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11.閑話 使用人

 夜中、サングリエの下刻――。


 レオナールは目を開き、天蓋付きベッドの天井をみる。

 呆けた頭でじっと見つめ、ここが白百合(リスブロン)号でなく自宅である事を思い出した。そういえば帰ってきたんだと、上半身を起こすとズキリと頭に痛みが走る。

 

 ――完全な飲みすぎである。

 

 気だるい体に鞭をうち、ルームシューズを履いて立ち上がるとガウンを羽織った。ルネから貰った二日酔いの薬はどこにやったと考えると、そもそも受け取れていない事に気付いた。


「あんの……クソッ」


 王都役人のせいだと悪態を吐く。

 時計を見ると日を跨ぎそうな時間であった。こんな時間に使用人ベルを鳴らした所で意味は無い。仕方がないので、一縷の望みをかけて台所がある地下へと降りた。一段一段降りるたび、頭に痛みがはしる。


 台所へと着くと、壁に掛けてあった卵型の石が付いた真鍮の杖――点滅杖を取り、光源灯に触れて回り明かりをつけた。コップを探し出し、水を入れて飲みながら薬を棚という棚を開けて探し回った。


「無いな……」


 そう独り言を呟いた。そもそも薬がある場所など全く知らないので、台所にあるのかも分からなかった。

 次はどこを探そうかと考えていると「何をお探しですか」と、急に横から声をかけられビクリと肩を震わせた。


「驚いた……シュエットか」


 レオナールは声がする方を見る。そこには光源石の提燈(ランタン)―― 石堤燈を持った執事のシュエットが、寝巻き姿で立っていた。

 仕事中はオールバックにされた髪は、今は下がっている。


「驚かせてしまい申し訳ございません」

「誰も居ないと気を抜いていた。よく分かったな」

「そんな気配がしましたので」


「……時々シュエットが怖く思うよ。シュエットの気配は全く分からないしな」


 シュエットは足音をたてないばかりか、気配を消すことも上手い。目を瞑っていても気配があれば物を投げて当てれるレオナールだが、彼の事は分からなかった。


 執事は足音を立ててはいけない、気配を感じさせてはいけない。


 これは代々ラファル家に務めるシュエット家の決まりである。だがこの決まりのせいで主人を度々驚かせてもいた。

 彼はレオナールの父が当主であった時から務め、初めは雑用だったが、今ではこの屋敷を管理する執事をしている。


「もう気配を隠すのやめないか?」

「ご冗談を」


 冗談では無かった。王都の使者が来た時はわざわざ気付かれるよう気配を隠していなかったのに、と思った。


「それで、何が無いのでしょうか」

「ああ……二日酔いの薬はないか。ルネから貰いそびれた」


 シュエットは目を見開いた。あの時二日酔いの薬は受け取っているものと思っていたからだ。


「大変申し訳ございません。御用意しておりません」


 二日酔いの薬は常備薬として置いていなかった。泥酔するまで飲むのはレオナールしかおらず、そのレオナールも家を留守がちなので、あまり使用しない為だった。何より、ずっと前にレオナールから『ルネから貰うので買わなくていい』との指示があったからだ。


「だよな。……はぁ、あの役人のせいだ。腹立たしい」


 レオナールは仏頂面で水を飲み、シュエットは軽く微笑んだ。


「明日、ルネ様の所へ――」

「いや、いい。折角の休みだ。ルネの所には行かなくていい。薬局で買ってきてくれ」

「畏まりました」

「因みに……薬は普段どこに置いている?」

「使用人ホールにございます」


 レオナールは自分で自分を嘲笑った。ある筈のない台所を探していた自分が滑稽だったからだ。


「他に御用はございますでしょうか」

「そうだな……水差しは何処だ。部屋に持っていく。後は……」


 レオナールは俯き他に何かないかと考える。シュエットはその言葉を聞き、一瞬眉を上げたが直ぐに戻した。


「……聞きたい事がある」

「何でしょうか」


 レオナールは聞きずらそうに顔を歪ませた。


「リヴィは……いつ帰ってきた」


 不安そうな顔でシュエットを見る。


「夕食前にオデット様とご帰宅をされています」

「そうか――どんな様子だった?」

「そうですね……。清々しい顔をされてはいたかと」

「清々しい?」

「はい。何故かは分かりかねます。それから、オリヴィア様はエマに謝罪をしています」

「そうか……他には?」


 シュエットは言いずらそうに俯いた。


「あまりいい事では無いんだな。言っていい」

「――畏まりました。オデット様が、レオナール様に謝罪するように言いましたが、『刺される、会いたくない』と拒否を。少し揉めましたがレオナール様は眠っていましたので、また今度、と私が申しまして母娘喧嘩は終わりに」

「え? 刺される?」

「はい」


 何の事だと考えた。すると急いで階段を降りる音が聞こえた。その足音は台所へと近づく。


「あれ? 明かり?」


 台所に入ってきた20代後半の男は2人を見た瞬間、しまった、という顔をした。

 

「シュエットさん……レオナール様も……」


 男は俯いた。

 シュエットは目を細めて微笑む。


「ジャン、ちょうど良かった。水差しとグラスをレオナール様の寝室に持って行って欲しい」

「はい……。すぐに」


 ここラファル邸では、使用人達は役割を兼任していることもある。

 執事のシュエットは執事の仕事だけでなく、領地管理もしている。因みに領地管理はオデットもしている。リヴィの侍女エマはオデットの侍女もしている。リヴィとレオナールが王都へと出かけた時は、エマも一緒に行く為、その時は家政婦長のイブウがオデットの侍女を兼ねる。


 他にも使用人はいるが、屋敷の規模の割に少なかった。それはレオナールが留守にしている事が多いので、客を招く事が少ないのと、オデットもリヴィも遠出をして宿泊するという事がない為、兼任でもやっていけるからだった。


 だが催事の際には足りず、その時には他の屋敷から応援を呼んでいた。ヴェストリ地方にいる貴族達は、事情を知っているので喜んで使用人を貸し出した。


 そして先程ジャンと呼ばれた男は、普段は従僕(フットマン)だがレオナール在宅の時は従者もしている。なので彼はレオナールが帰宅している時だけ、いつもより忙しい。


「ジャンは何をしに降りてきたんだ」


 レオナールは疑問に思い首を傾げる。


「ちょっと……忘れ物を……」


 ジャンは苦虫を噛み潰したような顔をし、レオナールは一笑した。


「そうか。シュエットみたいに気配とか言い出したらどうしようかと思ったが――良かった。怖い存在は1人で充分だ。……そうだ。朝食前に風呂に入りたい。用意しておいてくれ」

「畏まりました。ジャン、()()()忘れないように」


 シュエットは「絶対に」の部分を、ほんのり強めに言った。


「承知しました」

「それくらいだな。やっておいてほしいのは」


 レオナールは頭を抑えながら答え、グラスを置く。


「もう聞きたいことも無いし――寝る」

「「おやすみなさいませ。レオナール様」」


 レオナールは台所から立ち去った。足音が聞こえなくなったところで、シュエットはジャンに体を向けた。


「水差しとグラスを忘れるなと言ったはずだよ」

「本当に申し訳ありません」


 シュエットは怒る時は怒鳴らずに静かに怒るタイプである。彼は基本あまり怒らないので、これは精神面に結構くるものだった。


「いつもと違うのも分かるが、しっかりしなさい」

「はい……」


「下に降りてきたのは水差しとグラスの為かい?」

「そうです。何か忘れている気がして眠れなく、思い出して降りてきたんですが……」


 時すでに遅しだった。主人であるレオナールをわざわざ台所まで来させてしまった。大失態である。


「まぁでも、レオナール様は怒っていません。降りてきたのは、水の為では無いので」

「え? ではなんの為に?」

「二日酔いの薬を探しに降りてきたんです。でも無いので、明日シモンに頼んで買ってきてもらわないと」

「よ、良かった……」


 ジャンは安心し、テーブルに手を付いた。


「ほら、ぼさっとしない。さっさと水差しとグラスを用意して。明かりは私が消すから行きなさい」


 ジャンは急いで水差しとグラスを用意し、銀のトレイに乗せてレオナールの寝室へと向かった。シュエットは光源灯を点滅杖で消し、持ってきた石堤燈を持って自室へと戻った。

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