9.交渉
「ただいまー」
ヴァルとルネはヴァルの家へと着いた。
いつもはヴァルの妻サロメが出迎えるが今日はまだ帰ってきておらず、数人雇っている使用人の1人、50代の執事が出迎えた。
「サロメは?」
まだ帰ってきていない事を告げられ残念そうな顔をするも、すぐに酒と酒肴をお願いし部屋へと行く。
2人が飲み直して何刻か経った頃――。
「ただいまダーリン。そして、おかえり。ふふっ、思ってたより2人共とってもいい感じね」
サロメが部屋に顔を出した。
ヴァルは背もたれに寄りかかり、足を前に伸ばして休憩をしている所だった。ルネはテーブルに頬杖をついて、お酒を飲もうとしていた。2人は声がする方を見てサロメに気付く。帰ってきた事に気付かないくらいにはしっかり酔っていた。
サロメはルネに「お久しぶりね」と挨拶をして、だいぶ酔ったルネは微笑みを浮かべ、手を上げて返した。
ヴァルは立ち上がり、ふらつきながら歩く。そしてサロメを前から力強く抱きしめキスをした。
「おかえりダーリン。そしてただいま。愛する夫と久しぶりに会えるってぇ日に、お留守なんて冷てぇじゃねぇのよ」
「楽しいお茶会が長引いちゃって。でね、とっても可愛いお客様よ」
サロメはヴァルから離れ、誰かに部屋に入るように促した。入ってきたのはリヴィだった。続いてオデットも顔を見せた。
「……リヴィ? オデットも? 久しぶりだな」
ヴァルは驚き目を丸くして声を上げた。ルネは飲もうとしていた手を止めてリヴィを見た。オデットは挨拶を返し、リヴィは物凄く小さな声で挨拶を返した。
「元気にして――ないよな」
リヴィの落ち込んだ表情を見て苦々しく笑った。リヴィはそんなヴァルをじっと見つめた。
「ヴァルおじ様と、ルネおじ様にお願いがあるの」「「え?」」
ヴァルとルネは顔を合わせ怪訝そうな顔をした。
「私を、白百合号に乗せて欲しい」
「「え!?」」
2人が座るテーブル横で必死にリヴィは話す。
部屋の扉の前にはサロメとオデットがその様子を微笑んで見ていた。明らかにこの状況を楽しんでいる2人にヴァルは視線を送るも、助けてくれそうにない。
「こんなに努力したのに酷いと思うの! すっごくすっごく大変だったのに!!」
稽古が大変だった事はリヴィの右手を見れば明らかだった。ヴァルは椅子に座り頭を抱え、なんと言えばいいのか分からなかった。
「白百合号に乗りたいならやれって言われたからやったのに」
「そうだな、それはわかるよ。わかるけどな……」
ルネを見るもどうすればいいのかといった顔をしている。お互いなんと言って諦めさせればいいのか考えていた。
「俺らもレオにしつこく言ったんだ。そりゃあもうレオがうんざりする程にな。でも絶対首を縦にしない。レオが良いって言わないなら無理だ」
「ヴァルおじ様とルネおじ様が良いって言っても? 人事権はおじ様達なんでしょ?」
リヴィがそんな事を知っていることに驚き、サロメを見る。目が合うと彼女はニッコリと笑った。ヴァルは眉をひそめるも、サロメは全く気にしていなかった。
視線をリヴィに戻し、翡翠色の瞳をじっとみた。
「――確かに俺らだ。けどリヴィの場合はレオが駄目って言ってる。俺らが良いって言って白百合号まで連れて行っても、レオが乗せねぇだろ」
そう言われリヴィは少し考えて言う。
「……じゃあ内緒で乗せるとかは?」
2人は呆気にとられていた。
部屋は静まり2人はなんと言えばいいのか考えていた。頭をフル回転し考えているものの、お酒が回った頭では気の利いた事は思い浮かばない。2人は悩み視線を下に向け苦渋の表情を浮かべる。
リヴィはその2人の表情を見て、底知れぬ悲しさに胸を痛めた。
「ごめんなさい」
静寂を破ったのはリヴィだ。
頬には涙が伝っていた。何を言っても駄目だと言うこと、2人の表情が自分のせいである事への申し訳なさから出た涙だった。
「もう平気。帰ります。ごめんなさい困らせて」
そう言って振り向き、リヴィは扉の前に居たサロメとオデットの所へと歩いた。
「もういいの?」
「うん、おじ様達に言ったらスッキリした。だからもういいの。サロメさん、ありがとうございます」
誰が聞いても嘘だとわかった。
オデットは一息吐いて微笑むと、リヴィの背に手を添えて部屋を出ようとする。
「それじゃあ――」
「ちょっと待て」
引き止めたのはヴァルだった。リヴィはヴァルの方を振り向く。
「リヴィ、最後に聞きたい。なんで、白百合号に乗りたい?」
怪訝そうな顔をしてヴァルは聞いた。そこまでして乗りたい理由が分からない。
「正直、船は今住んでる所とは環境が雲泥の差だ。衣、食、住、どれをとってもな。服だって、今着ているような上等なものは着れない。食事も美味しくない、寝る場所だって広くてふかふかなベッドじゃないんだぞ? 圧倒的に家の方がいい。そこまでして乗りたい理由は何だ?」
リヴィは2人の方へ向き少し考えるようにして話しをした。
「最初はなんとなくだったの。でも、お父様が死んでお父様が、何してたのか知りたいって思った」
一息ついて再び話す。
「私が知ってるお父様は、たまに帰ってきて、お話をしてくれるってイメージが強くて。戦争前には白百合号の話をしてもらった。でも……してもらったはずなのに、あんまり覚えてないんだよね。それなら自分でお父様が見てた世界を見てみたいって思ったの」
そして微笑を浮かべ視線を少し下へ向ける。
「環境が悪いのは分かってる。伯父様に散々言われてたから。でも――それでも乗りたいって思った。それだけ……」
一瞬の静寂の時間のあとルネが口を開いた。
「それはレオに話しましたか?」
ルネは悲しそうな表情でリヴィを見る。
「……話してないって言うか聞かれてない」
リヴィは大きく溜息を吐いた。
「伯父様には白百合号の事は、『リヴィは心配することない』って」
ヴァルとルネはリヴィの話しを聞いた後、顔を見合わせていた。
互いに何を考えているのかを考える事、数秒。ヴァルがルネに対して片手で小さくサインを送った。それに対してルネは軽く頷いたのを確認した。
「サロメ、オデット。ルネと2人で話したい。リヴィを見てて」
リヴィは困惑した表情を浮かべる。ヴァルは真面目な表情でリヴィを見た。
「リヴィ、今からルネと話し合う。ちゃんと検討する。だがな、乗せるかどうかはわからねぇ。話し合った結果、乗せれないって事は大いにある。期待はするな」
驚き目を丸くし、何を言ったら良いのか分からないリヴィを、サロメは部屋から連れ出し扉を閉めた。
閉まった扉の向こうから3人が立ち去る足音が聞こえた。
そしてヴァルは前髪を掴むように頭を抱えた。
「やっぱ乗せなきゃ駄目だ。じゃねぇとリヴィは表面上取り繕ってても、腹の底じゃレオの事一生許さねぇよ」
「レオはただの好奇心だと……」
「ちゃんと話してねぇもん。話してんのかと思ったけどな。ただの好奇心ならよかったよ。それなら学校終わって視野も広がれば、他に興味が出てそれも失せるかもしれねぇ。けど――あれは失せねぇだろ。風の剣持ってる限りアルの事考えちまう」
「乗りたい理由聞いたらレオは意見変えると思います?」
「話を聞けば可能性はあるが……。あそこまで答えが決まってるなら、もう無理だ。答えを変えたくない時は、絶対に話しを聞く事をしねぇからな。ただでさえ今日散々言っちまった。また明日以降話そうとしたら執拗いだ何だ言われて本気でぶっ飛ばされる」
「やっぱそうですよね」
2人は黙り大きく溜息を吐いた。
幼い頃から交流のあるレオナールの事をよく分かっていた。もう何年の付き合いになるか分からない。
良い所も悪い所も互いに分かっていた。
「因みに酔いって醒めてます?」
「醒めてねぇ。頭回んねぇから変な考えしか出てこねぇ。――それも特大に恐ろしい考えだ」
「奇遇ですね。私もです」
2人の話し合いは続く。
*****
「リヴィ、これが駄目なら妖精のフォークの店員さんね」
オデットはリヴィに言う。リヴィは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「……うん」
「ふふ、冗談よ。まぁ、本当に働いてもいいけど」
オデットは微笑み、執事が出した紅茶を飲んだ。
「働かないで、普通に友達と遊びなさいな」
「友達は皆働くって。遊ぶ時間あまり無いんじゃないかな」
「そういえば、何でリヴィは平民学校なの? しかも名前も変えずに。家庭学習か王都の学校に入れなくて良かったの?」
「王都の学校だと寮だから、アルとあまり会えないでしょ。だからアルは嫌だったみたいで平民学校に。名前は変えるか悩んだのだけど、そのままでいっかってなっちゃって……変えなかったのよね。アルが亡くなった後は、レオナール様から家庭学習にする事を言われたんだけど、リヴィが――」
「嫌ってお願いした。お母様も一緒にお願いしてくれた。友達いるし、離れるの嫌だった。いっぱいいたんだよ。でも……」
「でも?」
「途中から態度変える子が多くて、友達減っちゃった」
「あぁ……そうなるわね」
「悪い方向もあったけど、いい方向もあったよ。よそよそしくなったり、変に馴れ馴れしくなったのは悪い方向」
「いい方向は?」
「からかわれなくなった。前は魔女とか、金持ちの癖にとか、他にも色々言われた」
「……凄い。そんな事言われるのね。怖いもの知らずだわ」
「でも、ずっと態度変えないで仲良くしてくれる子もいたけどね。その子達が友達」
そう言ってリヴィはニッコリと微笑んだ。




