12.いない理由
2日後の朝、ドラゴの上刻――。
ダイニングルームでは、正方形のテーブルでリヴィとオデットが朝食を摂っていた。
「シュエットさん。本当に伯父様来るの?」
「はい、来られますよ」
部屋の扉近くにシュエットが控えている。昨日レオナールは一日中降りて来なかった。だが、今日は違うらしい。
リヴィはレオナールと会いたくなかった。だがオデットがそれを許さず、外出の件は謝りなさい、と一昨日も昨日も揉めている。
そしてレオナールが部屋に入ってきた。視線をチラリと移す。
「おはようございます。レオナール様」
「伯父様、おはよう」
レオナールは挨拶を返して気まずそうに席に着いた。
昨日朝、従僕が薬局で薬を買ってきた。薬を飲んでも全快という訳ではなかった事と仕事をしていたので、レオナールは部屋に引きこもっていた。
なので一日中会わなくて済んだのだ。おかけでリヴィも助かった。
「リヴィ、言うことあるでしょ」
リヴィはムスッとした表情で、目の前のクロワッサンを見つめながら「1人デ、ガイシュツシテ、ゴメンナサイ」と謝った。
完全に棒読みである。本当は言いたくなかった。なんなら謝って欲しいくらいである。
「リヴィ!」
母親の叱責はどうでも良かった。
白百合号に乗れはするが、やはり堂々と無期限で乗りたい。だがあの場でそんな事を言うのは我儘すぎる。
「いい、オデット」
リヴィは怒られなかった事に驚いた。もう少し何か言われるかと思い、身構えていたが必要無かったようだ。
「ですが――」
「いい、本当に。リヴィ、次からはするんじゃない」
リヴィは返事をせずにクロワッサンを口に入れた。返事をしなかった事をレオナールは咎めなかったが、オデットはリヴィに厳しい視線を送る。リヴィはオデットと目が合うも、ふいっと逸らした。
オデットは溜息を吐き、仕方なく話題を変える。
「レオナール様。お話があります」
レオナールはオデットを見遣る。
「何だ」
「リヴィは妖精のフォークで働く事になりました」
これは昨日、ルネの家に行きルネと話し合った事だった。妖精のフォークの建物は4階建てだが、1階は店舗、2階は事務所や資材置き場。そして3階、4階は住居となっている。この4階にルネとラウラは住んでいた。
ルネの家に行った理由はちょっとした問題があったからだ。それは1カ月間リヴィが家に居ない事を、使用人や周りにどう説明するかという事だ。
先にオデットがルネを訪ねリヴィはヴァルの家へと行く。そしてヴァルをルネの家へ連れていく手筈だったが、彼は気分が悪いのと何故か声が出ないらしく、来る事は出来なかった。
だが筆談で、「話し合いの結果は教えて欲しい」という事と「ルネに『殺す』と伝えてくれ」という謎の伝言を預かった。
伝言を伝えるとルネは笑い、水色の紙に包まれた薬をリヴィに渡して、帰りに渡すよう言われた。
3人で話し合った結果、リヴィが白百合号に乗っている事を、知っている人物は少ない方がいいので、使用人達にも言わない事となる。
1カ月間ラファル邸にいない表向きの理由は、妖精のフォークで働く為ルネとラウラの家に泊まり込みで菓子作りを教わっている、という事にした。
この事はレオナールに伝えなければならなかった。リヴィがラファル邸に居ない情報が、レオナールに漏れるかも知れないからだ。そうなれば彼は戻ってきてしまう。
「……働く?」
レオナールは不可解であると言う顔でオデットを見る。
「何か問題でも?」
オデットはレオナールをみて首を傾げる。
「いや……なぜ働くんだ?」
「本人がやりたがっているからです」
レオナールは顔をしかめリヴィを見た。
「そうなのか?」
「そうだけど、何?」
「いや……で、いつからやるんだ」
「明後日から」
レオナールは少し考えるようにして食事を摂る。オデットは続けて話した。
「それで少しの間ですけど、お菓子作りを学ぶのに、リヴィはラウラの家に泊まり込みで働きますね」
レオナールはコーヒーを飲む手を止めた。
「なぜ泊まる? 通えばいいだろう」
声色は不機嫌そのものだった。
「慣れないうちは疲れますし、そのまま泊まらせてしまおうかと」
「この家を出るって事か?」
「少しの間です。余裕が出来れば通いにします。何か問題が?」
「大ありだ。何も聞いていない」
リヴィの事は、レオナールとオデットで決めている。
魔具管理者であるレオナールは、魔具と魔具加護者の管理が義務だった。魔具加護者については、魔具管理者の言葉が優先される。
これは法で決まっている事だった。
だからといってオデットは黙っておらず、レオナールもなるべく意見は聞くようにしていた。だがそのせいで衝突も多かった。
「まずは俺に相談をするべきだ」
「昨日、決まりましたのよ。相談しようにも、ご気分が悪かったみたいですし」
リヴィは2人を交互に見ていた。伯父と母が喧嘩になるかと冷や冷やしていた。
「そもそも、リヴィを働かす必要がない」
「本人がやりたいと言っています」
「オデットがやる事がないのなら菓子職人になるかって言ったんじゃないか?」
「……そうですが、それは重要ですか?」
「重要だ。言われて仕方なく――」
「伯父様!!」
リヴィは大声を上げて2人のやり取りを止めた。
「嫌なら断ってる。やりたいって言ったのは私なの! それとも伯父様はそれも駄目って言うの?」
レオナールはじっとリヴィをみて、溜息と同時に目を逸らした。
「好きにしたらいい」
あまりいい空気とは言えない食事だった。
そんな時、20代前半程の従僕が銀のトレイに手紙とペーパーナイフを乗せて部屋へと入ってきた。
「お手紙です」
従僕はレオナールにトレイごと差し出し、レオナールは手紙とペーパーナイフを受け取った。差出人を見て、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。手紙を開けて数分黙って読んだ後、リヴィを見た。
「そう言えばリヴィ。水の弓矢加護者が死んだのは知っているか?」
リヴィはリンゴジュースを飲む所だったが飲むのをやめた。
「知ってる。新聞見た」
魔具加護者同士、特別な繋がりがある訳ではない。だがリヴィは、水の弓矢加護者に1度助けられた事がある。
リヴィが加護者だと判明した後、虹霓会議の為に王都へ行った。
レオナールが会議に出席している間、エマが博物館に連れて行ってくれたが、迷子になってしまった。5歳だったリヴィは、途方に暮れ泣いていた。そこを、たまたま来ていた水の弓矢加護者、マリユス・オー・トランに助けて貰ったのだ。手を繋ぎ、一緒にエマを探してもらった。
――優しいお兄さんだった。
数十分後、海よりも蒼い顔をしたエマと再会した。泣きながら謝られ、リヴィも大泣きした。
そしてエマは、会議後の不機嫌なレオナールに猛烈な説教をくらったのだった。
だがそれ以降、彼とはほぼ関わりはない。
レオナールと水の弓矢管理者でマリユスの従兄弟である、エルキュール・オー・フルーブは仲が良くないと聞いていたので、わざわざ関わりを持つ事は無かった。
そんな思い出があったせいか、新聞は普段読まないのだがエマが書いてある所を見せてくれたのだ。
「そうか、それで虹霓会議をやるのだが、日程が決まった」
虹霓会議とは、王都にあるグラズへイン宮殿で開催され、代表者が集まり重要議題を議論する場である。
「そうなんだ」
「来月上15日にやるぞ」
「ふーん」
「リヴィも行くだろ?」
レオナールは手紙を封筒にしまいながら聞いた。だが返答は彼にとって思いもよらない返事だった。
「行かない」
手の動きを止めてリヴィを見る。
リヴィは虹霓会議がある時はいつも一緒に行っていた。なぜなら王都は、雑貨屋や洋服屋、そして飲食店等もお洒落なお店が集まっており、行くだけで楽しかったのだ。
だがもうそんな気分では無かったし、来月上15日はまだ白百合号に乗っていると思われる日にちだった。
「いつも行くではないか」
「でも今回はいい」
「リヴィの好きな王都だぞ。服も何か好きな物を――」
「いい!」
「…………セゾニエのお爺様とお祖母様も楽しみにしているし、王都ラファル邸――」
「いいの!! 今回は行かないの!! お菓子作りの勉強するの!!」
レオナールは目を見開いた。リヴィはリンゴジュースを一気に飲んだ。
「ごちそうさま!!」
そして立ち上がりダイニングルームを出た。レオナールはコーヒーカップを持ちながら、リヴィの姿を目で追い、居なくなると溜息を吐いた。
「レオナール様、わたくしの父と母をダシに使うのはおやめ下さい」
「実際、楽しみにしている。それよりも、本気でリヴィを働かせるのか?」
「そうと言っていますでしょう。先程から何が気に入らないのですか?」
そう答えカフェオレを飲んだ。
「変な客が来たらどうする」
オデットは唖然とした顔をした。
「そんな事を気にしているのですか?」
「気になるだろう。それでリヴィが嫌な思いをしたらどうする」
「それも経験です」
「しなくていい経験だ。あまり嫌な思いをさせたくない」
「そもそも! リヴィはお菓子作りがメインなので、表には出ませんからそんな心配はなさらないで下さい!!」
嘘1つ吐くのも大変であると、オデットは思い知った。だいたい白百合号に乗せない時点で、リヴィは嫌な思いをしている。どの口がそんな事を言うのかと、信じられない思いだった。
オデットはカフェオレを置き、レオナールを見据えた。
「それが嫌なら白百合号に乗せてあげて下さいな」
「……オデットは、大事な一人娘を海に出して平気なのか?」
「レオナール様がいれば大丈夫だと思っています」
レオナールは視線を落とした。
「だがアルは――」
「アルは戦争で死んだのです。何度も言っている事ですよ」
レオナールは持っていたコーヒーカップの取っ手を強く握った。
***
「オリヴィア様、お手紙です」
リヴィは自室に戻った。そして本を読もうかと考えていた時、エマが扉を叩いて部屋に入ってきた。
「今?」
「レオナール様がいらっしゃいましたので、個別にお渡しした方が良いかなと」
普段、手紙は朝食時に渡されていた。手紙を受け取り差出人を見て、胸が締め付けられ悲しみが込み上げた。そして手紙をテーブルへ投げ置いた。
「……朝に渡されなかったから、今日は来ないかと安心してたのに」
「そうでしょうか。『手紙が来なくて安心』ではなく『手紙が来て安心』の間違えでは?」
「エマさん!!」
エマはふふっと笑い、リヴィが投げ置いた手紙を取り、もう一度リヴィに渡した。
「あれから毎日ですよ。お手紙が届くのは。騎士学校はお忙しいのに」
「そうだけど……」
リヴィは顔をしかめた。
「とても誠実な方だと思います」
「『誠実な方』はあんな事しない」
「そうですね。だから何かの間違いだと思いますよ。オリヴィア様に夢中な方でしたから。せめてお手紙を読まれてみては?」
エマはテーブルの端に重ねて置かれた、封を開けられていない手紙を見る。
リヴィは視線を落とし、差出人の名前をじっと見つめた。
【ライアン・ヴァン・カルム】
エマはペーパーナイフを渡し、リヴィは1度躊躇して手紙を開けた。




