。忘れる事が無かったのは、レオナールのせいである。
剣の稽古も、この日の為にレオナールとしてきた。
やりたくもない稽古を、我慢して続けたのは、剣の稽古をしなければ、白百合号に乗せないと言われたからだ。
固くなった右手を握りしめ、気持ちをリセットするかのように、大きく息を吸い込みゆっくりと吐いた。
「オリヴィア様。おはようございます。入ってもよろしいでしょうか?」
再び扉の外から声が聞こえた。
「エマさん、おはよう! いいよ!」
今度は20代半ば程の女性が入ってきた。黒に近い緑色のロングワンピースを着ており、首元には、リボンの飾りがついたブローチを付けている。エプロンは着けておらず、メイドとは違う格好をしている彼女は、リヴィの侍女である。
彼女は20センチ程の真鍮の杖を手に持っている。その杖の先には、卵の様な形をした石がはめられていた。
「よく寝られましたか? 本日はとても良い天気ですよ」
リヴィの侍女エマは部屋の中に入ると、大きくたっぷりとした布のカーテンをあけた。
雲ひとつない、綺麗に晴れた朝だ。
そして部屋の所々にある蝋燭のように部屋を照らしていた光源石に、持っていた杖先の石をカツンと音が鳴る強さであてた。
特定の石に触れると光ったり消えたりする光源石は、戦争の発端となった魔鉱資源の1つだった。
「それから港から連絡があったようです。『予定を済ませたら行く』との事。午前中には着くと思われますよ」
そう言いながらエマはクローゼットを開け、膝丈より少し長い白く柔らかい綿のワンピースドレスを手に取った。
以前この服を着た時、レオナールから「寝間着で外出するな!」と言われた事を思い出したが、今の若い子の流行りはこれだと教えて着ている1つだ。
手際よく着替えさせられると、ドレッサー前に移動し、緩く癖のあるふわりとした黒髪を梳かされた。髪を梳かされている間に、ドレッサーの上にあった菓子器から金平糖を1粒取り出して口に入れた。毎朝金平糖を1粒食べるのが習慣だった。
洗面所へ向かい、顔を洗いながら目にゴミが付いてないかと、翡翠色の瞳を鏡で覗き込んだ。
身支度を整え、エマとは別れた。そしてダイニングルームへと降りる。
「おはようございます、オリヴィア様」
「シュエットさん、おはよう」
40代後半程の紳士的な執事に向かってそう言い、席に着いた。
焼きたてのパンはまだ温かくふわふわだった。オムレツは今焼かれたものが届き、中身がとろっとした熱々だ。ソーセージもパリッと肉汁が溢れ出す。サラダも領地から取れたばかりでとてもみずみずしい。ドレッシングも作りたてだった。
執事シュエットは絞りたてのりんごジュースを入れながら「もう聞かれましたか? レオナール様、本日帰られます」とリヴィに言う。
「聞きました! はやく会いたいなー」
シュエットは微笑んで「もうすぐ会えますよ」と言うと、後ろに控えた。
白百合号に乗ったら、もうこんな美味しいご飯は食べれないだろう。
リヴィは家事をした事がない。5歳まで平民の暮らしをしてきたが、その時にも使用人は2人いたのでやっていない。なので「悪いのでお手伝いします」等という性格の良い事も言わなかった。やってみたいと思った事がないからだ。
だが家事手伝いをしない分、時間は空く。そして、リヴィの空いた時間は剣と魔法の稽古に費やされた。
レオナールに「海は海獣や海賊が出て危険だ。だから強くなくては白百合号には乗せれない」と言われ剣術を教わった。
ありがたい事に、レオナールは王国屈指の剣の腕前を持っていた。
だがそれゆえ厳しく――辛くて嫌だと嘆いても「そんな弱くては白百合号に乗せれない」と言われ教え込まされた。
その甲斐あって、剣の腕前はかなりのものだった。
何よりレオナールにもう乗れる腕前かと聞いた所「乗れる」とお墨付きを得ている。
――全ては、あの風の剣に選ばれた時から始まった事だ。
朝食を終え、自分宛に届いた手紙を受け取って歯を磨き自室へ戻る。そして、手紙をテーブルへと投げ置き、本棚へ行ってレオナールを待つ間に読む本を探した。
どれにしようかと指で本を追っていると【建国記 ―第1部― パランケルスと精霊の国】【建国記 ―第2部― パランケルスの魔具】の2冊に目が止まった。これは、絵本になっている子供用とは違い、活字の分厚い本だった。
第2部は、リヴィが持っている風の剣について書いてある。
あの日父親が絵本を自分に読もうとしたが、断ってしまい読んでもらうことは無かった。
今思えば読んでもらえば良かったとも思うが、あんな短時間ではほとんど読めなかったであろう。
だがやはり後悔は拭えない。
この2冊は何度も読んでいるが、最近読み直そうと【建国記 ―第1部― パランケルスと精霊の国】を、昨日全て読んでいる。なぜ読んだのかと言われれば、ただ何となくで理由はない。
絵本と違い端折られず書かれたその本は、1000年以上前に書かれたとされている。
夢を見た事もありこれも何かの縁なのかと、【建国記 ―第2部― パランケルスの魔具】を取って応接室へと向かった。
本当は外でいち早く出迎えたい。だが以前、寒い日に外で待っていたところ、風邪をひいてしまった。そのせいで風邪をひいたかどうかも分からないのに、外で待つ事を禁止にされ、仕方なく応接室で待っている。
そして挨拶をした後は、少し話してすぐに自室へ戻り再び本を読む。あまり出かける事はしなかった。レオナールが居る時に出かけるのは、少し面倒だったからだ。
階段を降りて玄関ホールと廊下を通って応接室へと入ると、豪華なソファとローテーブルが目に付く。
そしていつも待っているソファの場所へと座った。
本を半ばまで読んだ頃、部屋の外が騒がしくなりレオナールが帰ってきた事に気付き、応接室の扉が開いた。
「リヴィ。ただいま」
落ち着いた声で呼びかけられた。
歳は30歳半ば、身長は170センチメートル後半程の男が微笑んで立っていた。
白いシャツに深緑色のベスト、黒いズボンと膝までのブーツという船乗りの格好だ。右手の人差し指には、深碧の宝石がはめられた指輪が見える。
緩く癖のある黒いミディアムヘアに、真ん中に分けた長い前髪。短く錨の型に整えられたアンカー髭が、どことなく気品を漂わせていた。
「伯父様、おかえりなさい」
本を置いてリヴィがかけ寄ると、レオナールは両手を広げ抱擁を交した。そしてリヴィは、レオナールの翡翠色の瞳をじっと見つめ「遅かったね」と、1日遅れて帰港してきた事に対しての文句を言った。
「……ちょっと……いろいろあってな」
レオナールは苦笑いをした。
リヴィはレオナールの後ろに目をやった。
「ヴァルおじ様とルネおじ様は?」
2人は伯父や叔父というわけではないが、レオナールを伯父様と呼んでいる流れから、2人の事もおじ様と呼んでいる。いつもならその2人も入ってくるのだが、今回は入って来そうにない。
レオナールは小さく溜息を吐き、リヴィを見た。
「少し2人で話しがしたい」
そう言われ、白百合号についてだと分かった。
心臓が高鳴る――夢叶う日だ。
今日という日を約10年待ち望んでおり、顔は自然と笑顔になった。
「うん!! いいよ!! 喉乾いたな。シュエットさん来た時頼もうかな」
そう言って興奮気味にソファに向かうリヴィは、レオナールが、複雑な表情をしている事に気づいていない。
2人はソファへと座った。
「――で、伯父様。白百合号の事でしょ?」
満面の笑みでレオナールに話しかける。
「――その事なんだが」
神妙な面持ちでリヴィを見つめる。
この時リヴィは異変に気付いた。笑みをやめ、怪訝そうな顔でレオナールを見る。
「え? 何?」
レオナールは大きく溜息を吐いた。
そして重い口を開く。
「白百合号には、危険だから乗せれない」
時が止まったかのようにシンと静まる部屋。
実際リヴィの時間は止まった。
心臓が鷲掴みにされるように、一気に胸のあたりが冷たく感じた。
リヴィは顔が強張り、睨みつけるようレオナールを見る。
「……なんで?」
「その……」
レオナールは理由を話す。
だが全くもって了承出来るような理由ではなかった。
懇々と怒りが沸きあがる。こんなに伯父に怒りを感じたのは初めてだった。
「……リヴィ?」
冷たく感じた胸のあたりに、溶岩が吹き出るような熱さを感じた。身体は震え、強く握り締めた手は、爪が食い込み痛みを感じたが広げることは出来なかった。
辛い稽古は何だったのか。
白百合号に乗る為だけにやってきたあれは?
「伯父様の……」
呼吸を整え、一気に空気を肺へと取り込み、再びレオナールを睨みつけた。
そして――。
「嘘つき!!!!!!!!」
肺に送り込んだ空気を一気に出した。
それは、邸宅全体に響き渡る声だった。




