0.プロローグ
その日の夜は、戦時中とは思えない程静かだった。
ミーズガルズ王国はギヌヘイム帝国と戦争中。
発端は帝国がアールヴ連合王国を侵略した事だった。理由は連合王国が主に生産している魔鉱資源を、独占したかったのである。
そして連合王国と王国の通商路を破壊し、貿易に制限をかけ始めた。
王国は帝国に抗議をするも取り合わず、王国は宣戦布告し戦争へと突入したのである。
***
満天の星空をワンピースの寝巻きを着た女の子が、家の窓から見ていた。その星空をじっと見ていると、自室の扉が開く音がしたので振り向いた。
そこには20代半ばの男が立っていた。
男は白いシャツに深緑色の腰飾りを巻き、ズボンはブーツの中に入れ、よくいる船乗りの格好をしている。船乗りらしく無いところといえば、観賞用にも思える美しい装飾の柄に、緑色の石が埋め込まれた短剣を手に持っていることだ。
「お父様!」
「ただいまー、リヴィ」
少女はオリヴィアと言う名前だが、リヴィと言う愛称で呼ばれている。リヴィは父親へと駆け寄り抱きしめた。
父親は短剣を机の上に置き、抱きしめ返して頭を撫でた。
「リヴィ、ごめんなー。今日は長く居れないんだ」
「もう船に戻るの?」
彼は船乗りであり、帰って来ると数日は滞在する。だが、今日はそうでは無いらしい。
リヴィは頬を不満そうに膨らませた。
「そんな顔しないでくれ。そうだ、お話を読もう」
父親はリヴィを抱えベッドまで運び、そっと降ろすと近くの椅子に腰を掛けた。
「何読もうかな【パランケルスと精霊の国】にしようか?」
【パランケルスと精霊の国】は【建国記】という本の、2部構成のうちの1部の話である。
少年パランケルスが海で溺れ、目覚めるとそこは精霊の国。そこで仲良くなった、火の精霊サラマンダー、水の精霊ウンディーネ、土の精霊ノーム、風精霊シルフィードの4人の精霊と共に、精霊の国を侵攻してきた悪魔を倒す。
そして精霊王から、褒美として夜空の様に輝く石がついた杖と財宝を貰い、家へと戻り幸せに暮らす――という話だ。
「それ読んだ。違うのがいい」
「はは、そうかー」
父親は笑みを浮かべ、左手を腰に置き右手を顎に触れて考えている。
「じゃあ続きの【パランケルスの魔具】の話をしよう」
1部の続きである2部が【パランケルスの魔具】という題目で、青年に成長したパランケルスの話である。
国は敵国から攻められ、王の命令で4人の勇者の為に武器を制作することになる。パランケルスはその為に、4人の精霊の力を使う。
そして、火の槍、水の弓矢、土の大槌、風の剣を制作する。
これにより国は勝利する。
パランケルスは、褒美に宝石が散りばめられた宝珠を貰い、密かに慕っていた姫と結婚。後に王様になる――という話だ。
「それも読んだ。風の剣はお父様が持ってるんでしょ」
机の上に置かれた短剣を指さした。
「そうだねー」
「なんでお父様が持ってるの?」
父親はにっこりと微笑んで答えた。
「これは代々ラファル家に伝わって――」
「アル、アルベール」
声がする扉を見ると女が此方を覗いていた。リヴィの母親であるオデットだ。
「時間は無いんでしょ? 『顔見たら白百合号にすぐ戻る』って言ってたじゃない」
アルベールはズボンの左ポケットから銀色に輝く懐中時計を取り出し、時間を確認した。
「リヴィ、ごめん。もう行かなきゃ。風の剣の話はまた今度な」
アルベールは立ち上がり扉まで行くと「リヴィ、これ1つ貰うな」と、机の上にある金平糖を菓子器から取った。金平糖は、リヴィの好物だった。
リヴィとオデットは、アルベールの後をついて玄関へと向かう。
アルベールは扉を開けてもう一度振り向き、リヴィの額にキスをして抱きしめた。
「ねぇ、お父様。お願い事、決まったよ?」
「え? ……あ!」
それは先月であるリヴィ5歳の誕生日。アルベールは誕生日プレゼントを用意出来なかった。
落ち込むリヴィに言った事が『お願い事1つ叶えてあげる』だった。しかしその時決まらず、次に会った時までに決める、との事だった。
「お願い事はね――」
「え、今か……叶えられるかな」
「んーん、今じゃないの」
よく分からず、オデットの顔を見ると笑っていた。
「あのね、15歳になったら白百合号でお仕事したい」
「……え?」
『白百合号』は、アルベールが乗っているガレオン船である。
アルベールの動きが一瞬止まった。
元は商船だったが、戦時中の今はギヌヘイム帝国の船を襲い、積荷を奪うのが仕事だった。そんな危険な仕事はやらせたくない――かと言って、駄目と言ったら悲しむし嘘も吐きたくない。
アドバイスを貰えないか、とオデットを見るも彼女は微笑んでこの状況を楽しんでいるように見える。アドバイスは貰えそうにない。
すると後ろから声が聞こえた。
「アル、行くぞ」
アルベールが振り向くと、そこには責任を押し付けるのに恰好の男がいた。
兄であるレオナールだ。身なりはアルベールと似ている。違う点は、三角帽子にコート、肩から斜めにかける剣帯をし、左腰に剣を携えている事だ。
「伯父様!」
リヴィはレオナールに抱きつくと、彼は微笑み「元気か?」とリヴィを抱きかかえる。
アルベールはニヤリと笑い「お兄様。いい所に」と話しかけた。
レオナールは嫌な予感がした。アルベールは普段は『レオ』と呼び、何か小狡いことを考えている時に『お兄様』と呼ぶからだ。
「……何だ」
「 実はリヴィ、誕生日のお願いに『15歳になったら白百合号でお仕事したい』んだそうです」
「は?」
「いやね、お願いされたのは僕なんですけどね、ここはやっぱり、船長であるお兄様の『許可』がないとね」
レオナールは眉をひそめる。
政府公認とはいえやっている事は海賊だ。敵船を襲う危険な仕事は駄目に決まっている。自分の許可など取る前に「駄目」とアルベールが言えばいい事である。
「伯父様、ダメ?」
リヴィが輝いた目でこちらを見ていた。そして「駄目」と言って悲しませたくないのだな、と気付く。
嫌われ役を押し付けられアルベールを睨むも、何食わぬ顔でこちらを見ている。
15歳――それは今から10年後の話だ。
「そうだな、リヴィが覚えていたらな」
「ホント? やったぁ!」
リヴィは喜び、アルベールは目を見開いて驚いた。
「それじゃあリヴィ、またな」
「うん! 伯父様、大好き! これあげる!」
リヴィは満面の笑みでレオナールの口元に、手に持っていた金平糖を近付けた。
「……ありがとう」
レオナールは口を開け、リヴィは金平糖を放り込んだ。そんな姿を見て、アルベールとオデットはクスクスと堪えるように笑った。レオナールは甘い物が好きではないからだ。
彼はリヴィの頭を撫で、地面へ降ろした。
「お父様も大好き!」
次にアルベールを抱きしめる。アルベールはリヴィを抱きしめ返して頬にキスをした。そして名残惜しそうに離れ、次はオデットを抱き締めた。
「アル、何か忘れてるわ」
「え? あー……」
アルベールは気まずそうにレオナールを見ると、此方を睨み付けていた。オデットはアルベールに風の剣を渡すと、それを腰の後ろに携えた。
「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
アルベールは微笑んで、オデットにキスをして立ち去った。
*****
「なんで乗っていいって言ったんだよ!」
家を出てアルベールは歩きながら怒っている。
「10年後だ、覚えてなどいないさ」
「いや、そうじゃなく――」
「だいたい、アルに言ってきたんだ。アルが『駄目』と言えばいいだろう。そんな事より! 何で毎回風の剣を忘れるんだ!!」
「毎回じゃないですぅ。それに忘れたらセルジュが持ってくるし」
「そんな時間はない!」
2人が騒いでいると前から声が聞こえてきた。
「やっときたか」
「遅いですよ」
うんざりした声が聞こえた。声がする方を見ると、全身黒い服を着た背の高い男と、一際端正な顔立ちの男が腕を組んで立っていた。
「ヴァル、ルネ」
「まぁ、別にいいけどな。俺も愛する妻と会えたわけだし」
「私も、可愛い女の子達と最後の挨拶が出来ましたけどね」
そもそもこの港街に寄る予定は無かった。それをアルベールがレオナールに頼み込んで寄ったのだ。
「ライアンは?」
「残念ながら、愛しい息子は王都の寮にいるから会えなかったよ」
ヴァルは残念そうな顔をした。
「にしても遅いですよ。時間無いって知ってるのに」
「いやぁそれがさ、レオが10年後にリヴィを白百合号に乗せるって言うから揉めちゃって」
ヴァルとルネは同時に「はぁ?」と答え、レオナールを見た。
「違う! 何故そうなる!」
レオナールは先程あった事を簡単に説明した。4人は早歩きになり、少し考えてヴァルが話しだした。
「なるほどね。そうか、10年後はリヴィは15歳かぁ」
「そう! モテモテのかわい子ちゃんになってる予定だ。今もだけどな!」
「へいへい。で、覚えてたら乗せんのか?」
「駄目だ危険だ! なのにレオが……」
「覚えてなどない。10年もあるんだぞ。お前ら10年前の事なんか覚えていないだろう」
「覚えてたらどうすんだよ!」
するとルネが口を開いた。
「10年後、乗せれるかもしれませんよ?」
「え? 駄目だろ」
アルベールがルネを驚いた顔で見る。
「いや、今は戦争してるから危険なだけで、今から仕掛ける海戦が終われば、平和になるかもしれないですし」
「そうだな……戦争が終われば……か。戦争終わったら、リヴィといっぱい遊――」
「アル! 終わった後の幸せな話はするな! 縁起が悪い!」
「俺は愛する妻と息子を抱きし――」
「ヴァル! 言うな!」
「言ったら逆に叶うかもしんねぇじゃん」
「じゃあ私は――」
「ルネ!!」
レオナールは3人に注意する。
明日の海戦は、成功すれば戦争が終わりに近付くと言われている。だがそれ故にとても危険でもあった。
4人は白百合号に乗り込み、レオナールが指示を出すと出港した。




