13.知らない準備
白百合号出港の日。
昼前、セルパンの下刻――。
「こんなものかしら?」
ライアンの部屋でリヴィは椅子に座り、体には髪が落ちてもいいように布が巻かれていた。そして下には新聞紙が敷いてあった。
目の前でサロメがハサミを持って腕を組んでいる。その後ろにはヴァルとルネが立ってリヴィを見ていた。
「「アルと一緒」」
*****
リヴィはこの日、妖精のフォークで馬車を降り、馬車は戻ってもらった。
「絶対に他の場所で降りないから1人で妖精のフォークに行かせて欲しい」と、レオナールに頼んで許可を貰った。許可が貰えなければ、オデットと共に行こうかと考えていたが、案外あっさり許可してくれた。
店に着き、4階の扉を叩いてルネを呼ぶ。そして共にヴァルの家へと向かった。ヴァルはルネの顔を見ると「てめぇ薬わざとだろ」と掴みかかり、ルネは「間違っただけです」と言い少し揉めた。
そんなヴァルをサロメがなだめ収まった。
まず先に髪を切った。2人は髪を上手く切る自信が無いと言い、サロメが切る事になった。その間、風の剣にヴァルが細長い布を巻いた。
――冒頭へ戻る。
リヴィの胸あたりまであった緩く癖のある黒髪は顎くらいの長さになり、前髪は目が隠れるように長かった。
「やっぱ目の色と髪はアルやレオと同じだな。顔はオデットだけど」
そう言われリヴィは嬉しかった。元舞台女優である母は、美人だと言われていたからだ。
「もう少し切る?」
「いや、いいんじゃねぇの?」
「短すぎると髪で顔を隠せませんからね」
体に巻かれた布を取り、手鏡を見た。
「軽く感じる。あと本当にお父様と同じだ」
髪型は完全に同じだった。違うのは顔だけといった感じだ。
「そういえば胸はどうするの? リヴィ、結構ある子よ」
「サロメさん!」
分かってはいるが改めて言われると恥ずかしい。ここ数年で胸は急成長した。小さかった胸は大きくなった。
ルネは荷物からくるくると巻かれた布を取り出した。
「サラシを巻きます。リヴィ、巻いたことあります?」
首を振りながら「んーん」と答えた。
「ですよね。では、私が巻きましょう。後ろ向いて上脱いで」
「うん」
そう言われふとヴァルに気付く。
「ヴァルおじ様出て行って」
「え、何で。後ろ向くんだろ? それに、もし見えた所でリヴィのおっぱいなんかなんとも――」
「いいから出て行って!」
「ルネはいいのに何で――」
「ルネおじ様はお医者様でしょ!!」
リヴィはヴァルを部屋から押し出した。
「あの人、リヴィのことまだ3歳くらいだと思ってるわ」
ルネに背を向け仏頂面で上を脱いだ。ルネはサラシを巻いていった。
「どうして? 身長も大きくなったし、学校も卒業したって知ってるのに? う、ちょっと苦しっ」
「まぁ、いつまでも子供にしか見えないのでしょうね。苦しいのは我慢して下さい」
「がっ、がんばっる……」
「シャワー入った後は巻き直してあげますけど、タイミングによっては毎日入れないかも知れません」
「うん……」
「香水はいつものはつけないで下さいね」
「持って来てないから大丈夫」
朝、危うく香水をつけそうになったのは内緒である。話し合いで言われていたのだが、習慣というのは恐ろしい。
「では注意事項をおさらいしましょう。言ってみて下さい」
「1つ、伯父様の事は船長、ヴァルおじ様は副船長、ルネおじ様はルネさんって呼ぶ。2つ、伯父様の前には行かない。3つ、魔法は控える。4つ、敬語を話す。5つ、私の名前はリヴィオ」
「そうです。覚えましたね」
「うん。でも、ルネおじ様は愛称でいいの? アンジュリュンヌさんじゃなくて?」
「名前より『ルネ』の方が呼びやすいでしょうからそっちで呼んで貰ってます」
「そっか、残念。ルネおじ様の名前好きなんだよね。キラキラして可愛い名前だもん」
「………………ありがとう。でもそれヴァルの前で絶対に言わないで下さいね。ああ、それから今日はヴァルの部屋で過ごして下さい。次の港で新人は取るので」
「この苦しいの、次の港で巻くのは駄目だったの?」
「そうしたかったんですけど、次の港はちょっと忙しいので。慣れる為と思って我慢して下さい……よし、終わり」
そしてサロメから服を渡され、パーテーションの裏で着替えた。白いシャツに茶色いズボンは、数年前にライアンが着ていた服でゆったり大きかった。
「良いですね。そうだ、サロメ。ヴァルは二日酔いの日、どんな様子でした?」
「……それが」
サロメはその日の事を思い出し、急に吹き出して口を抑えて笑った。
「もう……おかしくって……二日酔いの薬飲んだら……咳込んで苦しそうにした後……声が……」
余程面白かったのか笑いながら話した。リヴィはその日ヴァルと話していない。声が出なくなった、と筆談をしたからだ。
そして今、あの時ヴァルが声が出なくなったのはルネの薬を飲んだからだと察した。
「もう、うちの人で遊ぶの止めて。面白すぎて大変だったんだから」
「遊んでないです。渡す薬を間違えたんです。まぁでもいい感じだったみたいですね。んー、見たかった。怒りに任せて渡し間違えなければ良かったですね」
ルネはニヤニヤと笑いながら言い、ポケットから青い紙に包まれた薬を出した。
「では、最後の仕上げです。これを飲んでもらいます。サロメ、ヴァルに入ってもらっていいですよ」
サロメはヴァルに中に入っても良いと伝えた。そしてヴァルはルネが持っている青い紙を見て、嫌悪感を露にした。
「安心して下さい。飲むのはリヴィです。こんな薬、悪戯以外に役立つことは無いと思ってたんですけど」
「いつ作ったんだよ、それ。知らねぇぞ、そんな薬」
「数カ月前ですかね。そもそも、これは失敗作なんです。姉さんに頼まれて、違う薬を作ろうとして出来たのがこれなんです。ですがせっかくなので色々実験してたんです。報告はあと2人くらいに治験をしてからと思ってたので、レオも知らないです」
「……そのあと2人の治験に俺を使ったのか」
「間違ってですけどね」
ルネは意地悪げに笑う。ヴァルはギリッと奥歯を噛み締め、ルネを睨みつけた。
「レオにはそんな間違い絶対しねぇだろ」
「そりゃあ間違う相手は選びます」
「間違う相手を選んでる時点で間違ってねぇんだよ!!」
「もういい加減にしなさいよ。リヴィの前なんだから」
ヴァルは言い足りなかったが、無理やり口を閉じた。
「ではリヴィ、これを飲んで。これは明日でも良いんですけど、確認したいので。舌の上でゆっくり溶かすようにして飲んで下さい。なるべく時間をかけてね」
リヴィは薬を渡された。受け取った青い紙をじっと見つめる。
「何で声が出なくなる薬を飲むの?」
「ん? 何の話です?」
「リヴィ、ヴァルは声が出ないって嘘を吐いたのよ。本当は出てたの」
サロメは再び思い出してクスクスと笑っている。
ヴァルはうんざりといった顔でサロメを見ていた。
「これを飲むと男の子っぽくなるんです。飲んだ直後は喉に痛みを感じる様ですが」
リヴィは青い紙を開いた。中には青、白、紫色の粉がキラキラと光っていた。
口を開けて斜め上を向き、舌の上に粉薬を乗せた。甘酸っぱく、とてつもなく不味い苺のような味だった。
苦虫を噛み潰したような表情で、唾液で溶かすようにして少しずつ飲み込んだ。
「飲んだ……うっ」
喉に違和感を感じた。チクチクと針の束で刺されるような痛みと、一気に喉が乾くような感じがし咳込んだ。症状は1分程で収まった。
「何か話して下さい」
「何かって何を……」
リヴィはハッとして喉をおさえた。自分で発した声は、明らかに自分の声では無かった。男の子の様な低い声だ。
「成功ですね」
「うえ、何これ変な感じ」
「変声薬、と名付けました。水で飲んだり、早く飲んでしまうと効果が短いので、さっきみたいに飲んで下さいね」
「男の子って感じ。リヴィに合ってるわね。ヴァルはソプラノ歌手みたいな声になったのよ」
「え!?」
聞いてみたいとリヴィは思った。それは確かに笑ってしまうかもしれない。
「『あいつ殺す!』って甲高い声で言うもんだから、もう面白くって」
「俺は本気でルネに殺意が湧いたぞ」
「まぁいいじゃないですか。で、リヴィ。白百合号に乗ってる間は飲み続けますよ」
「わかった」
リヴィがそう言うとお腹がぎゅるりと鳴った。恥ずかしげにお腹を擦りながら「お腹空いてきちゃった」
と俯いた。サロメは微笑んで「そうね、私もよ。お昼並べてくるわ」と、部屋から出て行った。
いつもは使用人が作っている。だが今日はリヴィがいることを知られないよう、昨日夕方から休暇を取らせ旅行に行かせていた。
だがサロメは料理を作った事がないので、食事は外食で済ませている。今日の昼食はラウラがルネに多くのサンドウィッチを持たせてくれたので、並べるだけで済んだ。
「リヴィ、忘れ物はねぇか?」
「うん、大丈夫」
「あ、そうだ。リヴィ、箱の中に入ってみろ。大きさ確認する」
ジャード港で背格好がリヴィに似ている新人が、ヴァルとルネと白百合号に一緒に乗ってくるのは明らかに怪しい。名前はルネとヴァルがリヴィと呼んでもいいよう、『リヴィオ』という名前で白百合号に乗る。
いくら新人と話す機会がないレオナールでも、気付く可能性がある。
それらを理由に、リヴィはこのジャード港ではなく次の港であるスフェンヌ港で他の新人達と共に採用された、という事にしなければならなかった。
その為には白百合号に乗り込む所を、他の船員達にも見られてはいけない。なので箱に入り、その箱をヴァルが運び、今日1日はヴァルの部屋で過ごす方法でやりきる。だがリヴィは2人に言わなければならない事があった。
「あの、私、出来る様になった事があって。まだ伯父様に言ってないから、出来ないと思ってその方法をとろうとしてるんだろうけど……」
「なんだ?」
「あのね、私、姿消せるようになったよ」
2人はキョトンとした表情でリヴィを見た。
「「え?」」
「早く言えばよかったんだけど、これ出来るようになったのつい最近で、本当は伯父様に今回言うつもりだったんだけど、あんな事になって言えてな――」
「ちょ、ちょい待ち」
2人はリヴィを怪訝そうな顔で見つめる。
パランケルスの魔具はそれぞれ世界で1人しか使えない。加護者が死ななければ、次の加護者は現れない。
なので、魔法の使い方を前加護者から教わるという事は出来ない。かといって他に魔法が使える人もいない。何が出来てそれがどうすれば出来るのかは、書物を読まなければならなかった。
リヴィはラファル家に代々伝わる、1000年前に魔法について書かれた本を読んだ。だがその書物には姿を消す魔法は書かれていなかった。
では何に書かれていたのかと言うと、9代前の加護者のジュヌヴィエーヴの日記である。彼女の日記には隠しページがあり、姿を消す魔法について書いてあった。
「やってみてくれ……見てみたい」
リヴィは机の上に置いてある、布が巻かれた風の剣を手に取る。いつもは柄の部分の宝石に触れて魔法を使うが、布が巻かれているため触れない。布の上から触っても出来るのだろうかと疑問に思った。
「出来るかな……」
目を瞑って集中した。姿を消す魔法は1番集中しなければならなかった。
「《エアリエル》」
リヴィはそう呟いて目を開けた。2人はリヴィを見て、キョトンとしていた。
「あれ? 消えてない?」
「いや、消えてる」
「でもこっち見てる」
「さっきまでそこにいたから、見てるんだ」
なるほど、と思い試しにゆっくり足音を立てずに動き、2人の横に並んでみる。
2人の見ている位置は変わっていなかった。成功している。布の上から石に触れていても魔法は使えるようだ。
「どう?」
そして姿を現した。2人は横にいたリヴィに驚いた。ヴァルとルネは顔を見合わせた。
「ただこれ凄く疲れるの。お父様もそうだったのかな」
少しの時間使うだけでも、かなり体力を消耗した。日記にも【どの魔法よりも疲れ、長時間の使用は困難】と書いてあった。
「でも乗り込むくらいなら大丈夫」
「3人ともー。ご飯並べたわよ。食べましょう」
「はぁい!」
リヴィは部屋を出ていった。ヴァルとルネは唖然とした顔をして突っ立っていた。
「あんなのアルはやってねぇよな」
ルネは頷いた。という事は、レオナールもこの魔法の存在を知らないのである。本が嫌いなレオナールは、魔法について書かれた本を読む訳が無かった。
2人は部屋を出ながら1カ月無事に過ごせる事を願った。




